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110回目 "The Fixer" by Bernard Malamud を読む(Part 7)。

起訴手続きが未完の状態のままで、Yakov の留置期間は一年を超えることになります。冬の間の寒さとの格闘はヨブ記にある世界を思わせるものでした。寒さが過ぎるとストーブの番に退屈を紛らせていた Yakov はこの暇を持て余すことにもなります。食事量の少なさはそのままです。骨と皮の身体になり、精神状態の悪化が改善した訳ではありません。


1. 暇つぶしの一つは本で読み知った、あの Spinoza との対話です。

古びた新約聖書の一冊を与えられ、真剣に読む機会を得たのもつかの間、神父の懐柔策にしたがい虚偽の自白をすることを拒んだことをきっかけに、独房での日々が暗転します。食事に毒が漏れれて発熱・下痢で苦しんだ出来事を切っ掛けに自らが刑務所の料理場に出むきボールに食物を入れて持ち帰ることが許され、それが少しばかりの気晴らしであったのにそれも禁止されました。益々時間をつぶすのに困ることになりました。

新約聖書が取り上げられた次の日には、取り上げられた信徒携帯用小箱の中にあった旧約聖書がバラバラに引きちぎられて、ヤーコフの独房に投げ返されました。今度はこの途切れ途切れの旧約聖書を読んで時間を過ごします。途切れていて読めないことから自然と頭の中にのこるスピノザのことを考え時間を紛らすことになります。

以下の引用にあっては、会話ではなく地の文でヤーコフの思考の様子が描かれます。

[原文 1] With Spinoza's God it's different. He is the eternal infinite idea of God as discovered in all of Nature. This one says nothing; either he can't talk or has no need to. If you're an idea what can you say? One has to find him in the machinations of his own mind. Spinoza had reasoned him out but Yakov Bok can't. He is, after all, no philosopher. So he suffers without either the intellectual idea of God, or the God of the covenant; he had broken the phylactery. Nobody suffers for him and he suffers for no one except himself. The rod of God's anger against the fixer is Nicholas II, the Russian Tsar. He punishes the suffering servant for being godless.
  It's a hard life.
[和訳 1] スピノザが考える神にあっては、その辺りが異なります。スピノザの神は永遠の、限りのない、概念上の神(神なる概念)で、それは自然にある全てのものに見つかります。この神(神なる概念)は何も語りません。語る事が出来ないし語る必要も発生しません。もしあなたが何らかの概念であったなら何か言葉を発することが出来ますか? それを解るには、解ろうとする当人が、自分の頭の中にある賢い仕掛けに潜む概念・神を自分で見つけ出さねばなりません。スピノザはご自身を理詰めでそれ(自身の機構の中に潜む概念・神)を見つけ出されました。しかしこの私、ヤーコフ・ボックにはそんなことは出来ません。ヤーコフという人間は哲学者ではないのですから。その結果、知性的な概念である神も、(従来からの)信仰の対象にする神をも持てない人間である彼・ヤーコフは苦しんでいます。彼・ヤーコフは信徒携帯用小箱を打ち壊してしまいました。そうなったのに、そんな人間の為に誰一人として苦しみません。彼・ヤーコフもその結果、自身の為に苦しむ以外、誰かのために苦しむことはありません。この修理屋に向けられる神の怒りを象徴する鞭打ち棒とは皇帝ニコラス二世、ロシアのツァーなのです。この男ニコラス二世は、そうでなくとも苦しみの多い臣下の人間をして神に背く輩との咎で罰を加えています。
  辛い日々です。

Lines between line 27 on page 240 and line 3 on page 241,
"The Fixer", a Farrar, Straus & Giroux paperback, issue 2004


2. 犯人に仕立てる為のシナリオに沿った自白をあの手この手で迫られた Yakov、睡眠中は悪夢にうなされます。

以下は何種類かの悪夢の内の一つ、ニコラス二世が登場する夢の中の出来事です。夢にうなされ Yakov が漏らす言葉が保安員や監守に聞き耳を立てられ、文字にして秘密警察に伝えられると、裁判において検察側が自白に匹敵する証拠だとしかねないものであり、読者はハラハラしながら読むことになります。

