31.沢山咸(たくざんかん)~resonance(共鳴)①

六十四卦の三十一番目、沢山咸の卦です。
爻辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/nb6a994b08233

31沢山咸

1.序卦伝

天地有り。然る後に萬物有り。萬物有りて然る後に男女有り。男女有りて然る後に夫婦有り。夫婦有りて然る後に父子有り。父子有りて然る後に君臣有り。君臣有りて然る後に上下有り。上下有りて然る後に礼儀錯(お)く所有り。

前回の離為火で上経が終了し、ここから下経が始まります。いきなり天地云々とかしこまった文体になっているのは、そのためです。

初めに天地があって、天の気と地の気すなわち陰陽の気が和合して天地間の万物が生成されました。ここまでは上経の乾為天~坤為地~水雷屯の流れと同じです。

天地間の万物創造は、混沌(カオス)を超越した「秩序」の創造です。すなわち雄雌の概念の創造です。(一部の例外を除いて)あらゆる万物が雄と雌の両極に分かれたのであって、この分化によって一定の秩序が生じたのです。人間でいうところの男女です。

そうしてやがて夫婦という秩序が生まれました。それから父と子という概念も生まれました。ここで母について言及されていないのは、子が母から生じたものであることは言うまでもないからです。それよりも父が誰であるかを限定するということに大きな意義が生じたのです。

そして段々と人間社会が高度なものとなり、組織の君臣上下の概念が生まれました。君臣上下の秩序をより一層強固なものとして持続させるために、礼儀を置くことが重視されるようになりました。

礼儀錯く、の「錯」は、「置く」という意味であり、または「交錯する」の意味です。礼儀というものは一方通行ではなく、片方が礼を尽くすことによって、もう一方も礼で返す、すなわち礼儀が交錯するのです。

この一連の流れには、沢山咸の「咸」すなわちあらゆる人間の感情が交錯するところが述べられている、と解釈してよろしいでしょう。

なお、もし上経と下経とに分けず、離為火に続くものとして文を置くのであれば、「麗く者は男女に若くは莫し、故に之を受くるに咸を以てす。咸は夫婦の道なり。」という風になるのでしょう。

2.雑卦伝

咸は速(すみや)かなるなり。

沢山咸は、物と物とが感じ合うことであり、感じ合うことによって、事は速やかに運ぶのです。

感情の交錯とは、光の速さの如く素早いものです。序卦伝とはまた別の視点から、卦の意を解釈したものです。

3.卦辞

咸は亨る。貞しきに利し。女(じょ)を取(めと)れば吉。

沢山咸の「咸」とは、感ずることです。「感」から心の字を抜き取ると、咸の字になります。すなわち無心の感応です。私心なき孚をもって相手の心に働きかけて、相手がそれを受け止めて心動かされるのです。

この卦は、まずは若い男女の感応とみることができます。上の兌の卦は若い女性であり、下の艮の卦は若い男性です。若い男性が下にあって礼を尽くし、若い女性が上にあって悦んで受け止めるのです。そうして二人は夫婦となるのです。

この卦に続くのは、綜卦でもある雷風恒です。雷風恒は壮年の男女の卦であり、長く久しく続く夫婦の道を説くものです。よって沢山咸と雷風恒は、男女の道すなわち夫婦の道をワンセットで説くものであります。

上の兌の卦は沢であり、下の艮の卦は山です。山の斜面に沢があって、水がこんこんと流れている象です。山の気と沢の気が、程よく通じ合っているのです。山は沢の水源となって水を枯らすことがなく、かつ沢は山の表面を潤して草木を枯らすことがなく、お互いが貢献し合っているのです。

卦辞には「女を取れば吉」とありまして、男女の恋愛占いでこの卦が出たら吉どころか大吉です。

しかし、この卦の意義を男女の恋愛だけに絞ってしまうのは、余りにも狭過ぎます。序卦伝にある通り、君臣の道であり、上下の道でもあるのです。かつ雑卦伝にもある通り、速やかなる道でもあるのです。

すなわち他人同士の意が速やかに通じ合うことです。ここで言うところの意とは、孚であり、志です。

孚(まこと)は、六十四卦の後ろにある風沢中孚の孚であり、偽りなき心です。親鳥が卵を暖めてかえす、あるいは養う、という意味でもあります。私心なき心、無心です。相手を意のままに操作するものではないのです。

志とは、特定の目標に向かって進む想いであり、一点集中する心であり、相手を慕って思いやる心です。

男女や夫婦のみならず君臣上下も含めた多くの人々が咸するということは、偽りなきものであり、私心なきものであり、迷いなきものであり、かつ速やかなるものです。

そうすることによって、相手の心はそれに感応して動くのです。沢山咸とは、咸を発する側の卦でもあり、咸を受け止める側の卦でもあります。咸を行動として実現せしめよ、ということです。

言うのは簡単ですが、極めて難しい道のりです。六爻の爻辞がいずれも微妙な内容であることが、その難しさをよく表しているのです。

4.彖伝

彖に曰く、咸とは感ずるなり。柔上りて剛下り、二気感応(かんのう)して以て相與(くみ)し、止まりて説び、男、女に下る。是を以て亨り、貞しきに利しく、女を取れば吉なるなり。天地感じて万物化成し、聖人、人心を感じて、天下和平なり。其の感ずる所を観て、天地万物の情、見るべし。

咸とは、感ずることである、と言っているのですが、これは感の字から「心」を抜いた形の字です。つまり心なくして、無心にして、相手の心を操作しようという私心なくして、ごく自然に相手を感動させるものです。

柔上りて剛下り、とは、陰なる兌の卦が上にあり、陽なる艮の卦が下にあることであり、あるいは天地否の上九と六三が入れ替わることによって、閉塞が打破されたのです。同様の動きが更に繰り返されると、九五と六二が入れ替わって雷風恒となり、更に九四と初六が入れ替わって地天泰となるのです。すなわち閉塞から開通へと進化していくのです。

この卦は三陰三陽の卦です。陰陽のバランスが優れている状態です。陰陽の二気が感応して、陰は陽に応じ、陽は陰に応じて感応し合っているのです。

内卦の艮の卦は、感情に溺れることなく冷静沈着にして止まり、下にあって礼を尽くします。外卦の兌の卦はその礼を受けて悦びます。本来上にあるべきものが下にあり、下にあるべきものが上にあり、そうすることで咸の道はよく亨るのであって、貞しきに利しく、吉なるのです。

咸の道は人の道だけではなく、天地の道でもあるのです。天と地が感応し合うことによって、天地の間に万物が生成化育されるのです。人の道においてもまた、聖人が民の心をよく感じて、これと感応し合うことによって、天下の和平が実現されるのです。

あらゆる物事の感ずるところをよく観察することによって、大なるものは天地、小なるものは万物に至るまで、その真実の実態を知ることができるのです。

5.象伝

象に曰く、山の上に澤有るは咸なり。君子以て虚にして人を受く。

山の上に沢がある形が、沢山咸の卦です。山は土で出来ているものであり、土と土との間には無数の隙間があります。その隙間に沢の水が染み込んで、山を潤わせるのです。

君子はこの卦の形をみて、心を虚しくして、そうして相手の言動を受け入れるのです。心を虚しくするとは、感の字から心を抜くことであり、私心なき無心の状態です。無心無我にして先入観なき状態で、相手をあるがままに受け止めるのです。そうすることによって、双方相感じるのです。

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