今回読むことになる部分では、主人公の一人である Victor は Buffalo の街で講演をします。そのテーマが "The application of The Eighteenth Brumaire to American politics and society … the farce of the Second Empire" です。
これは Karl Marx のエッセイ "The Eighteenth Brumaire of Louis Bonaparte" の世界です。また、談 隆太郎氏のnote 記事 に紹介された Robert Darnton(2023)『The Revolutionary Temper: Paris, 1748-1789』にも興味が広がるところです。
1. ベローが描くアメリカのインテリ・エリートの像。ユダヤ人です。 ある日 Katrina はニューヨークで Victor と一緒だったのですが、Uptown で買い物を終えるとそこに迎えに来たロールスロイスに乗り込み、ワシントンまで移動します。Victor の知人が同乗していました。
[原文 1] Uptown, he might accept a lift in a limousine. In the soundproof glass cabinet of a Rolls, Katrina had once heard him talking during a half-hour ride downtown with a billionaire Berliner. (Escaped from the Nazis in the thirties with parents for synthetic rubber, he had bought dozens of Matisses, cheap.) Victor was being serious with him, and Katrina had tried to keep track of the subjects covered between Seventy-sixth Street and Washington Square: the politics of modern Germany from the Holy Roman Empire through the Molotov-Ribbentrop Pact; what surrealist communism had really been about; Kiesler's architecture; Hans Hofmann's influence; what limits were set by liberal democracy for the development of arts. Three or four other wonderful topics she couldn't remember. Various views on the crises in economics, cold war, metaphysics, sexaphysics. The clever, lucky old Berliner Jew, whose head was like a round sourdough loaf, all uneven and dusted with flour, had asked the right questions. It wasn't as if Victor had been singing for his ride. He didn't do that sort of thing.[和訳 1] ここはアプタウン地区。彼であっても、こんな機会にはリムジンの迎えをOKすることがあります。ロールス・ロイスの車、防音ガラスに囲まれ静かな車室です。カトリーナはこの車に同乗してダウンタウンを移動、その間に彼がベルリン出身の大金持ちと半時間に渡り会話するのを聞いたことがあるのでした。(彼は 30 年代に合成ゴムの生産に関わっていた両親に連れられナチスから逃れてきたのです。この男、カトリーナが初めて見たこの日までには、何十点にも及ぶマチスの絵画を安価で買い集めていました。) ヴィクタは真剣にこの男との話にのめり込みます。カトリーナも聞き耳を立てて、必死で話について行こうと頑張りました。76 番通りからワシントン・スクエアまでの移動中のことです。話題は神聖ローマ帝国時代からモロトフ-リベントロップ協定に至る近代ドイツの政治、シュールレアリズム活動家たちが唱える共産主義の実際的な意義、キースラーが提示した建築様式、ハンス・ホフマンが与えた影響、リベラル民主主義は芸術の発展に制限を加えたのだが、その詳細はどうであったか、他にも3・4件の話題が取り上げられたもののカトリーナの記憶は混乱してしまいました。経済分野に於ける様々な危機に向けた見解が議論され、冷戦、形而上学、そして良く分からない学問といったところだったでしょうか。賢くて幸運に恵まれたベルリン出身のこのユダヤ人は丸くまとめられた、酸っぱい匂いが残るコネ上がったばかりのパン生地のような頭をしています。それもスムーズとは言い難い、凸凹の表面に覆われ、小麦粉が振りかけられてもいるパン生地です。この男は的確な質問を繰り出します。ヴィクタの方もこの日は歌を歌いながら移動するかのごとく心地よく過ごしたのです。驚きです。本当に、彼は歌を歌うなどしなかったのです。
Lines between line 9 and line 23 on page 304, "Saul Bellow collected Stories", a Penguin paperback
2. この Novella の主題は金持ちエリートの優雅・放漫な恋愛ではありません。 70 才のインテリでリッチな Victor が、子供もいる 40 才台の女 Katrina を虜にする恋愛物語かと思いきや、学生時代以来の男、映画のプロデュースを業に名を成していた Wrangel が現れるや、たちまちにして「人の良心・哲学・リベラリズムの議論こそこのノベッラの主題なのだ」と気づかされます。
この男 Wrangel は、Victor を出世競争の敵対者と捉えているようです。その結果、彼への対抗心に振り回されています。Buffalo の飛行場で Chicago 行きの便を待っていた二人のテーブルに座り込み自分が画策中の映画の素案を話題にします。
