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102回目 "Raw Material" & "Mayhew" by W. S. Maugham(first published in 'Cosmopolitan' magazines in 1920s)を読む。娯楽用の短編を楽しみます。

今回の記事、私の英語理解(深読み)には異論を覚えられる方もいらっしゃるでしょうが、今回は恥を忍んで私の楽しみ方を公開してみます。面倒をいとわない方はぜひその異論をコメント欄にてお聞かせください。読みが一層深まることを願っています。

《 英語の勉強 1 》定期的に刊行されていた雑誌 "Cosmopolitan" に毎号1編ずつ公開されていたことから、Short Stories from Cosmopolitans という複数形の Cosmopolitans が使われています。Cosmopolitans は従って 'Cosmopolitan Magazines' のことでもあります。


1. 最初の短編 "RAW MATERIAL" を読む。

今回読むテキストは archive.org にある 1936 年に出版された短編集です。このサイトにあって最初の短編 "RAW MATERIAL" は、その第1ページが欠落しています。他所のサイト(Kindle の無償お試しサイト)のテキストを拝借してきて穴埋めしました。

この拝借部分を以下に引用します。この短編のオチが最後のページ(第7頁)に現れますが、二度三度と読み直すとこの最後のオチの為のトリックを仕掛けるために著者が一生懸命に策を練った文章・部分だなと同情したくなります。

[原文 1-1] I HAVE long had in mind a novel in which a card-shaper was the principal character; and, going up and down the world, I have kept my eyes open for members of this profession. Because the idea is prevalent that it is a slightly dishonourable one the persons who follow it do not openly acknowledge the fact. Their reticence is such that it is often not till you have become quite closely acquainted with them, or even have played cards with them two or three times, that you discover in what fashion they earn their living. But even two or three times, that you discover in what fashion they earn their living. But even then they have a disinclination to enlarge upon the mysteries of their craft. They have a weakness for passing themselves off for cavalrymen, commercial agents or landed proprietors. This snobbish attitude makes them the most difficult class in the world for the novelist to study. It has been my good fortune to meet a number of these gentlemen, and though I have found them affable, obliging and debonair, I have no sooner hinted, however discreetly, at my curiosity (after all purely professional) in the technique of their calling than they have grown shy and uncommunicative.
[和訳 1-1] トランプ・カードゲームでの詐欺を職業にする連中を主人公にした作品をものにしたいとの思いを私は長い間、心に温めていました。そのような理由から、世界中に旅をしながらも、私はこの種の技能を職業にしている人がいないものかと周囲に注意の目を張り巡らせていたのです。世間ではこの職業はやゝ不謹慎なものであると考えられていることから、この職業にある人間はそのことを中々事実だと認めません。彼らの隠避傾向の結果、彼らと親しくなるとか二度三度とカートゲームの手合わせをした仲に成らない限り、彼らが如何にして生活費を稼いでいるのかを知り得る機会が見つかりません。そのような関係になった後にも彼らの手口、その神秘の靄の中を語りたがりはしません。この連中は自分たちを騎馬軍団の兵士であるとか、商人であるとか、大地主であるとかと偽るのを好むのです。高慢というものですが、これが小説家にとってこの種の人たちのことを学び知るにあって、世界で最も難しい相手にしています。この種のジェントルメンに今回遭遇したことは私にとって願ってもない機会でした。私はこの紳士たちをお付き合いし易い、気配りもできる、信頼のおける人たちだと感じました。そんなことから、私は彼らが引っ込み思案で口を閉ざしがちになる気配を示すが早いか、注意深く(プロフェショナルの技を駆使して)、彼らが本職とする技巧に対し自分が好奇心を膨らませていることを遠慮がちに当人たちに伝えました。

The first page of "Raw Material" by W S Maugham,
'Cosmopolitans', published from William Heinemann Ltd in 1936

《 英語の勉強 2 》 上記引用部分にある "They have a weakness …" や "passing themselves off for …" は慣用句で特定の意味を持っています。私はこのような慣用句を使うのは著者がこの部分を特に読者の印象に残したいと考えている場合が多いと経験上感じています。ここではオチやそのための仕掛けに関わる話である事を暗示しているかも知れないのです。
  
知らない慣用句とか熟語とかに出会った時のむつかしさはそれが「慣用句か熟語であるかも」という疑いすらもたずに、あるいは持っても辞書で確認する手間を惜しんでそのままやり過ごし勝ちなことにあります。
  またどの単語を目当てに辞書の中を探すのかが難しいこともままあります。しかし、時間を掛けてそれが報われることの喜びは大きいものです。文章全体の理解を大幅に改善してくれることも多いのです。
  調べずにやり過ごすとその文章全体が何を言わんとしていたのか不明のままになります。真逆の意味に捉えてしまうことにもつながります。英語の力は継続することで進歩するとしても、英語文書の意味をとらえきれずに済ませばもっと大事な「知識獲得」の機会の損失です。

