園長先生からのエール

昨日のオンライン・ボディメンテナンスのクラス時に
「Nori先生、右の腕から肩にかけて痛みがあるんです」とメンバーさんから
声をかけられた。
私も去年の暮れから同じ症状があり、レッスンが辛くなっていたので気持ちはよ~くわかる。四十肩という言葉で片付けられてしまいがちなのだが、年齢の症状として終わりにしてしまって良いものだろうか?と疑問。
私は医者に通っても湿布と安静にすること、定期的にかよって患部に電気を当てることに嫌気がさし・・・通院をやめた。

全クラスを一旦、閉めよう!

自分でも思い切ってみた。収入は0になるが、これ以上痛みを堪えて笑顔で
レッスンをしている自分が嫌だったからだ。「さぁ!フィットネスで健康により豊かに!」と言える状態ではないし、忙しさにかまけて身体のメンテナンスを怠った自分を苦しめることはできなかった。

メンバーさんからの「どうすれば痛みを改善できますか?」の問いに一通りのメンテナンス方法をレクチャーしてはみたが、もっと簡単で気が付いたときにササッとできる方法はなんだろう?と考えていた。
咄嗟に出た言葉は
「お風呂の中でも、くつろいでいる時でもいいのでご自分の身体に触れながら ”いつも、ありがとう” と声をかけてみて下さい」だった。
自分でも何でこの言葉がでたのか?レッスン後もずっと考えていた。


私は結婚をして双子を出産。24時間営業のコンビニ状態の生活から育児ノイローゼになったが、周りの人達に助けてもらいながら自分も成長していった。月日はあっという間に流れ、子供たちの入園し、お迎えまでの数時間ではあるが自分の時間が持てるようになった。
この時間は実家の会社を手伝っていた。少しばかりのお小遣い稼ぎにもなる。
私はいつものように実家に・・・しかし、どうも様子がおかしい。
社員さん全員が会社の外に出ている。ただ茫然と空を見上げている人もいれば、電話している人もいる。女性社員さんたちは困惑した顔で何やらコソコソと話している・・・。
驚きの光景が目に飛び込んできた・・・母がいつもクリーニングをお願いしている業者さんに土下座をしていた。
嫌な予感しかしなかった。
私はどうして良いのか全く分からなかったが、とりあえず「行かなきゃ!」だった。
いつもどおり、父がいる社長室に入った。
「ね?お父さん!いったいどうしたのよ?何があったのよ?なんで・・・」
と言いかけると同時に父は私にクルクルと丸めてある紙とガムテープを渡した。
「のり、今日で会社は終わったんだ。今までご苦労さん・・・」
丸めてあった紙を広げてはじめて事態が呑み込めた。
紙には「公示」と太く大きい文字が最初に書かれてあった。内容は今日からここの敷地内の物を無断で持ち出すことを禁ずる・・・のような感じだったような。最後の「破産管財人〇〇」と弁護士さんの名前が書いてあった。
破産なのだ。倒産したのだ。
数週間前から父の行動を不審に思っていた。突然、私の家に来ては自分の大切な本や楽器(サックス)を子供達にと置きにくるのだ。
こんな状況になるとは思いもしない私は「お父さん、置く場所ないし・・・いらないよ!」と断っていた。
今思うと、父はこの時に ”会社が潰れること” を覚悟していたのだろう。
父が一人で築き上げた小さいながらもご近所に愛される「街の水廻りの専門店」、創立30年の会社だった。思い出しても胸が痛む。もっと私ができることはなかったのだろうか?
ひとり泣きながら、後ろの倉庫一つ一つに「公示」を貼る。
兄が私のところに来た。兄は父の跡を継ぐために一緒に働いていた。
「ま、こうなったんだ・・・しばらくは俺はこっちに残るから」
残るから・・・のあとに続く言葉は、「安心しろ」だとわかった。
子供達のお迎えの時間が迫って来る。
笑顔で「おかえり!」が言えるかな?
「ママ、目が真っ赤だよ~」って言われちゃうかな?
大きく深呼吸をして、園の門扉を開けた。子供達が大きく手を振って待っている。駆け寄って二人をギュッと抱きしめた・・・自分を安心させるために。

娘の身体が熱い。抱きしめて頬ずりして気が付いた・・・
「もえちゃんのお母さん!今日ずっとお咳が止まらず苦しそうでした。お熱を測ったのですが、その時は平熱だったのでご連絡は控えたのですが、様子を見てあげてください」先生は心配そうだった。
「そうでしたか、ちょっと熱がありそうなのでこのままお医者さんに連れて行きます」

どちらかが風邪をひくと、必ずもう片方にもうつるのだ。これは何も双子に限らず、兄弟がいれば仕方のないことなのだろう。

「喘息ですね」病院の先生は丁寧にレントゲンの写真で説明してくれた。
新居への引っ越し、入園、慣れない新しい環境・・・大人にだってストレスなのに小さい子供にとっては尚更心労もあったのだろう。
「もえ、ごめんね・・・苦しいよね」喘息にしてしまったのは私の責任だとこの頃は自分を責めてばかりいた。
夜、寝かしつけると咳が止まらず・・・娘を抱っこしながら椅子でふたりで寝たこともあった。
娘の世話で実家の倒産のことを紛らわせていた自分でもあった。

