日本人ライターが英語圏で活躍することは可能か? アメリカ地方紙に17年勤務、日本人記者に聞く
「いつかは海外で働いてみたい」――日本語に比べ、市場規模が圧倒的に大きい英語の世界で、モノを書き、発信することに憧れるライターや編集者は少なくないだろう。
しかし、ネイティブでもないのに、英語で、しかも「言葉のプロ」として勝負するのはハードルが高い。どうすれば、海外でキャリアを築くことができるのだろうか――?
そこで今回は、アメリカの地方紙で記者の経験を積み、現在は日本企業の海外向け広報を支援する「The Pitch Room」の創業者兼CEOの佐藤広子さんにお話を伺った。
日本人はネイティブを崇拝しすぎる
―佐藤さんはボストンの大学でジャーナリズムを勉強された後、17年間、アメリカの地方紙で記者として働いていました。
はい。日刊紙3社で働いた経験があります。ポーツマス市などをカバーするニューハンプシャーの地方紙などで勤務していました。
ニューハンプシャー州はアイオワ州と同時にアメリカ大統領選挙で初めに投票が実施されるところなので、あらゆる政治家が巡業に来ます。大物政治家を直撃インタビューする機会などもありました。2004年には民主党のジョン・ケリー氏を追う番記者もやりました。
―重要な役割をまかされていたんですね。しかし、ネイティブでない日本人が英語で記事を書くというのは大変なことでは?
ボストン在住の日本人の方々に「すごいね」と言われるまで、あまり考えたことがなかったのですが、若気の至りですね(苦笑)。今だったらやらなかったかもしれませんが、若い時は「絶対にできる」と信じていました。
―すばらしいですね。ですが、記事を書くとき、どこまでいっても「英語ネイティブにはなれない」という感覚はないですか?
日本人は盲目的にネイティブを崇拝する傾向にあります。アメリカ人は、例えば文法が不得意な人が多いことで知られていますし、文章力も人によってかなり違う。私がアメリカ人の記者が書いたものを直す作業をしていたこともあります。
私は帰国子女でもなく大人になってから渡米しましたし、もちろん今でもネイティブとまったく同じというわけではありません。ただ、何をもって「ネイティブと同じ」というのか、という疑問もあります。日本人らしいミスでなく、ネイティブと同じような文法の間違い方をしたら同等とみなされるのか?
私はネイティブ記者しかいない環境で働いてきましたが、上司も同僚も、他と比べて私の文章力はとりわけ秀でていると高く評価してくれていました。特に表現力や「刺さるリード」を書く力などが認められていたと思います。そういう意味では「ネイティブの壁」を大きく超えていました。
文章力と受験的な英語力とは別ですし、書くことが好きならトライするのが良いと思います。
英語ができても・・・ 苦境に立つ米国ライター
―ライターの仕事は楽しいですが、日本語に縛られるので、日本の将来が危ぶまれる中で、日本の媒体と共倒れするような危機感があります。その点、海外に出て英語で活躍できればいいな、と思うのですが・・・。
日本の経済が悪化してメディア業界が廃れるから、他の言語でも編集やライティングができなければならない、と考える必要はまったくないと思います。
実はアメリカの新聞業界の廃れ方は日本とは比べ物にならないほどひどい。英語で記事を書けるからといって、ライターとして食べていけるということはないんですよ。
実際、私が新聞記者を辞めた時、まわりの記者からは「辞めるの? いいなあ」という反応しかありませんでした。辞めてもなんとか身を立てていけるだけの方法があるというだけで、羨ましがられたんです。
記者はみんな火事場から身を投げ出すように辞めていく。今、新聞業界に残っている人たちは、正直これから何をしていいか分からないだけなんですよ。
―英語で記事を書けたとしても、仕事としてやっていける可能性は減っているということですか?
新聞記者など、トラディショナルな意味での「ライター」ではもう無理ですね。相場は正直よく分からないんですが、まわりのフリーランスの人たちからは、「これでは食べていけない」という話をよく聞きます。
ライター業は外から見るとキラキラして見えるから、参入者も多いですよね。質を問わなければ、いくらでも安い人が見つかるので、大手メディアなどではライターが名前を掲載してもらう代わりにインターンのように使われてしまうケースもあります。これは日本も同じような状況かもしれません。
―テック系、ライフスタイル系メディアのライターや編集者はきらびやかに見えたりしますけど、実際は厳しいんでしょうか?
そういうメディアに就職できれば生活できるのかもしれませんが、メディアも日々変わってきています。例えばテレビでも、アメリカの3大ネットワークのうちABCは、テレビであるにも関わらずスクリプトが「読み物」としてもすばらしく、ジャーナリズムの観点から尊敬されてきたんです。
そのABCで、現在夕方のニュース番組でアンカーを務めている人は、話し方を端折って、まるで見出しを読んでいるような口調が若者に受けてブレイクしました。それからABCの口調は、すべて「見出し」調に変わりました。これは見出しだけ読んで中身をきちんと読まないという、今のオーディエンスの文化を反映していますよね。
つまり、効果的な伝え方がどんどん変わってきているんです。ライターもトラディショナルできちんとした書き方にしがみついて、それを捨てられないような人は生き残れないでしょうね。
「ライター」を再定義し、キャリア再出発
―そういう状況の中で、佐藤さんは新聞記者を辞めて「The Pitch Room(ピッチルーム)」を立ち上げました。どんなビジネスですか?