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同情したくなると上で述べましたが、そのオチの為の準備部分をもう一押し盛り上げんとする文章部分が、オチの部分が始まる寸前の第6頁に現れます。それも、そうとは物語の終了前とあってはあからさまできないことから、必死の工夫の跡があります。次の通りです。

英国を出て北京を目的地にした旅です。北京からひとまず上海に戻り上海から太平洋を渡る船に乗ります。引用部分は、その船中での話です。パナマ運河の開通が 1914 年とされています。モームは開通後 10 年という時代にこの海峡を通過したのでしょう。New York に着く前に Victoria, Texas に寄港したものと理解できます。

[原文 1-2] Although we played afternoon and evening through the journey he sat down with us only on the last day. I suppose he thought he might just as well make his bar chits, and this he did very satisfactorily in a single sitting. But Campbell evidently loved the game for itself. Of course it is only if you have a passion for the business by which you earn your living that you can make a success of it. The stakes were nothing to him and he played all day and everyday. It fascinated me to see the way in which he dealt the cards, very slowly, with his delicate hands. His eyes seemed to bore through the back of each one. He drank heavily, but remained quiet and self-controlled. His face was expressionless. I judged him to be a perfect card player and I wished that I could see him at work. It increased my esteem for him to see that he could take what was only a relaxation so seriously.
  I parted with the pair at Victoria and concluded that I should never see them again.
[和訳 1-2] 船旅の間、私たち乗客は昼か夜かに関わりなくカード・ゲームで時を過ごしました。しかしこの男が私たちのテーブルに加わったのは旅の最後の日、ただ一度だけでした。彼はバーの請求書代金くらいはこれで稼いでやろうとでも思い立ったのだろうと考えました。そう考えると彼の思い通りに事は進みました。一度テーブルに加わっただけで十分な稼ぎをあげたのですから。 しかし(この男)キャンベルは賭けとは関係なくカード’ゲームを愛していることは明白でした。それは当然なのです。自らの仕事に情熱をもって好きになることなくして、それ、生活を支える為の仕事に成功することは不可能なのです。賭けの高は彼にとって無視できるほどの小額でした。彼も来る日も来る日も一日中、カード・ゲームを楽しんでいました。私は彼のプレイする様、カードを取り扱う様、ゆったりとしていて、かつ繊細な動きの手に魅了されました。彼の二つの目となると一枚一枚のカードの裏面までが読み取れるようでした。彼はアルコールも大量に飲んでいました。それでも物静かで自制することを忘れはしません。表情を変化させないのです。私は完璧なまでのカード・プレイヤーだと確信しました。彼が本番で多額の掛け金で勝負している姿を見たいものだと思ったのです。(船上での)気楽なお遊びにあっても真剣に取り組んでいる彼の姿に彼に対する私の尊敬の念は高まるばかりでした。
  この二人の男とはビクトリアの港でお別れとなりました。もう二度と顔を合わせることは無いでしょう。

Lines on pages 5 and 6 of "Raw Material" by W S Maugham,
'Cosmopolitans', published from William Heinemann Ltd in 1936

語り手が最初に陥った誤りの思い込みが、それに気づいていいはずの事象が目の前で展開しているにも拘らず、その人の目を、その人の捉え方を歪めてしまうのです。これがこの短編の急所なのでしょう。


2. Cosmopolitans 収載の二つ目の短編 'Mayhew" を読む。

自分の作品は読者に娯楽を提供するものだと公言するだけあって人々の苦しみの大きな原因である能力の不足や貧困、戦争、そして宗教・思想を異にする集団間の争いは、モームの作品のテーマにならないようです(多くの作品をこんな観点で調べつくした訳でもない故、軽率すぎる見解かもしれませんが)。

ここで読むことになる短編の主人公は Detroit の街の若いが有能な弁護士です。ある日、庶民のいざこざは当人の能力不足が原因で、そのような人たちの世話に一生を捧げるよりももっと大きな意義を持つ仕事があるのではと Capri の寒村に移住するのです。どういう訳か暮らしに必要なお金は全く気にする必要なしの男です。その意味で現実離れしています。Capri で取り組むのは人々の歴史(ローマの時代から連綿と続く歴史)であり哲学・政治の世界です。これらのテーマは必ずしも現実離れしているとは言えません。しかし、そこそこ現実から離れていることで読者は快適に読書を楽しめるというものです。

モームは面白い話を創作するに都合の良い前提条件を巧みに取捨選択します。まずこの舞台、弁護士と Capri が与えられた。それがあって初めてこの物語は存在しえたのでしょう。

