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読書感想文『畜犬談』追加(ネタばれ必至!)

 先日投稿した太宰の『畜犬談』について、蛇足と思われるかもしれないが、若干の追加をしたい。
 『畜犬談』に出てくる犬を「軍人」と書いたが、それに加えて、「憲兵」という意味もある。「憲兵」というのは、軍隊内の警察のようなものだが、次第に一般人に対しても目を光らせるようになり、志賀直哉や菊池寛も目を付けられていたようだ。犬のようにどこへでも付いて来るというのは、憲兵による監視を意味している。学生時代に左翼運動をしていた太宰はプロレタリア文学にも傾倒し、警察に2度も捕まり、兄による説得の結果、転向している。しかし、その後も憲兵の目は光っていたに違いない。その経験から、憲兵のことを国家権力の「犬」と嫌い、そして、怖れていたのだろう。
 1933年、昭和8年にプロレタリア文学の騎手、『蟹工船』の小林多喜二が拷問の末、虐殺される。(こちらは特高)それによって転向者が続出する。太宰はそれより以前に転向しているのだが、殺されるまで転向しなかった多喜二と、安々と転向した自分自身との比較は、太宰の心に深い傷を負わせたであろうことは容易に想像できる。
 飼い主でさえ、安心はできないというところは、1932(昭和7)年に、時の首相「犬養」毅が、陸軍将校たちに暗殺された5・15事件のことを暗示しているように思われる。飼い犬に手を噛まれるどころか、嚙み殺されてしまったのである。
 「ポチ」として登場する、中国国民党主席であり、軍人でもある蒋介石は、日本に留学の経験もあり、親日家で、犬養とも親交があったらしい。日本軍は嫌っても、日本人は嫌っておらず、日本軍よりも中国共産党を嫌っていたらしい。日本軍は、たかが皮膚病だが、共産党は深刻な心臓病だという発言の真意はそこにある。
 『畜犬談』にも狂犬病(恐水病)の記述があるが、当時の軍隊は狂犬病にかかった状態だったというのが、太宰の認識ではなかったかと思う。(私の言う「A型の切れた状態」)

 前回と今回の『畜犬談』に関する解釈は、私がネットで調べた限りでは、他の誰も述べていない。私個人の見解ではあるが、それなりの自信はある。(笑)


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