映画感想文 『八甲田山』と『動乱』
1902年1月に起きた陸軍の八甲田山雪中行軍における遭難事故を描いた『八甲田山』(原作 新田次郎)という映画がある。監督は森谷司郎。そして1936年に起きた2・26事件を描いた『動乱』の監督も森谷司郎だ。片や日露戦争直前に起きた陸軍の遭難事故を描いた映画であり、片や日中戦争の前年に起きた陸軍若手将校の反乱を描いた映画である。時間にして34年の隔たりがある。しかし、この二つの出来事には共通した陸軍の組織的欠陥が関わっていると映画は指摘している。
八甲田山の雪中行軍の失敗の原因は、厳しい天候にもあったが、部隊の意思の疎通の悪さにあった。特に上層部が下の意見を聴こうとしなかった。基本的に軍隊はトップダウンである。確かに、あまり安全策を取っていたのでは、日本以上に寒さの厳しいロシアの雪原の行進に対する訓練にはならないという上層部の言うことも一理あると思う。しかし、死んでしまっては元も子もない。精神論だけでは、自分自身は動かせても、他者は、ましてや自然は動かせない。今風の言い方をすれば現状認識に甘さがあったということになろうか。冬の八甲田の厳しさに対する認識、それに似合った兵員、装備、行程、指揮系統になっているかどうかの認識、その両方が甘かった。彼を知り己を知れば百戦殆うからずというが、そのどちらも不十分であった。部下の意見にも耳を傾けて現状を確認しようとする考えを持たなかった上層部の責任が重いと思うが、中間管理職に責任はなかったのか。上層部を説得する方法はなかったのかは気になるところではある。
幸か不幸か、日露戦争、第一次世界大戦と負け知らずで来てしまったために、陸軍の欠陥は34年後の昭和まで温存されてしまった。現状認識の甘さを精神論でカバーしようとする時代錯誤。それは上層部だけでなく、中間管理職にもなかったとはいえまい。クーデターの目的と手段の乖離が甚だしかった。武力だけで人の心が、ましてや国が動かせると思ったか。天皇親政を目指したのに、その天皇の逆鱗に触れ、反逆者の汚名を着せられることになる。
上と下が一本道でつながっているように見えても、所詮は一方通行。下から上行く道はなく、ただ上から一方的に押し付けられるか、吸い上げられるかだけである。
組織が大きくなればなるほど、意思の疎通の悪さの問題は重要になってくる。むかしだけの話とは言えまい。あちらの組織でもこちらの組織でも上の人間が頭を下げている。自分の責任にどれだけの自覚を持っているかわからないが・・・。
映画の話だか、歴史の話だかわからなくなってしまったが、この2本の大作を見比べて見るのも面白かろう。