人間の行く先を考えると、退化という一言が気になっている。
先日亡くなった楳図 かずおさんの言葉だ
(先日の『日本経済新聞』朝刊/春秋)。
私も、彼のいわゆる恐怖漫画が
子ども時代の脳裏に刻印されているが、
最近の漫画からは、常に時代の歪みを捉えた
視点が際立っていた。
■「退化」をしても、
これまでのプロセスを見直す
この「退化」の意味を
彼は次のように語っている。
つまり、このまま進化ばかり目指すのではなく、
たとえ「退化」をしても
異なる視点から、これまでの過程を
見直す時代ではないか、と
警鐘を鳴らしているのだ。
しかも、その「瀬戸際」だと。
■経済成長至上主義の限界
あたかも前年を超える成長が
未来永劫繰り返されるかのような
思想を前提とする限り、
いま私たちを覆う
地球温暖化対策、いや沸騰化対策は、
経済の名のもとに有名無実化するのみだ。
高温がもたらす水害で多くの命が
失われているのに、自分たちが立てた
目標値さえクリアできないまま、
熱中症はもちろん、
デング熱の広がりなど、
多方面で高まる命の危険性は見過ごされ続ける。
*
プラスチックも、
紙ストローで誤魔化す時代は終わった。
過剰包装を美徳とせず
大胆な削減に踏み切るべきなのに、
企業利益を優先してできない。
再生プラスチックも同様で、
もっと広げるべきなのに
広がらない。
*
介護従事者の不足に真剣に取り組まず、
患者数の減少で病院経営が赤字化する
事態を放置すれば、人間の尊厳の危機なのに、
その可能性は他国から侵略されることより
高いはずなのに、
GDPの成長率をまだまだ追いかけ続ける。
楳図 さんの言葉通り、
「いい方向」は「見つけ」なければならない。
目の前にあるわけではないのだ。
だから私は、少なくとも、
経済成長至上主義を見直すことを
基本的なテーマに乗せてみる、
そんな「退化」の試みをなすべきだと思う。
それが、楳図さんの本意ではなかったか。
そして、時間は絶望的なほど、足りない。