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「よだれ鶏」は自分が本当に欲しいものを知っている

 休日、大衆的な中華料理屋に行った。ビールを頼んでメニューを見ていると、友人が「よだれ鶏ひとつ」と店員に言った。

 よだれ鶏とは四川料理のひとつで、茹でた鶏肉に唐辛子や花椒、ラー油の入った辛いタレをかけた冷菜である。中国語では口水鶏と書き、この口水がよだれを意味している。
 よだれ鶏は「この料理のことを思い出すだけで、よだれが出る程美味しい」から、この名前が付いたらしい。そんなことで由来になるのならば、なんだってよだれ○○が作られてもおかしくない。よだれパンとか、よだれ丼とか。汎用性のある由来なのに、鶏以外に「よだれ」がつく料理がない事に違和感がある。
 最初に「よだれ鶏」と命名した人もきっと、「これからもっと色んなよだれ○○が作られていくんだろうなあ。よだれシリーズなんて言われちゃったりして……」とさぞ期待していたことだろう。それなのに、誰一人彼のバトンを受け取らず、結果的に鶏がよだれを独占してしまった。何と悲しい話であろうか。
 まあ確かに、料理に「涎」をつけるなんて不衛生この上ないし、初見では眉をひそめてしまうネーミングセンスではある。北京ダックが涎ダックであれば私は頼まなかったかもしれないし、麻婆豆腐が涎婆豆腐だったら、店には並ばなかったかもしれない。婆には大変失礼だが、なんか汚そう。
 だが、決して悪いわけではない。「思い出すだけでよだれが出るくらい美味い」という語源さえ知っていれば、食材によだれが使われていないことは分かる(知らなくても分かるが)し、何より字面を見た時のインパクトもある。よし。私が時代を超え、よだれシリーズの継承者になろう。よだれ鶏を命名した彼の悲願を、今叶えようと思う。

 まず手始めに、日本の「うま煮」を「よだれ煮」と呼ぶことにしよう。うま煮の名前の由来は諸説あるが、調べたところによると「旨味」や「美味い」、「甘煮」からきているらしい。甘辛く煮込むことで具材の旨味を融合し、絶妙に美味くなる料理。だから「うま煮」。つまらん。ストレートでなんの面白味も無い。日本人は勤勉で真面目だから、一目でわかるようにこの名前を付けたのかもしれない。しかし、煮込んでいるうちに謙虚さも溶けてなくなってしまった。どうやら謙虚さは煮崩れしやすいようだ。
 よだれ鶏だって「よだれが出るくらい美味い」の「美味い」を取ってうまい鶏と命名することはできたはずだ。だが敢えてしなかった。安直なネーミングでは後世に名を残しづらい(はずだった)。そして苦渋の決断の末、よだれを抽出したわけだ。
 だから、よだれ鶏師匠の思いを継ぐ私としては、うま煮なんて名前を現代まで続かせるわけにはいかない。従って、うま煮を「よだれ煮」と呼ぶことにする。
 よだれ教の教祖である私が産まれた今日を境に、「B.Y.(before Yodare)」と「A.Y.(after Yodare)」に分けられることだろう。涎歴元年。よだれは復活した。

 うま煮の件を取り上げて、改めて考えると、「美味い」は全て「よだれ」に置き換えることが出来ると皆様に伝わったかと存ずる。
 ということは、次に改名させなければならないものは勿論、「うまい棒」だ。うまい棒なんてやめてしまえ。もう既にうまい棒が美味いことなんて日本人全員知っている。だから、「よだれ棒」にしよう。うまえもんをよだれもんに代えよう。うまみちゃんもよだれみちゃんに代えよう。そして「よだれ棒よだれ鶏味」をだそう。もうよだれでべちょべちょだ。でもきっと、美味しいに違いない。シュガーラスク味や納豆味等、革新的な味を作り出してきた株式会社やおきんなら、大胆な名称変更も辞さない気概を見せてくれると期待している。

 ふう、とりあえずこんなところか。初仕事にしては結構頑張った方だと思う。しかしこの調子で行くと、いろんな料理・商品がよだれでまみれてしまうな。私のよだれ道はまだまだ続く。
 だが一瞬、このままよだれで塗り替える活動をしていいのか、不安がよぎる。「よだれ」というネーミングセンスを、信じて良いのだろうか。よだれ鶏をうまい鶏と呼ぶ方が、ずっと楽なのではないか。

 私は、ネーミングというものに自信が無い。
 子供の頃に『MATHER2』というゲームをプレイした際、「カッコいいと思うモノは?」と冒頭で聞かれたことがある。当時の私は、人気沸騰中の俳優であった速水もこみちを思い浮かべ、「もこみち」と入力した。すると、主人公の必殺技が「PKもこみち」になり、最後まで「PKもこみち」を使って戦った苦い過去がある。(ちなみにPKはPSI、つまり超感覚的知覚の略。超感覚的知覚もこみちである。)

 それから、私は極力ネーミングを避けてきた。もこみち氏に罪は無いが、どうも、もこみちにトラウマが出来てしまった。どう考えてももこみちをモノ扱いした私が悪いのに、それを棚に上げ、もこみちを憎んだ。
 経験が無いのにトラウマがある。そんな私が口角泡を飛ばして「よだれ」について語ったのは、もしかしたら無意識にネーミングセンスを欲していたからなのかもしれない。「よだれ鶏」という、他の人には怪訝されながらも自分だけは信じ、芯を貫き、後世まで名を残した彼を羨み、私自身もそれを笠に着て、あたかも「私だけがよだれ鶏のセンスの良さを分かってますよ。だから私もネーミングセンスがあるでしょ?」と言いたいだけだったのかもしれない。
 なるほど。何と愚かでどうしようもない人間なのだ、私は。私のセンスを誇示するならば、私が考えたものでなければ意味が無いのに。
 よだれ鶏を前に、箸を置いた。それは口に入れることはできても、未だ毅然として垂涎の的であった。



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のろのろな野呂
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