[原文 2] "My dear fellow," said the blue-eyed, pale-faced Tsar in a gentle voice, "don't envy me my throne. Uneasy lies the et cetera. The Zhidy would do well to understand and stop complaining in a whining tongue. The simple fact is there are too many Jews -- my how you procreate! Why should Russia be burdened with teeming millions of you? You yourselves are to blame for your troubles, and the pogroms of 1905-6 outside the Pale of Settlement, mind you, were proof positive, if proof is needed, that you aren't staying where you were put. The ingestion of this tribe has poisoned Russia. Who ever wanted it? Our revered ancestor Peter the Great, when asked to admit them into Russia, said, 'They are rogues and cheats. I am trying to eradicate evil, not increase it.' Our revered ancestor, the Tsarina Elizabeth Petrovna, said, 'From the enemies of Christ I wish neither gain nor profit.' Hordes of Jews were expelled from one or another part of the Motherland in 1727, 1739, 1742, but still they crawled back and we have been unable to delouse ourselves of them. The worst of it happened, our greatest error, when Catherine the Great took over half of Poland and inherited the whole filthy lot, a million poisoners of wells, spies against us all, cowardly traitors. I always said it was the Poles' plot to ruin Russia."
[和訳 2] 青い目をして、青ざめた顔の皇帝がやさしく話始めました。「親愛する我が臣下よ、私の王位を羨んではなりません。ユダヤ人たちはぐずぐずと不平を漏らし続けるのをいい加減に止めるべきですぞ。問題の原因はユダヤ人の数が多すぎるのです。やれやれ、何とおまえたちは沢山の子を産むことかね。一体どういう理由でロシア人が何百万もに膨れ上がったユダヤ人の群団という荷物を引き受けねばならんのかね? おまえ達の苦しみは自分たち自身の責任だとは考えないのかね? その証拠を見せると言うなら言ってあげるが、1905-6 年に起こったポグロム、あれはユダヤ人に認可された居住区の外側で起こったこと、責任が認可区の外に出てきたユダヤ人にあることの証拠だぞ。あなた方という種族を飲み込んだのだが、ロシアにとってそれは毒薬だったのです。一体誰がそんな種族を欲しがったというのかね? 尊敬する祖先であられるピーター大帝は、奴らをロシアに入植させてくれないかと尋ねられ、「奴らは悪漢ども、嘘つきの集まりだ。悪漢どもを駆除したいと思うが増やしたいとは思わない。」と応じたのだよ。我々の尊敬する皇女エリザベス・ペトロブナはキリスト教徒の敵どもからは儲けも利益も期待しませんとおっしゃたのです。幾つものユダヤ人集団を、1727、1739、1742年と何度かに渡って私たちはその母なる土地から追い払ったのです。それなのに彼らは這うようにしてこの地に戻ってきました。私たちにとって虱のような彼らですが払いのけるに至っていません。皇女キャサリンの時代には最悪の失敗政策が実行されました。ポーランドの土地の半分をロシアに取り込んだのですが、皇女は、その時この地に居住していたいやらしい一族全員を受け入れたのです。百万人と言ったスケールの連中、井戸に毒を流し込む輩、私たちの組織をスパイする連中、意気地ない裏切り野郎でなる連中です。私はいつも言っていることですが、この一件はロシアを破壊しようとポーランド人どもが練り上げた策略だったのです。」

Lines between line 10 and line 33 on page 251, "The
Fixer", a Farrar, Straus & Giroux paperback, issue 2004

ハラハラしながら読んだ読者にとって幸いなことに、寝言においてすら、Yakov は検察側のシナリオ、何度も刷り込む様に聞かされたシナリオに沿うような言葉を漏らしはしません。


3. ユダヤ教徒の義父 Shmuel と、ユダヤ教を否定する Yakov との言い争いは終わりません。刑務所の保安員が力で制止します。

Yakov の牢屋内での暮らしはヨブ記の世界そのものでした。しかしここまで来て私がハッとさせられたのは、義父 Shmuel の生き方こそがヨブ記の世界であったことです。 手放せば代替えを買い求めることができない、そんな商売の道具であったはずの老いぼれ馬と荷車を、村を跳び出し町 Kiev で仕事を見つけるという Yakov に、躊躇せず譲った男です。読者はこの段にまで読み進んでこのことを思い出さされることになります。

似たような貧困の中に生きていた刑務所の保安員に、長い一生で初めて手にしたまとまった金、その全てを裏金として差し出し、他の職員がいない真夜中に 10 分間の約束で刑務所への訪問を果たした Shmuel は、独房の鉄扉の覗き穴越しに Yakov と会話を交わします

