磯崎新の「都庁」― 戦後日本最大のコンペ (平松 剛)
(注:本稿は、2023年に初投稿したものの再録です。)
知人のSNSで紹介されていたので気になった本です。
磯崎新さんについては著名な建築家という程度しか知りませんが、昨年(2022年)暮に訃報が流れ、改めてその人となりの一端なりともたどってみようと思いました。
本書は、現都庁建築時のコンペの場を舞台に、磯崎さんの魅力的な人物像と彼を取り巻く様々な人たちとの営みの様を描き出しています。
まずは舞台となった1985年に行われた新宿新都庁舎コンペ(設計競技)についてです。
本書で詳述されている鈴木俊一東京都知事(当時)と丹下健三氏との関係を踏まえると、多くの人々は “出来レース” として仕立てられていたのだろうと考えていたようです。
そういった完全アウェイの舞台で、磯崎さんは自らの師でもある “巨大な壁” に向かって突進していったのです。
磯崎さん自身、こう語っていました。
こういう環境下で、当の丹下健三氏は着々とコンペ案の作成を進めていきます。「第一・第二本庁舎」のデザインを固め、隣の街区に「広場」と「都議会議場」を配置。庁舎と広場とを「空中回廊」で結びました。
基本の軸線に乗った “自分だけの空間を作りたい” というのが、丹下氏の強い意志でした。
ただ、これは丹下氏の “我欲” の顕れと捉えるべきではないでしょう。彼の卓越した “全体構成力”の発露であり、彼が抱いていた “建築の意味への信念” によるものだったのだと思います。
1986年4月7日、新都庁舎コンペ審査結果が発表されました。審査員の一人が明かした審査過程によれば、審査は「減点消去法」で進められたとのこと。
そして、当然のごとく丹下健三事務所案が一等に選定されました。しかし、それは丹下氏が目指していた “ぶっちぎり” の評価ではなく、予想外に僅差での決着でした。
2005年、丹下健三氏が亡くなった際の追悼文に、磯崎さんはこう記しました。
さて、本書を読み通しての感想です。
磯崎さんが “建築家” として脚光を浴び始めた1960年代と、都庁コンペがひらかれた1980年代を往還しながら数々のエピソードが語られていきます。
その時代感の相違や人間関係・師弟関係の妙がとても面白く、密度の濃いとても刺激に満ちた著作でしたね。