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11/15_家族との別居期間1年を経て感じる自分自身の変化について①

私自身のモラハラ言動が原因で妻と子どもたちと別居するようになって、はや1年が経過した。
別居するようになってから、私の過去の言動が、自分自身の心にくすぶっていた愛着やトラウマが原因だということが分かり、ずっとその問題を克服すべく立ち向かってきた。

それから約1年が経過し、ようやく自分自身で変化を感じることができるようになり、カウンセラー等の第三者からも同様の変化を認めてもらえる状況が増えてきた。
今日は私におきたそんな「変化」を記録していこうと思う。

「いまの状況を何とかしなくてはならない」という焦りが和らいできたこと

家族と別居することになった当初は、その現実を受け入れることで精一杯であるとともに、別居という状況を何とか打開しなければという焦りに駆られてしまっていて、一日のなかでそれだけしか考えらない日々が続いた。
ただじっとしているだけで涙は止まらないし、不安に立ち向かうために何とかしてやろうとありとあらゆる方法に手を出していた。

その状況は1年近く続いた。周りの人は「時間が解決してくれる」とも言ってくれたが、当事者である私には時間よりも、道徳観や理屈で何とか解決しようとする思いが勝っていたのだと思う。
そんな私の焦る姿は、私たち家族を支えてくれている人たちにとっても同様に負担を強いていた。

家族との別居に前向きな意味づけができるようになる

でも別居となり1年を迎えようとしたころから、徐々に焦りの感覚は和らいできて、別居しているという苦しい状況に対しても、前向きな意味づけができるようになった。その意味づけとはこんな具合である。

  • 私がかかえる愛着やトラウマの問題を克服できれば、子どもたちにもきっと会える。だからいまは自分の問題にしっかり向き合おう

  • 別居によって私には育児や家事をしない時間的な猶予を与えてもらっている。そのことに感謝をしつつ、自分の問題を克服することで恩返しができるのではないか

  • いまは妻も私も過去の傷から回復をしている途上にいる。回復はそれぞれのペースで進めたいから、距離を置いた方が結果的によいのでは

いままではこんなことが頭では分かっていたけれど、心で受け入れることができなかった。でもこの数か月で自分なりに「別居」を前向きに解釈できるようになり、自分のなかで気持ちがスッと楽になっていることに気づいた。

なぜ前向きな意味づけができるようになったのだろう

妻や4歳手前の息子と会えない、4月に生まれた生後半年になる娘ともまだ会えていない。私を取り巻く環境は客観的には絶望と見えるだろう。
でも私は必ずしも絶望だけではないと思えるようになった。その理由は色々ありそうだけれども、もっとも大きなものは以下だと思っている

  • 焦っている私に対して、新しい趣味でも見つけて家族のこと以外を考えた方がいいという周りの人からの助言の意味を受け入れることができたこと

私たち家族を客観的に見てくれて、応援してくれている人たちはこぞって私にこう言ってくれた。
でも私には「言うは易く行うは難し」だった。とにかく家族のことだけで頭がいっぱい、それ以外のことを考えている時間そのものが苦だった。

そんな時に、先日私の育ての親である養育里親の母が言ってくれたひとことが私には刺さった。
「私が焦って家族のことしか見えていない状況は、周りの人、特にパートナーである妻にとっても負担になる」
いままではそんな言葉の意味を受け入れるのにも時間がかかっていたけれど、その時は妙にすんなりと受け入れることができ、自身も心からその助言に腹落ちをしたのを覚えている。
私の家族は、夫であり父である私が自分の抱える問題を乗り越えることで安心をしてくれる、乗り越えることでまた家族として再出発だってできるのではないか。心の中でそう整理できたことが、前向きな意味づけにつながっているのだと思う。

そして前向きな意味づけができるようになってから、驚くほどに自分に変化が起きてきた。
その変化とは、精神的なものから身体的なものまでさまざまに及んでいる。
詳細は後日またnote上に記録として書いていきたい。


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