シリーズ「将来なんの役に立つの?」問題を解決しよう(3)
着陸ポイントがわからないままお話を走らせるのは楽しいね。
本日たまたま↓のような記事があがってた。
工藤さんの本は読んだことがあり、たいへん興味深かった。
麹町中学校には定期テストが無い。
このひとが校長になって廃止された。
そこでふつうに考えられる親からの疑問
・定期テストをなくして、どうやって子どもたちの学力をチェックし、向上させるのか?
・どんどんアホになるんじゃないか?
というのを丁寧に潰していっている。
その先に宿題廃止もあったのだろう。
いったん立ち止まって、いまあるシステムの価値を根本からちゃんと考えてみることはとても大切であります。
全4回らしいので次も読もっと。
今回のインタビューの中では
「人は、誰かからあてがわれたものに不満を言うようにできているのですよ。特に日本はいろいろなことが与えられ続けて育っているので、不満を言うのが大好きなのですよね。何かに不満を言って、勝手に不幸になっていく。勝手に理想を抱いて不幸になっていくのが、いまの子ども、大人の世界ですよね。」
こういうとこ、共感しました。あるとおもいます。
与えられることに慣れたものは、勝手に理想を抱いて不幸になっていく
こわ。
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さて、本シリーズの目的である、
「こんなん勉強して何の役に立つの?」
という問いにズバッと答える!
という本筋ですけど、前回、「役に立つよ!」という方向からの攻撃は、まあまあ危険だというお話をしました。
役に立つからお勉強しましょう、という方向は、子供を強引にねじ伏せることはできるけれども、共感はなかなか得られなさそう。
いわゆる「大人が言いそうなこと」の枠を抜け出せない。
そこで、もう一つのルート
「何の役にも立たないけど勉強っておもろいやん」というね、こっちを探っていきたいわけです。
だいたい大雑把な実感として、小3ぐらいまでは、そうとう強制しない限り、勉強嫌いになる子どもはめずらしい。むしろ、勉強というのは、うまくいったときに褒められる営みなので、積極的に問題を解きたがる生徒も多い。ぜんぜんできない生徒でも手を上げて答えたがったりする。
それが小5、小6ぐらいから思春期に入り、自分とはなんだろう、何のために生まれて、何のために生きているんだろう、という疑問が生じてくる。
ちょうどいい具合にそのころの勉強は難しくなり、めでたく
「こんな勉強して何の役に立つんですか?」
と口をとがらせて不満をたれるクソガキに仕上がるわけです。
ただ、我々大人も気が付かないといけないのは、
・マンガなんか読んで何の役に立つの?
・スマホでゲームして将来何の役に立つの?
・youtubeみてゲラゲラ笑うことに意味あるの?
と聞いてくる子どもはいないということだ。
わざわざ疑問にもおもわないぐらい
それらは明らかな
「快感」
を運んでくるからである。
ゲームをすれば楽しい
友だちと遊ぶと楽しい
走り回ってボールを蹴ってゴールを決めたときは最高の気分になれる
このようなあたりまえすぎる快感には、わざわざ疑問も出ないし、もちろん不満もない。
けっきょく、子どもたちから「なんでこんなことさせられるの?」と疑問がでるということは、答えが欲しいのではなく、不満なんでしょうね。
だから我々はしたりがおで解説するのではなく
そっか、勉強つまんないかー
ということを共感してやる必要があるわけです。
そんで考えた回答がこちら
↓
「先生、歴史の年号とか覚えて将来何の役に立つんですか?」
「どうした、歴史の勉強つまらんか?」
「はい、ただの暗記作業だしつまらないです」
「なるほど。歴史は誰に教わってる?」
「○○先生です」
「そっか、お前に歴史をつまらないと思わせたのはその先生の授業がつまらないからだ。お前は悪くないぞ」
「そういうもんですか」
「ああ、子どもたちから学ぶ楽しみを奪うやつは許せないわ。いま連れてくるから、二人でボコボコにしよう」
これですね。
「いまその先生を連れてくるからボコボコにしようぜ」
かまいたちのネタでありましたけど笑。
半分はでも、本気ですね。勉強がつまらないのは、先生の授業がつまらない、ということ。その責任はおおきいのであります。
[2020.01.18 facebookから]