日本企業が海外進出する際、また海外向けに情報発信する際の、英語での広報をサポートしています。
例えば、英語のプレスリリースを書いて配信したり、Webサイトの文や広報資料を英語で作成したり。ほかには投資家向けのピッチのサポートもやっていて、英語のスライドやプレゼン資料の作成、ピッチの仕方の個人指導なども手掛けてます。
―英文記者としての経験とスキルが活かされていますね。
プレスリリースなど、私はもともと受け取る側だったので、どのようにすれば受け手に見てもらえるかが分かります。メディアと連絡を取って、興味を持ってもらえたらインタビューをセットアップしたりもしています。
基本的に日本語の「翻訳」ではなくて、クライアントが伝えたいメッセージを理解した上で、イチから書くというやり方です。日本企業の英文Webページを見ると、「どうしてこうなるんだろう?」と思われるほど不自然な英語になってしまっているケースがよくある。それは日本語センスに基づいた翻訳になってしまっているからなのだと思います。そこは英語のセンスで自然に伝えるスキルが必要です。
―記者からPR的なお仕事への移行の中で、迷いや葛藤はありませんでしたか?
記者が企業のPRに流れるというのはよくあることなんですが、記者たちは「あちら側に行く」と言い方をしていました。昔は「あちら」に渡ったら、倫理的に「こちら」に帰るべきではないというような考え方もあったんですが、最近ではもうそんなことも言っておられなくなり、「あちら」と「こちら」を行ったり来たりする人も出てきましたね。
一方、私は常々「もっと型にはまらず、自由な表現を使ってもいいのではないか?」と思っていました。もともと自分自身を「ライター」ではなく「コミュニケーター」と認識していたし、アメリカの新聞業界が廃れていく中で、新聞記者としてやりがいを感じられなくなってきていた。その時、「日本のために自分のスキルを役立たせる道がある」と気づいて今のビジネスを始めたので、すっぱり移行できました。今は自分のスキルが本当に日本企業の役に立っているという実感があります。
―今後、日本経済が沈みゆくとすれば、日本企業を支援しているという点で不安はありますか?
日本企業がなくなるわけではないので、需要は常にあると思います。逆に日本市場が縮小していく中で、日本企業は海外に進出していくしかないので、チャンスは広がるのではないかと。特にスタートアップ企業は海外進出に意欲的で、一緒にお仕事をするのがすごく楽しいです。スタートアップ支援は自分の性格にも合っているな、と感じています。
「最低限」のスタートライン、なんてない
―日本でライターをやっていて、佐藤さんのように海外で活躍したいと思っている人は結構いると思うんですが、二の足を踏んでしまうんですよね。
英語でモノを書くにしても、スポーツにしても、「やろうと思ってできない」ことはないと思います。特に英語の場合、やってみるまで自分にできるかどうかは分からない。漠然と「海外に出たい」というよりは、はっきりした理由や目的はあるべきだと思いますが、自分のやりたいことにパッションを感じているなら、それはもうやるしかないと思います。
―英語の世界でスタートラインに立てるような「最低限のプロのレベル」を知りたいと思ってしまうのですが・・・。
「最低限」のモノサシが知りたいという気持ちは分かりますが、実際にモノサシはないんですよね。最低限も最上限もない。
私は英語でものを書く世界に入りましたが、今振り返ってみて、どこが最低限だったかはなかなか分からない。そもそも、この仕事を語学力の面から測るような考え方はまったくありませんでした。
それに、どこまで書ければお金がもらえるレベルなのかも分かりません。例えば、英語のライティングの経験がほとんどなくても、メディアに情報提供するだけで貢献できる場合もある。他に生活する手立てがあるのなら、どこかでライティングのトレーニングをしてもらいながら、この世界に飛び込むことだってできるわけですよね。もう「やるしかない」としか言えない。
―たしかに、僕もライターに仕事を依頼する立場として、「この人はこれだけのレベルを満たしているから発注する」というようなことはしていないですね。
結局、「最低限」は自分で決めることではなくて、受け入れてくれる側が決めることなので、受け入れ側さえよければ、どのレベルでも始めることは可能です。これはライティングだけではなく、すべての仕事に通じることではないでしょうか。
―自分で最低ラインを決めるな、と。なにごとも思い切って飛び込むマインドセットが必要ですね。今日は貴重なお話をありがとうございました。
編集者/Livit代表 岡徳之
2009年慶應義塾大学経済学部を卒業後、PR会社に入社。2011年に独立し、ライターとしてのキャリアを歩み始める。その後、記事執筆の分野をビジネス、テクノロジー、マーケティングへと広げ、企業のオウンドメディア運営にも従事。2013年シンガポールに進出。事業拡大にともない、専属ライターの採用、海外在住ライターのネットワーキングを開始。2015年オランダに進出。現在はアムステルダムを拠点に活動。これまで「東洋経済オンライン」や「NewsPicks」など有力メディア約30媒体で連載を担当。共著に『ミレニアル・Z世代の「新」価値観』。
執筆協力:山本直子
フリーランスライター。慶應義塾大学文学部卒業後、シンクタンクで証券アナリストとして勤務。その後、日本、中国、マレーシア、シンガポールで経済記者を経て、2004年よりオランダ在住。現在はオランダの生活・経済情報やヨーロッパのITトレンドを雑誌やネットで紹介するほか、北ブラバント州政府のアドバイザーとして、日本とオランダの企業を結ぶ仲介役を務める。
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