[原文2-1] "Does this sound to you like a possible film?" said Katrina. "If they don't ask too much for the rights, I might be interested." "How would you go about saving us--in the picture, I mean?" Victor said. "May be Marx suggests some angle that you can link up with the divine mind." Katrina hoped that Wrangel would stand up to Victor, and he did. Being deferential got you nowhere; you had to fight him if you wanted his good opinion. Wrangel said, "I'd forgotten how grand a writer Marx was. What marvelous image! The ghosts of Rome surrounding the cradle of the new epoch. The bourgeois revolution storming from success to success. 'Ecstasy the everyday spirit.' 'Men and things set in sparkling brilliants.' But a revolution that draws its poetry from the past is condemned to end in depression and dullness. A real revolution is not imitative or histrionic. It's a real event." "Oh, all right," said Victor. "You're dying to tell me what you think. So why don't you tell me and get it over with."[和訳 2-1] 「この物語、あなた様は映画化してみる価値ありとお考えなのですか?」とカトリーナが尋ねます。 「著者の側があまり高額の著作権料を求めなければ、採用しても良いかなと思っています。」 すると、ヴィクタが声を上げました。「どのような筋書きで私たちを助けることの持っていくおつもりですか? この映画のストーリーのことを言っているのですが。もしかすると、神の造形物である心ある人々との繋がりを持ち出す道筋をマルクスが教えてくれますよ。」 カトリーナは、ランジャルがこの瞬間にヴィクタに向かって立ち上がってくれれば良いのになと思ったのですが、その通りになりました。ヴィクタに対峙するにあっては敬意を持っているだけではだめなのです。彼から役立つ意見を聞きだすためには彼に挑戦しなければなりません。ランジャルは「マルクスが作家としてどのように優れていたのかなど記憶にありません。何ともすばらしいイメージです。今の時代のクレードル(赤ん坊用ベッド)をローマの妖怪が取り巻いているというイメージですね。ブルジョア革命が嵐のごとく次々を襲い来て成功を収めています。「エクスタシーが来る日も来る日も精神を満たします。」「人々と非生物であるもの、その両方は光り輝く最高の事態に収まっています。」しかし、革命の詩を過去の記憶から引き出そうとする類の革命は活力の喪失、倦怠に襲われ消滅を迫られています。真の革命は真似事ではなく、絵空事でもないのです。」と声を上げました。 ヴィクタは応じたのです。「分かりました。あなたは自分の言いたいことを言いたくてうずうずしていたのですね。そうならば、どうぞ、気が済むまでお話しください。私に聞かせない理由はありません。」
Lines between line 16 and line 29 on page 318, the same as above [原文 2-2] "My problem is with class struggle," said Wrangel, "the destiny of social classes. You argue that class paralysis produces these effects of delusion--lying, cheating, false appearances. It all seems real, but what's really real is the unseen convulsion under the apparitions. You're imposing European conceptions of class on Americans." Katrina's thought was: Ah, he wants to play with the big boys. She was afraid he might be hurt. "And what's your idea?" said Victor. "Well," said Wrangel, "I have a friend who says that the created souls of people, of the Americans, have been removed. The created soul has been replaced by an artificial one, so there's nothing real that human beings can refer to when they try to judge any matter for themselves. They live mainly by rationales. They have made-up guidance systems." "That's the artificial mentality of your Boryshinski," said Victor. "It has nothing to do with Boryshinski. Boryshinski came much later." "Is this friend of yours a California friend? Is he a guru?" said Victor. "I wish we had time for a real talk," said Wrangel. "You always set a high value on ideas, Victor. I remember that. Well. I've considered this from many sides, and I am convinced that most ideas are trivial. A thought of the real is also an image of the real; if it's a true thought, it's a true picture and is accompanied also by a true feeling. Without this, our ideas are corpses. …"[和訳 2-2] ランジャルは続けました。