娘の喘息も不安定ながらも落ち着いてきた頃、私は実家に食料をもって足を運んでいた。しばらくの間は電話での対応、お客様への謝罪、工事の引継ぎなどの処理に父、母、兄で対応していた。
私ができることは食べ物を運ぶくらい・・・電気、ガス、水道もそのうち止まってしまうだろう。
実家の駐車場でいつも深呼吸をして、車から降りる・・・
「玄関の扉を開けて三人が首をつっていたら、どうしよう・・・」
玄関のドアのぶを回すのが本当に本当に怖かった。
どうか、生きてますように!!!と覚悟を決めて扉を開けていた。
「おはよう!」の声が聞こえると、足から崩れ落ちそうな安堵感だった。
生きていてくれて、ありがとう・・・心から思った。
こんな状況の中でも父や母は孫のことを愛してくれる。
「双子は元気か?」と父は前よりも少しだけ穏やかな感じがした。
娘の喘息のことを一通り話すと
「黒板のチョークの粉は体に悪いんだ!あの白い粉は肺をダメにするんだ!」と言うのだ・・・本当か?
今ではインターネットで何でも検索でき確かめることができるが、当時はテレビでの噂や人からの入れ知恵志向が強く ”そうなのだ” とすぐになってしまう。
でも・・・確かに幼稚園に黒板はあるけど、粉が飛び散るほどの板書はしていないようだし・・・
「あぁ!園庭に引かれるラインの粉かも・・・」運動場にコースを引く時に白いラインパウダーのことだ。最近、運動会の練習があり園庭にはこの白い線がやたらと引いてある。
ここまで来ると、人は悪いほう悪いほうに考えてしまう。そして、怒りの感情に変わっていった。
「お父さん、私・・・園長先生に掛け合ってくる!」

私は予めアポを取り、園長先生にお会いした。
何としてでも娘を守るため、白いラインパウダー使用禁止!をお願いしなくては。この頃は「モンスターペアレンツ」なんと言う言葉がなかった為、モンペの会員ではなかったが、今だったら会長の座に君臨していたかも。
親というのは子供を守るために、恥も外聞も捨てられるのかもしれない。この時の私はとにかく必死だった。

「お入りください」ドアの向こうで、やわらかい園長先生の声がした。
「こんにちは。いつもお世話になっております。もえの母です」
園長先生はにっこり微笑んで椅子におかけくださいと促した。
座ると同時に私はこみ上げてくる怒りを押し殺しつつ、ゆっくりと話し出した。
「娘が喘息になりまして、いろいろと原因を考えたのですが・・・園庭に引かれる白い線の粉が良くないと思いまして、使用を控えて頂きたくお話に伺いました。あれは安全なものなのでしょうか?」

「そうでしたか、もえちゃんが苦しい思いをなさったんですね。まずはラインパウダー(白い粉)ですが、安全な物を使用しておりますのでご安心ください。心配でしたよね・・・我が子を守るためのお母さんの深い愛情を感じます。ご指摘頂き、ありがとうございます」
園長先生の優しい声のトーンが私の心のイガイガを包み込むようだった。

何故だかわからないが、私の頬に涙がポロポロとこぼれた。

「ごめんなさい。私・・・なんだろう?なんだか、おかしいですね」

「いいんですよ。何かご事情があるんだろうな・・・とはお部屋に入って来られた時から感じてました」

「最近とても疲れていて。色んな事が重なって余裕がないんです。喘息の件も何かの誰かのせいにしたかったんだと思うんです。先生、ごめんなさい」
ごめんなさいを言った途端、気持ちがスーッと軽くなった。この後、お忙しい先生を引き留めてしまったのにも関わらず先生は最後まで話を聞いてくださった。

「そうでしたか、ご実家のこと大変でしたね。実は私の実家も商売をしていて資金繰りが上手くいかず倒産したんです。ある日、母が私の手を引いて歩道橋の上で ”このままお母さんと飛び降りちゃおうか・・・”って私に聞いてきたんです。小さいながらも飛び降りたら死んじゃう!ってわかっていたから ”いや!死んじゃうの嫌!” って母の手を振りほどいたんですよ。
母は泣きながら謝ってました。そのあと、そこから見た夕日がとてもきれいでね・・・母と ”きれいだね” って言いながらずっと見ていました。
この時からね、生きていられることに感謝するようになりましたもの」

この時、私は話を聞きながら溢れ出す涙を止められずにはいられなかった。

先生は続けた・・・

「今の私の習慣なんですが、お風呂に入った時にね身体全ての部分に
”ありがとう” といって手でさすってあげるんです。今日も頑張れたのはこの身体のおかげだから、丁寧に丁寧に声をかけるんです。不思議ですが身体が喜んでるな~って感じるんですよ。
お母さん、もっとご自分を大切になさってください。お母さんが泣き顔じゃ、お子さんが心配しますよ♪」


レッスンで咄嗟に出た言葉・・・

「お風呂の中でも、くつろいでいる時でもいいのでご自分の身体に触れながら ”いつも、ありがとう” と声をかけてみて下さい」だった。
自分でも何でこの言葉がでたのか?レッスン後もずっと考えていた。

園長先生からのエールを今度は私が誰かの心に届ける番なのだ。

今の私にできること・・・
小さな小さなエールかもしれないが、このバトンを誰かが、また誰かが渡して大きなエールの輪になることを私は心から願っている。

心の穴は誰かが埋めればいい、決してひとりではない。
今日もどこかで誰かが、誰かの心に明るい灯をともしているから。

必要な方に届きますように・・・愛と感謝を込めて♡

Nori






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