宗教という「人間学」を越えた「肉体知」とはなんだ?
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:宗教の理解、特に自分たちのそれと違う宗教への理解は、「人間学」にとって有益だ。しかしZenを世界に広めた鈴木大拙氏のように、その過程で世界を巻き込み、話し合って得られる知恵こそが、宗教知識より大事なのかもしれない。感じる知、肉体を通じて得られる知、これこそ我々に欠けている。これを身に着けてこそ、AIを支配できるというのに、だ。
書き忘れました
昨日の記事「経済学より人間学」で間違いがありました。
「孔子の戦争論」ではなくて、「孫子の兵法」の間違いです。
申し訳ありません。
もう一つ、これは書き忘れたのですが、教育としての人間学に、「宗教学」を入れるべきでした。
世界4大宗教である、キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンズー教に、キリスト教の原型とされるユダヤ教、そして日本の神道を学ぶべきと考えます。
神道を学ぶことは、日本を学ぶことであり、僕を含めて日本人は足りていません。
しかし、新日本精神道さまのこのnoteで勉強すれば、他には何もいりません。(きっぱり)
さて、なぜ宗教学なのか。
なぜならば、今も行われている戦争の背景や原因の一つに宗教があることが珍しくないからです。
僕の乏しい宗教知識によれば、4大宗教を含め、真っ当な宗教の共通点は
「利他心」すなわち親切を施せ、です。
でも、そんな程度のいい加減な知識ではだめで、その歴史や成立基盤と概要を知ることによって、他宗教を信じる人々の立場や気持ちに少しでも思いを馳せることができるのではないでしょうか。
そこから、多民族、他国家への理解が進み、少しは世界平和に資するのではないかと考えるのです。
アメリカでの宗教体験
もう30年も前の話ですが、僕がアメリカ・ウィスコンシン州のエッジウッドカレッジ(Edgewood College)のビジネススクールでMBA取得を目指し勉強に、日本語教育に励んでいた頃の話です。
宗教学部の学部長のシスター・マリーから、「イチロー、今度私の授業で日本の仏教というテーマで講義してくれない?」というリクエストを受けました。
日本人だから、日本の代表的な宗教である仏教くらいは知ってるだろう、そのくらいのノリだったと思うのですが、当時僕はアメリカに行くなら必ず仏教と武道のことは訊かれたり、実演をせがまれるだろうと思って、準備はしていたのです。
高野山の修行風景や、禅の瞑想などを取り上げたビデオを流して、拙い知識を披露しただけでしたが、意外にも学生たちにはウケて、結局90分の授業を全部消化してしまう結果になりました。
でも、僕が驚ろかされたのは意外な反響ではなく、シスター・マリーの国際的な視点でした。
キリスト教系の大学なんだから、キリスト教だけでいいじゃん、と正直思っていたのですが、仏教の話に真剣に耳を傾けるシスターと学生たちに、逆に僕は感銘を受けたのです。
日本の学生がキリスト教を知らないように、アメリカの学生も仏教は知りません。
宗教学は、その宗教を信じる外国人に、素直にありのままを話させるのも、ありかなと思うのです。
欧州やアジアの大学や学会を回ったりして、強く思うことは、外国人はZen(禅)に、とてつもなく興味がある、ということです。
そして、Zenという言葉を宗教的な意味ではなく、平和や静寂のシンボルというニュアンスで使っているのです。
いや、最近はどうも彼ら彼女らは、言葉や表現をあいまいにしたいときにZenを使っているような感じを受けます。
よくも悪くもZenは欧米社会に定着し、日本への関心を高める装置として機能してきたと言えるでしょう。
これも、1936年から1958年頃にかけて、日本の仏教哲学者・鈴木大拙(すずき・だいせつ)氏が欧米の大学を中心に、Zenを広めたからです。
文化交流をもっと推し進めよ
為政者は経済学を使って、インセンティブという「エサ」で人間を彼らの都合のいい方向に動かそうとしますが、学習をして教養を得た人間は自ら動くのです。
それも正しい方向に。
結果、インフレも失業もなくなるのではないか・・
でも、読者の皆様からは、「それはやっぱりムリ、理想論」というご意見を複数頂戴しています。
ただ、人間には、いまも、むかしも、足りない知性があると思うんですよ。
それは、「文化交流を通じて自他を理解する」、という知性です。
宗教でも、武道でも、学問でも、スポーツでもいい、単に日本人がパフォーマンスを見せるだけじゃなく、考えや意見を述べ、説明し、外国人と議論する、ということをやるべきだと思うんです。
「ジャパンキャラバン」を復活せよ
僕が高校生の頃、ジャパンキャラバン(Japan Caravan)、という催しがありました。
これは日本を代表する知識人たちが、チームを組んで世界中を回り日本を講義するという試みでした。
僕の記憶では当時国際商科大学教授の國弘正雄(くにひろ・まさお)氏などが中心となって、世界を回って日本を伝えていたはずです。
状況は、僕が拙い宗教講義を繰り広げた30年前と変わりませんよ。
日本だけじゃない、世界の国々も、自分たちを他国に伝えるような機会が持てないでおり、そこから得られる体感的な知識がすっぽり抜けてしまっている。
こういう体験的な知こそ、AIには絶対持てないものなのですが、その重要さをいま、誰も指摘しないんです。
インターネットのやりすぎなんですって。
インターネットの進化系のAIの時代は、もっと怖く、国際的な経験の重要さなんて、誰も発想すらできなくなっている。
その「ジャパン・キャラバン」ですが、今はインターネットで検索しても出てきませんね。
もう世の中から消え去った、昔の賢人たちの勇気あるチャレンジでした。
経済学に勝つ、国際経験から得られる知恵
経済学じゃなくて、人間学などと申し上げました。
そして、人間学の主役は「宗教を学ぶことだ」、などと熱を帯びてきた。
しまいには「宗教」から、「いや宗教でもなんでもいい、世界と話し合いをして、その交流の中から得られた知恵こそが、我々を真に賢くして、経済学に勝つ」なんてことになってしまいました。
とりとめのない一人勝手な議論になってしまい、申し訳ありません。
野呂 一郎
清和大学教授