エッセイ 古き良き、永遠の友よ
私は吉田拓郎のファンです。拓郎の歌に『我が良き友よ』(1975年)という異色の歌があります。どこが異色かといえば、この歌は作詞も拓郎ですが、拓郎が自ら作詞した歌には抽象的な歌詞が多い中で、この歌は極めて具体的な歌詞です。大学の先輩の話をモチーフにしたらしいのですが、時代背景もかなり古いです。(1950年前後かと思う)なぜこんな歌を作ったのか、 私なりに考察してみたいと思います。
この歌の鍵になるのは3番。
「男らしさと人が言う お前の顔が目に浮かぶ 力づくだと言いながら 女郎屋通いを自慢する ああ夢よ良き友よ 時の流れを恨むじゃないぞ 男らしいは優しいことだと 言ってくれ」
「女郎屋」というのは売春婦を置いている店のことですから、売春防止法の制定される1956年以前の話だということがわかります。雰囲気的に五木寛之の『青春の門 自立編』に近いかなと思います。東宝版の映画の中で、伊吹信介役の田中健が、早稲田大学の講義に、下駄をカタカタ鳴らしながら教室に駆け込んできて、教授ににらまれるというシーンがありましたし、新宿2丁目に通い詰めて性病をうつされるなんてところもありました。
ただこの歌に出てくる友人は、本当は女郎屋通いなんかしていなかったんじゃないかという気がします。見かけは弊衣破帽で男っぽいんですが、心根はすごくナイーブで優しくて、女性が苦手なんじゃないかと思うのです。しかし、優しさを決して表には出さない。ましてや売り物になんかしない。むしろ、わざと悪ぶって、力づくで(お金で)女郎を抱いているんだと、うそぶいている。本当は女郎屋なんか行っていないのに。本当の男らしさってのは優しいことなんだよな、そのことをお前の口から、今の若い軟弱な男たちに言ってくれよ、と訴えているのではないでしょうか。それがまた拓郎自身が言いたかったことではないかと思います。
この歌の作られた1975年頃は、だんだん女性の社会進出が進み、男が軟弱化し、優しさを売り物にする傾向が現れてきた時代だったと思います。女にふられてめそめそしている歌も増えてきました。この歌を通して拓郎は言いたかったんだと思います。男女平等、男女同権は大いに結構だけども、男と女は違うでしょ、同じじゃないよねって。そこの違いはちゃんとお互いに確かめ合わなきゃいけないよねって。そして拓郎はかまやつひろしの中に、古き良き日本の男の姿を見ていたのかもしれません。