「私の気になるのは階級間の闘争です。社会にある複数の階層の行く先が気になります。あなたは階層が硬直した結果、思い違いして自己を過大評価することになり、その影響で虚言行動、欺瞞行為、自身を偽装する行為が頻発するのだと主張されるのですが、一見、おっしゃる通りの様に見えます。しかし本当の事実は、亡霊たちの下に潜んでいて目には見えないもの、見えない部分に機能不全が発生している事実です。あなたは階層なるものに対するヨーロッパ人の見解をアメリカ人に押し付けようとされています。」 この時カトリーナは、危ない、彼はいわゆる有名人を相手に議論をしたがっている。痛い目にあうだろうなと直感しました。 「それであなたはどう考えておられるのですか?」と質問しました。 「では、お話します。」とランジャルは口を切ります。「私の友人が話したところでは、神の創造物である人間、すなわちアメリカ人の魂は人々から取り払われてしまったというのです。創造物である魂は人口の代用物に置き換えられてしまったというのです。その結果、何らかの問題を自分が判断するに当たって、判断の基準とできるものを有さない事態に至ったのです。 人々は今では理論的根拠なるものに頼って生きているのです。人は自分たち人間が作った判断基準を手にしたのです。」 「それこそ、あなたが好きなボリシンスキの人工的発想そのものですよ。」とヴィクタは突きつけます。 「いいえ、これはボリシンスキとは関係ありません。ボリシンスキはもっと後の人間です。」 「あなたが言ったご友人とはカリフォルニアの方ですか? その人はグル(宗教集団リーダー)の一人でしょうか?」とヴィクタは畳みかけます。 ランジャルは「もっと早い時にあなたとお話しなかったことが残念に思えます。」と逸らしました。「あなたは思想を格別に重要視されますが、それはいつものことです。私にはよく記憶しているところです。ですから私は、この事については様々な方向から考えて見ました。今ではこの思想というものは、そのほとんどが大した価値の無いものだと私は確信を持って言えます。事実に関わる考えはその事実に関わるイメージでもあります。何らかの事実の考えがあるとすると、それは事実の画像であって、それには事実の感触が付随しています。このようなことが無いとするとそれは死体に過ぎません。・・・」
Lines between line 30 on page 318 and line 8 on page 319, the same as above 映画の素案としての創作物語の話が、マルクスの考えなる言葉に反応して思わぬ発展を遂げたのです。人の発想の根幹に係わる議論です。ある種の人にとっては面白くもないプロパガンダだなどとけなして遠ざける種類のもののようでもあります。
3. Wrangel と対比させることで明確になる Victor の、つまりは Bellow の哲学。 シカゴ行きの便の時間まで二人はバファローの空港ロビーに座っています。前夜にディクテイションしたこの日夕方の講演会の講演原稿の読み直しを始めたのでした。A quick once-over です。
[原文 3] "A quick once-over," he said. "I don't expect much. 'Why people have taken to saying that truth is stranger'--or did I say 'stronger'?--'than fiction. Because liberal democracy makes for enfeebled forms of self-consciousness--who was the fellow who said that speaking for himself he would never exchange the public world, for all its harshness and imperfections, for the stuffiness of a private world? Weak self-conceptions, poor fictions. Lack of an Idea. Collective preemption of Ideas by professional groups (lawyers, doctors, engineers). They make a simulacrum of "standards," and this simulacrum becomes the morality of their profession. All sense of individual cheating disappears. First step toward "stability," for them, is to cancel individual moral judgements. Leadership can then be assumed by fictional personages.'"[和訳 3] 《この引用部は、バファローの飛行場のロビーで、下書きの読み合わせとは言え、ヴィクタがカトリーナに吐露した発言のようでもあります。》 彼は始めました。「手短におさらいします。大して時間は取りません。『人は一体どうして真実は小説よりも奇なりだと言う格言をその通りと思うのでしょうか。』私は”奇なり”でなく”強なり”と言ったとも思うのですが。『それはね、リベラル・デモクラシーというものが、自意識なるもののひ弱な側面を補充するからなのです。誰だったか、ある人が自分自身の考えに過ぎないと断った上で、こう話したのです。自分は公の世界、それが粗暴であって不完全だとしても、この公の世界を単調で刺激に欠ける個人の世界と置き換えるなんぞは決して許しませんと発言されたのです。個人の世界は、ひ弱いものである孤独な思想形成、その結果である貧弱な作り話によって構成されていて、知恵が不足しています。プロ集団(法律家、医者、エンジニアたちの集団)が生み出した知恵の特別な集合体を仮定しましょう。こうして集められた知恵は”標準規範”らしきものといえるでしょうが、このらしきものは、したがってプロ集団の倫理規範とも言えます。個人のものに付きものの欺瞞的見解はその全てが消去されるでしょう。しかし、このらしきものが”安定性”を目指して進歩を遂げるとしたら、その第一歩は個人個人が行う倫理的判断行為を禁止することになるのです。そんなことが起こると指導役は実体が欠落した架空の人間が担うことになってしまいます。』」
Lines between line 27 and line 38 on page 310, the same as above
4. Study Notes の無償公開