与えられた環境の中で黙々と、外の世界を学ぼうともせずに日々を惰性で生き延びるだけに見えていた男ですが、この小説の終章近く、この章に至って突如、ヨブ(旧約聖書の Job)の成り代わりとして登場します。スピノザに力を貰った Yakov との会話は、「ギリシャ時代の哲学者の対話」の再現のようです。

互いに譲らない、しかし喧嘩して終了するではない、永遠に続く対話です。

以下の引用は、牢屋に入れられるに至った経緯の Yakov による短い説明の後に続く二人の対話・討論です。

[原文 3] "You see, Yakov, what happens when you shave your beard and forget your God?"
  "Don't talk to me about God," Yakov said bitterly. "I want no part of God. When you need him most he's farthest away. Enough is enough. My past I don't have to tell you, but if you knew what I've lived through since I saw you last." He began to say but his voice cracked.
  "Yakov," said Shmuel, clasping and unclasping his excitable hands, "we're not Jews for nothing. Without God we can't live. Without the covenant we would have disappeared out of history. Let that be a lesson to you. He's all we have but who wants more?"
  "Me. I'll take misery but not forever."
  "For misery don't blame God. He gives the food but we cook it."
  " I blame him for not existing. Or if he does it's on the moon or stars but not here. The thing is not to believe or the waiting become unbearable. I can't hear his voice and never have. I don't need him unless he appears."
  "Who are you, Yakov, Moses himself? If you don't hear His voice so let Him hear yours. 'When prayers go up blessings descend.'"
  "Scorpions descend, hail, fire, sharp rocks, excrement. For that I don't need God's help, Russians are enough. …以下省略"
[和訳 3] 「ヤーコフよ、良く解っただろう。ユダヤ人が顔の髭をすっかりそり落としたら、そして神を放棄したらどんなことになるかということが。」
  「神のことは私に話さないでください。」ヤーコフは嫌な話題を持ち出されて困ったという顔で言いました。「私は神なるものはその一部たりとも要りません。必要な時には遠くに行ってしまっていて役に立たないのです。もう十分に分かりました。もう要りません。あなたと最後にお別れした後に私がどんな目に遭ったかをご存じであったら、こんな時に話さなくても済んだのですが、そうは行きません。」 こう言ってヤーコフは話し始めたのですが、感情が高ぶり、声がつっかえてしまいました。
  代わりにシュムエルが話始めました。興奮で震える両手を制止しようと、右左の手のひらを握りあっては放す動きを繰り返しています。「ヤーコフよ、聞いてください。私たちは何の役割も持たずにユダヤ人をしているのではないのです。神無くしては私たちユダヤ人は存在できません。神との約束無しでは、ユダヤ人は歴史から消去されていたことでしょう。そのことからあなたは学ぶべきです。神がすべてです。ユダヤ人には神以外に章有しているものがありません。しかしそれ以上に何が要ると言うのですか? それだけで良いではありませんか。」
  「私は。私はみじめな事態を私のものとしました。しかしそんなものを永遠に私のものとしていたいとは思いません。」
  「みじめな事態を神の所為にしてはなりません。神は食べ物を与えてくれます。それを料理するのは私たちの役目です。」
  「私は存在していてはくれないことを理由にして神を非難します。あるいは、神が月やどこぞの星の上にいるのであって、ここには居ないと言うのならば、神を非難します。要するに大事なことは信仰することではないのです。信仰をつづけていても待ちきれず、疲れ果てます。私には神の声は聞こえません。聞こえたこともありません。姿を見せない神ならば、私は要りません。
  「ヤーコフ、あなたは一体何者ですか? モーゼその人なのですか? もし神の声が聞こえないのなら、あなたの声を神に聞いてもらいなさい。『お祈りの声が天に昇れば、祝福が降りてくる。』との教えがあります。」
  「サソリなら上から落ちてきます。雹や、燃える火や、尖った岩の破片や、排泄物なら落ちてはきます。そんな訳で私には神の助けは要りません。ロシア人たちが居るだけで十分苦しめられています。・・・」

Lines between line 19 on page 256 and line 8 on page 257,
"The Fixer", a Farrar, Straus & Giroux paperback, issue 2004


4. Study Notes の無償公開

今回の読書対象は Chapter VII, pages 229 - 259です。これに対応する私の Study Notes を無償公開します。

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