『牛と土 福島、3.11その後。』眞並恭介 被爆した牛が生き続ける意味
2011年3月11日、東日本を襲った大震災と福島の原発事故。その後も自然災害は頻発し、新型コロナウイルス感染という新たな脅威に直面する今、あらためて「生きる」とは、「いのち」とは何かを考えさせられる1冊です。
著者はノンフィクション作家の眞並恭介氏。2015年に出版された本書は、講談社ノンフィクション賞、日本ジャーナリスト会議賞を受賞。2018年に文庫化されています。
『牛と土 福島、3.11その後。』の内容紹介
原発発生時に福島原発の警戒区域で飼育されていた多くの牛が被爆しました。畜産農家には避難指示が出され、牛を置き去りにすることが余儀なくされます。
国はその牛たちに対し安楽死処分(殺処分)を指示。やむなく処分に応じる人、牛をつないだまま、あるいは少しでも自由に餌にありつけるようにと牛を放して土地を離れる人、そして被爆した牛たちを生かす道を求めた人たちの厳しい選択と現実が綴られています。
被爆した牛が生き続ける意味とは
被爆した牛をどうにかして生かそうとする畜産農家たちがたどり着いたひとつが「牛が農地を守る」ことでした。雑草を食べ、土地を踏みならす牛の働きは土地が荒廃することを防ぐ。
さらに被爆の被害を研究する研究者たちにとっても被爆した牛たちの存在は有益なものになりました。定期的に牛から血液を採取し被爆の内部状況を調べる。そのことが牛、牛から排出される糞、糞を吸収する土地、土地に生えてくる草、その草を食べる牛、という循環から「土地の除染」という可能性までたどり着きます。
評)循環するいのち 牛が教えてくれること
食べるための牛を育て、出荷するー、という畜産業の裏には、計り知れない苦労があることをあらためて知りました。けして「売り物」とは割り切れない愛情と苦労の結集としての牛。家族の一員でもある牛。それらが被爆したからという理由で「処分」される理不尽さには、読んでいてやりきれない思いがこみ上げてきます。
著者が取材の過程で出会う当時生後8か月だった双子の牛、安糸丸と安糸丸二号ほか、多くの牛たち。震災後に自然交配で生まれ、人に飼われた経験のない野生の牛たちも多く存在しました。その牛たちが被災した世界をどう見ていたのか。筆者の目線は牛の思いにも迫っていき、かなりドラマチックな読みどころも。
『牛と土』というタイトルに宿る「いのちの循環」は、コロナ禍の今、気候変動問題や消費行動の見直しにも通底するテーマです。牛が教えてくれることが詰まった1冊、ぜひ。