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西都市にある光照寺の住職が、松本清張にネタを提供した

吉川英治は、週刊朝日で連載中の「新平家物語」の取材で、下関にある赤間神宮や壇ノ浦を見学しました。
このとき、現在の北九州市の小倉にある朝日新聞西部本社で、松本清張と面会しています。

松本清張は、朝日新聞社の社員で、週刊朝日に掲載された「西郷札」という小説が直木賞候補となって話題となっていました。
小説の舞台は宮崎県で、主人公は元佐土原藩士です。

西南戦争で戦費を調達するために西郷軍は、軍票を印刷してお金の代わりにしました。これが西郷札です。
戦後には西郷札は紙切れとなり、西郷札が大量に使われた延岡では、破産する人が続出しました。
そんな中で西郷札を政府が買い上げるという噂が出て、主人公は一攫千金を夢見て西郷札を買いあさります。
その結果は……。
これは小説を読んでください。

西郷札は、西郷隆盛が宿泊した北川の児玉邸や宮崎県立博物館に展示されています。
松本清張は、どのようにしてこうした「宮崎ネタ」を仕入れたのか、私にとっては謎でした。

「西郷札」が百科事典に載っており、それから物語になるように想像を膨らませたと清張は言っています。
しかしそれだけでは絶対に書けない内容で、協力者がいるはず、と私は40年前からにらんでおったのです。

小倉で松本清張の結婚の仲人をされた方が、宮崎県の西都市にある光照寺の住職となり、この方が清張に地元ネタを提供したそうです。

清張は、西都市を拠点に日向一円を支配した伊東義祐が島津との戦いに敗れて、高千穂を通って豊後の大友宗麟のところに落ち延びていく物語も書いております。(「三位入道」)。

「西郷札」も「三位入道」も初めて読んだときは、松本清張は宮崎県人だと思ったくらいです。宮崎に帰ってきて、長年の謎が解けました。

清張の自伝「半生の記」には、上椎葉ダムが登場します。
小倉で親しかった友人が、椎葉村のダム建設工事で働くことになり、清張にお別れに来ました。
「上椎葉ダムはもう完成しているが、友人の消息はわからないままだ」とありました。

父の話によると、NHKがこの友人を探して、その消息をつかんでいました。
友人は既に亡くなっており、息子さんが番組に出てきて清張に会ったそうです。
松本清張は、椎葉に来たことはありませんが、椎葉村のことを書いているのにはびっくりしました。

吉川英治の後に国民的作家となったのは、まぎれもなく松本清張です。
吉川英治、松本清張と、二人のあとに続く「国民的作家」は、もしかすると「椎葉」に関係する作家かもしれません。

椎葉村では、現在「秘境の文筆家」というプロジェクトが進行中です。

地域おこし協力隊の枠組みを使って、日本三大秘境と言われる椎葉村に移住して、3年以内に作家デビューを目指すというものです。
全国公募して92人が応募し、その中から4人が選ばれました。
秘境の文筆家を指導するのが、直木賞作家の今村翔吾先生です。

もしかすると、椎葉を制するものは直木賞を制すかも。

椎葉平家祭りの駐車場はダムの上につくられる


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