[原文 2-1] The lives of most men are determined by their environment. They accept the circumstances amid which fate has thrown them not only with resignation but even with good will. They are like street cars running contentedly on their rails and they despise the sprightly flivver that dashes in and out of the traffic and speeds so jauntily across the open country. I respect them; they are good citizens, good husbands, and good fathers, and of course somebody has to pay the taxes; but I do not find them exciting. I am fascinated by the men, few enough in all conscience, who take life in their own hands and seem to mould it to their own liking. It may be that we have no such thing as free will, but at all events we have the illusion of it. At a cross road it does seem to us that we might go either to the right or to the left, and the choice once made, it is difficult to see that the whole course of the world's history obliged us to take the turning we did.
[和訳 2-1] 多くの男たちにとってその生活は自身のおかれた環境(成り行き)次第だといえます。運命がその人を放り込んだ環境を男たちは受け入れるのです。多くはあきらめによるのですが、中には喜んでそれを受け入れる場合もあります。彼ら男たちは不満を募らせることなく定まったレールに沿って走る路面電車のようなものです。同じ道路を進みレール内に突如跳び込んできたり跳び出して行ったりする俊敏な自動車を毛嫌いします。自動車と来たら田園地帯の開けた道路をスピードを上げて疾走することもあるのでなおさらです。 私はこのような男たちを尊敬します。良き市民、良き夫、良き父親です。誰かは払ってくれることが不可欠の税金というものを、彼ら全員とは行かないものの、支払ってもくれます。そうなのですが、私はこのような男たちをワクワクして見ている訳ではありません。しかし、広く世間の状況を考え見るに、極めて少ないものの私を魅了する男は居ます。それは生活を自らの手で支配し、生活を自分で好きなように形造る男たちです。私たちには自由な意思と呼べるものが持てないのかも知れません。しかし私たちにとって、そう呼べるものがあるとの幻想なら間違いなく持つことが可能です。道路の交差点を前にした私たちは、右に進むか左に進むかを選択する自由があると考えるものです。しかし一旦どちらかを選択してしまうとどうでしょう、世界の歴史の進み方はどこかで定められていて、自分が選択した道とてその定めに従わされたに過ぎないと言われると、持っていたはずの自由もさてどうだったのか判断に困ってしまいます。

Lines on pages 8 of "Mayhew" by W S Maugham,
'Cosmopolitans', published from William Heinemann Ltd in 1936

《 英語の勉強 3 》 上記引用文の最後近くにある It is difficult to see that …ですが、"see" を辞書 OALD で調べると、そこには 18 項目に分けてその意味が示されています。その第 14 の項目にこうあります。
see: [see that …] (not usually used in the progressive tenses) to make sure that you do something or that something is done: → *See that all the doors are locked before you leave. 出発前に全てのドアの鍵が掛かっていることを確認しなさい。  私は「that 以下のことの正否を判断するのが難しい」との意味であると理解しました。

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この天才的な弁護士 Mayhew が Detroit での暮らしを終えてイタリアの田舎 Capri に向かうのですが、Capri の村落を読者にイメージさせる文章は次の通りです。前回の私の記事(101回目)にあった Pontito, a Tuscan village や the Moldavanka area in Odessa のスケッチと同様に単純明快、読者の印象にも残る見事なものです。

[原文 2-2] Capri is a gaunt rock of austere outline, bathed in a deep blue sea; but its vineyards, green and smiling, give it a soft and easy grace. It is friendly, remote and debonair. I find it strange that Mayhew should have settled on this lovely island, for I never knew a man more insensible to beauty. I do not know what he sought there: happiness, freedom, or merely leisure; I know what he found. In this place which appeals so extravagantly to the senses he lived a life entirely of the spirit. For the island is rich with historic associations and over it broods always the enigmatic memory of Tiberius the Emperor.
[和訳 2-2] カプリはごつごつした岩が作る質素な外観の地です。青い色の海水が外壁を洗っています。しかしそこに育つ葡萄の木々、緑ならびに微笑がその地に穏やかで気さくな優しい雰囲気を創り出しています。その地は親しみ易いものの孤立した場所であって、重厚な雰囲気を湛えています。メイヒューがこのような愛らしい島に居を移したことは私にとって不可思議でした。私はこの男が美に対して鈍感極まりないことを知っていたからです。彼がこの地の何に魅かれたのかは解りません。幸福、自由、それとも怠惰な生活の可能性だったのでしょうか。しかし私は彼がここに住み着いて何を見出したのかを知っているのです。強烈に感性に訴えかけるものを持つこの土地に住み着いた彼はすっかり精神の世界に浸った生活を送ったのです。この島は歴史上の出来事との繋がりの強い処で、その土地の上には途絶えることなく皇帝シーザーの謎多い伝説が鎮座しているのです。

Lines on pages 10 and 11, "Mayhew" by W S Maugham,
'Cosmopolitans', published from William Heinemann Ltd in 1936

これら二編の短編、そのオチはここに触れずにおきますが、私は面白いとおもいます。ぜひ読んで見てください。


3. Study Notes の無償公開

これまでと同様に A-5 サイズの用紙に両面印刷することで左綴じ冊子にできます。Word 形式と PDF 形式のファイルを公開しますが、これら二つの内容は同じものです。

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