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松本清張に学ぶ、ひとの正しいほめ方。

この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:社会派推理という日本文学界に特異なジャンルを生み出した松本清張。5人の作家が、巨星の自虐を慌てて打ち消そうとするが、妙に具体的な語り口になるところに、彼らの心を奪った松本清張の偉大さがうかがえる。推しの本として、「ほめ方に焦点を当てたが、見当外れだったかも。

偉大な男の正しいほめ方

フォロワーの方から、「おすすめの本はあるか?」と訊いて頂いたことはお話し、綿矢りささんの「蹴りたい背中」を先日紹介しました。

なにぶん、読書家とは程遠いので、今回また性懲りもなく、第二弾を紹介しますが、「浅学が何か言ってるな」くらいにとってやってください。

今日(コホン咳)紹介するのは、
「松本清張対談集 発想の原点 双葉社」、です。

https://x.gd/52eNJ

これは松本清張を私淑する5人の作家、佐野洋、五木寛之、井上ひさし、筒井康隆の各氏が文学について、松本清張と対談するという内容です。

なぜ、この本を推すかというと、「人をほめるとはこういうことなのか」を教えてくれるからです。

一言で言うと、「儀礼的にほめるのはダメ、具体的な例をあげてほめよ」ということなのです。

でも、みなさん、本書はこんな俗っぽい僕の下世話な視点を嘲笑う作品なんです。

日本を代表する作家たちの深い思念が交錯するのが、この本の真骨頂でもあります。

松本清張三番勝負解説

以下、三人の作家がいかに上手に、いや真剣に松本清張をほめているかを、例をあげて僭越ながら解説を加えました。

松本清張vs井上ひさし

松本清張
「僕はどうも女性がうまく書けないで困っているんだよ。女性が類型的にしか書けない」

https://x.gd/Tg4Jl

井上ひさし
「女性が描けないなんてことはありませんね。『渡された場面』の旅館の女中さんである信子にしろ、奥さんでいてバー勤めをしている景子にしろ、ちゃんと印象に残るように描かれています。

それから強烈なのは『強き蟻』の伊佐子ですね。(中略)そして夫が落ちぶれて病気になると死ぬのを待つ。そういうすごい女を描いています。

このように松本さんのお書きになった女性はいくらでも様々な姿で思い出せるんですから、女性が描けないなんてことは、松本さん自身がおっしゃってるだけで、決してそんなことはありませんね。

解説 どうほめるか

清張が「女性が描けない」とある種のコンプレックスを吐露するが、井上ひさしと来たら、具体的な作品の具体的な場面を出して反論する。

反論された清張は、内心とても嬉しかったのではないか。

相手が謙遜しようとすると、超がつく具体例を示して、反論することは、最上級のほめ方といえよう。

松本清張vs佐野洋

松本清張
「推理小説的な手法が明治以来の自然主義的な小説のつまらなさを補い、本来の小説の面白さを回復させた」

https://x.gd/Z1wVf

佐野洋
「そういうわけで、松本さんがあらわれてから推理小説が変貌しました。

そして”清張以後”という言葉が生まれましたね。中略 

つまり”清張以前”と”清張以後”との違いは、動機の重視、日常性の中の恐怖を描くことにより盛り込む現実性などと同時に、テーマの拡大がありますね」

解説 どうほめるか

この本は結果的に、日本文学評論界は松本清張を評価しておらず、けしからんという論調になっている。

佐野洋はそれを具体的に、”清張以前”と”清張以後”との論を立て、それは具体的な清張の作風にまで及んでいる。

それも、日本文学史を俯瞰し、その中に清張を位置づけるという極めてダイナミックなほめ方である。

単なる流行作家などではなく、日本文学界に「面白さ」をはじめて持ち込んだ稀有な作家と佐野洋は、主張したいのだ。

これでは評論家も反論できまい。

松本清張vs五木寛之

松本清張
「あなたみたいに若いときから書き始めていたら、途中で行き詰まることもあるでしょう。

僕なんかまだその壁にぶつかるまで行ってないんだ、そこに至らないんだと思う」

https://x.gd/IiXfJ

五木寛之
「私は作家になる前に松本さんのお書きになったものをたくさん読んでおりました。

そして10年間仕事をしてきて、改めてもう一度読み返しているのです。

わたしがここらへんをやったら面白いんじゃないかなと思うと、必ず松本さんがすでにお書きになっている。そこが非常にぼくらの苦しいところでしてね。

解説 どうほめるか

清張が五木にかなわないと謙遜してみせるが、それを「とんでもない」とばかりにあわててたしなめる五木。

だが、単にへりくだっているのではなく、「清張は別次元」と確たる証拠を提示して、自分など敵わない、と一歩も二歩も引いている。

総括

ほめ方、などと通俗的な、タイトルをつけ、3人の作家が天才的な太鼓持ちのような印象を与えたら、申し訳ありません。

この本が教えるところは、相手を持ち上げるなどの、お追従などとは本質的に違い、まさに3人の作家の巨星・松本清張に対する最上級の尊敬と、いまだ清張の本領を日本の文壇が認めてないことに対する怒り、なのです。

あえて、表題に沿った解釈をしますと、真に人をほめるとは、「心から尊敬し、愛している」ことですが、相手の実際の過去の行動(清張ならば作品)の詳細を相手のまえでそらんじたり、口で再現することができれば、より効果的になる、ということではないでしょうか。

それにしても3人の作家の「清張愛」の凄まじささと言ったら・・。

全作品の一字一句を暗記しているかのごとくの、彼らの記憶が証明していますね。

それほど、松本清張という作家はケタ違いに面白く、魅力的で、それが故に”ツンと澄ました感じこそ文学”という、文学評論界というスノッブ(教養主義的偏見)に受け入れられなかったのかもしれません。

この本は、今となっては松本清張に対しての5人の作家の強烈なレクイエム(鎮魂歌)という意味でも、名著といえるのではないでしょうか。

野呂一郎
清和大学教授

野呂一郎プロフィール


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