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異性愛における恋愛関係

【注:センシティブで恥ずかしい表現があります】

付き合っているとはどういう状態だろうか。
どういった関係性を付き合っているというのだろうか。

知り合い以上、恋人未満とは角が丸みを帯びるほど擦られ続けた言葉で、一種の懐古の念おも感じる。

似たように恋とは〇〇で、愛とは△△だ。という言葉も出回っている。

僕は、恋とは錯覚的で一時的(瞬間的)な感情であり、愛とは持続的で定義づけされた感情である…と一旦決めてみる。
何十歳になってもパートナーに恋をしてます…これは、瞬間的な感情が偶然連続している状態だ。と捉えてみる。

恋人も夫婦も元を辿れば他人である。
見知らぬ異性愛を持つ、異性同士が出会い、見た目、内面、行為のいずれか、またはその全てに惹かれあい、お互いを思い合いながら生を歩んでいくこと。

相思相愛の関係性を壊す一般的な出来事が浮気・又は不倫である。関係性や具体的な行為によって呼称は変わるが、どちらもパートナー以外の異性への目移りが主である。

関係性が進んだ先に、自分又は相手が他の異性には目移りせず、ずっとお互いがこの関係性を続けていられるという確証は得られるものだろうか。
人によって確証が得られるタイミングは変わるのだろうか。
若しくは、誰しもいずれ終わるかもしれない可能性を抱えて、関係性を続けていくものだろうか。

手を繋ぐのは、キスをするのは、付き合う前後…などなど言い古されているが、言い換えると、一般的に限定された異性としか行わない行為をどのタイミングから許容するのか。と言えそう。

付き合っている状態というのは、私は他の異性とは番にならない…少なくとも、なろうと能動的に働きかけようとはしません。という自らの意思表示と相互認識の共有を含んでいる…とも取れそうだ。

敢えて関係性を定義づけようとすることによって、自分又は相手が他の異性といずれ番になるかもしれないという不安要素を取り除こうとし、繋がりを守り、関係性を前に進めようとする心の働きがあるように思う。

この異性愛による相互扶助的な関係性に、法的な契約を結んだものが結婚と呼べそう。
法律に保証される契約を結ぶことで、相互や周囲から見て関係性はより強固なものと認識できるだろう。
同時に、法的な契約を結ぶということは、今後契約を破棄しないように努めます。と自分や相手に対し表明することを含んでいる。恋愛感情は不安定なものであり、そこに一定の制限を加えようとするには、相応の覚悟も伴う…場合もあると思う。

僕が異性と初めて、まともに付き合ってみて思ったことは、男性も女性も顔の整ってる人もそうでない人も、大きくは変わらないのではないか、ということである。人に愛されたいし、人を愛したい。

付き合い始めた男女がすることも大きくは変わらないのではないか…なんて思う。愛を語り、一緒に寝て、目が合えばキスをする。

そこに、至って純で自然な人間の生の営みを感じる…ような感覚がある。様々な宗教や思想、価値観などの…例えばキリスト教の処女信仰などの思想に影響を受ける前の、人間としての本能からくる自然な行為。息を吸い、食べ物を頂くことと同列に捉えられるほど、自然であると感じる。

時代や人が、様々な価値観や思惑、思想から多様化させてきた恋愛観や結婚観などを、皆がどう結論付けようとするのか…興味深いところでもある。

(逆にいうと思想や価値観とはすごいもので、人間の自然な本能にも逆らう力を持っている…)

現代において、若い男性が付き合うために身につけたら良い思想、知識が2つあるように思う。
リベラルフェミニズムと男性の性質である。

男性の男性性、オスとしての本来の性質、生死を軽く見られがちな生き方の先に、何かを見出した時、見えてくるものもあるように思う。

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