小説『丼とburger』草稿 田辺篇①
軽のワゴンは、熊野の巨木杉の山中からストーンと平らなところに出てしばらく走る。奥深い山から離発着ポートへ着地した感じだ。
田辺市。聖地。巡礼する。
ここは、ある男が住んだ町。
彼は明治の昔、日英同盟の前夜、まだ日本が日露戦争で帝政ロシアに勝利する前、人種差別激しいイギリスで学び帰国した。那智の山腹に籠って本を読み、隠花植物を写し、思索し、手紙を書き、心が壊れたのちに、ここに居を構えた。散歩し、やはりここでも植物を採集し写生し、本を書き写し、大量の手紙を友に書き送った。結婚し子を育て、庭を作った。そして死んだ。
この庭を見にいきたい。
彼は南方熊楠。森羅万象を知りたいと思い、二つのことをした。ひとつは、すでに先人が踏み入れた知の山、博物館と図書館に行って、世界のことを描き記述している書を読み漁り、大事な知識を書き写した。もう一つは、野や山に入りまだ見たことのない生き物を見つけては写した。
中でも彼の好奇心は、きのこから粘菌という生き物へ向かう。その生き様は宇宙観であり地球哲学だ。それを観察して理解することは、人智と自然とのシンクロだった。彼のした二つのことはここで融合した。
なんてことを昨夜の無料キャンプ場の暗闇の中で考えていたら、いつのまにか寝入っていた。哲学書を読むと寝られると同じことか。
朝早く起きて、本宮大社前駐車場に付ける。ここからバスに乗る。7時20分本宮大社前バス停発、発心門王子停留所へ。まずゴールに付けて、中辺路の最後2時間半ほどの発心門王子をスタートに。ゴールは間近。
カジュアル過ぎるとおこられるかもしれない。でもこの古道、結構な修験要素を織り込んであるのに驚いた。そのことはまた、どこかのタイミングで。
熊野古道を歩きながら、昨夜の思索?を反芻していた。2時間半ほどのカジュアルな修験者を歩かせるにはいいテーマだった。
降り立った田辺駅、小さな駅。向かいのお洒落なカフェには、ヨーロッパ系の外国人がたむろっている。彼らも山から降りて来たのだろうか、これから山に入るのだろうか?
駅前から西へ、一方通行の細い通りの商店街。
端っこのコインパーキングに軽ワゴンをとめる。24時間400円との表示。
ググってみるともう少し西に行くとコンビニ。トイレ確保。おあつらえ向きな場所だ。
おあつらえ…
ヒトには暮らすのに必要なものがある。まず、水と食べ物。天候から守られる服と寝床。トイレ。お風呂。
車中泊のこのワゴンでは寝床だけ。飲食とトイレはコンビニ。コインランドリーもすぐ近くにある。だからおあつらえ向きな場所だ。
あとお風呂、銭湯は?マップでは…
川向こう。少し離れているが、歩いて15分ほどの場所だ。遠くはない。
少し駅の方に戻って歩いてみる。少し早いが昼時。今朝は早朝から熊野古道を歩き、途中の茶店で温泉で出したコーヒーと小さなコッペパンサンド一個しか食べていない。お腹空いた。
僕はついこの間まで、名古屋のテレビ局のアシスタントディレクターをやっていた。いわゆるADだ。やめる直前はディレクターになったが。
いまはYouTube動画を作って配信している。「丼とburger」をテーマに各地を旅して、名物どんぶりモノをオリジナルのバーガーにコンバートしてアップしている。登録者数はまだまだ。でも海外からも見てくれてる人もいる。
何だろう?「あがら丼」というのぼりが立っている。お店は、日本中で見かける商店街の寿司屋のファサードだ。あがら丼は、名物どんぶりだろうか。
気になったので入ってみる。
「いらっしゃいませ。お好きなところへお座りください」
「あがら丼って何ですか?」
「あがらというのは田辺の言葉で、私たちという意味です。あがら丼は、田辺の旬の食材を使った私たちのどんぶりということです。ですから、あがら丼という特定のどんぶりはなくて、それぞれのお店があすすめのどんぶりを考えて出しているのです。うちでは4種類ご用意しています」
女性は写真付きのメニューを開いて見せてくれる。
釜揚げしらすとかつおの漬け丼。酢飯のようだ。太刀魚の照り焼き丼。太刀魚の天丼。マグロ丼。
どれも美味しそう。つまり、かつお、しらす、太刀魚、マグロがご当地名物なんだな。
じゃあ、釜揚げしらすとかつおの漬け丼と太刀魚のふっくら照り焼き丼をください。
「ふたつ、めしあがりますか」
「はいっ。」とにかくお腹が空いている。
女性は奥にオーダーを通しに行った。
他のお店はどんなあがら丼を出しているのだろうか?そう思って店の中を見回すとあがら丼のパンフレットがある。パンフレットには、なるほど、店ごとそれぞれメニューを出している。
牛焼肉重。しいたけ丼。備長炭ラーメン。海鮮ひつまぶしの昆布茶付き。野菜あんかけうどん。鶏と野菜の卵とじ丼。茶粥。猪の卵とじ丼。チーズスープオムライス、リゾット風。しらすと刻み海苔丼。梅ジャムとソースのカツサンド。鮎のひつまぶし丼。
バラバラだ。全く統一感はない。
それぞれ紀州田辺の食材を活かした一品だろう。列挙すると、太刀魚、カツオ、マグロ、磯間産しらす、熊野米、熊野牛、龍神椎茸、備長炭、地元野菜、めはり漬け、猪、紀州南高梅、甘い食パン、鮎。
つまりは、自分のうまいと思うおすすめメニューをめいめい好きに選んで勝手にやってちょうだい、ということだ。それを括って「ながら丼」っていう固有名詞をつけるなんて。何と逆転の発想。ここだけだろう、こんなふうに統一しない地元グルメを創って提供しているのは。
何となくだけど、それが田辺というところの性格を示しているような気がしてきた。
あの男、南方熊楠はそんな“めいめい”な風土を気に入って暮らし始めたのかも知れない。
「お待たせしました」
まず出てきたのが、釜揚げしらすとかつおの漬け丼。
丼を因数分解しよう。
かつおの漬け。釜揚げしらす。きゅうり。錦糸卵。三つ葉。ガリ。酢飯。
バーガーのパーツを考える。
かつおの漬けはフライにする。しらすはタルタルソースに混ぜる。
一汁三菜では、「焼物」は漬けカツオを揚げたフィッシュフライ、「煮物」はタルタルソース、「向付」はきゅうりと三つ葉とガリ。これをバーガーにビルドする感じかな?
バンズのヒールをバターで焼いて、きゅうりを敷いたら漬けカツオのフライを置く。その上に三つ葉とガリを置き、錦糸卵を乗せる。しらすを混ぜ込んだタルタルソースをかけ、バンズをかぶせたらできあがり。
大きな口でいただきます。(想像です)
うーんうまい!フィッシュフライとタルタルソースの組み合わせに間違いはない!タルタルの酸味としらすの旨みが相まってもっと美味しくなっている。錦糸卵もガリもきゅうりも脇役だけどいい仕事をしている。(孤独のグルメだな…)
そんなモノローグの妄想していたら、太刀魚のふっくら照り焼き丼がテーブルに到着。
これもうまそうだ。身がふっくらしていることは見てわかる。どうやって焼いたのだろう。
この丼のバーガーは、シンプルだ。バンズに挟んでそのまま食べられる。トルコの鯖サンドの例もある。
さっそく「丼とburger」のYouTube動画撮影のお願いをしよう。