ガラスの地球を救え ― 二十一世紀の君たちへ (手塚 治虫)
アトムのメッセージ
手塚治虫氏(1928~89)は、言うまでもなく、戦後日本の漫画界をリードした漫画家・アニメーション作家です。
本書は、その手塚氏が残した未来へのメッセージです。
そこには、手塚氏がひたすら描きつづけた世界と、それに拘り通した熱い想い、切実な危機意識がつづられています。
(p13より引用) 思えば、『鉄腕アトム』を描きはじめた昭和二十六、七年ころは、ものすごい批判が教育者や父母から集中し、「日本に高速列車や高速道路なんて造れるはずがない」とか、「ロボットなんてできっこない」とか、「荒唐無稽だ」などと大いに怒られ、「手塚はデタラメを描く、子どもたちぼ敵だ」とまで言われたほどでした。
ぼくはそれでも描きつづけたわけだけれど、批判の猛烈な嵐の中でも、我慢しながら描きつづけることができたのは、たとえロボットの激しい戦いを描いていても、ぼくは自然に根ざした“生命の尊厳”を常にテーマとしてきたからだと思います。
生命のないところに未来はない。それなのに地球はいま、とんでもない危機に見舞われています。
手塚氏の代表作である「鉄腕アトム」。漫画としての最初の連載は1952年に開始されました。その後、1963年からテレビアニメとして登場しました。
そのアトムに託した手塚氏の想いです。
(p22より引用) これまでずいぶん未来社会をマンガに描いてきましたが、じつはたいへん迷惑していることがあります。というのはぼくの代表作と言われる『鉄腕アトム』が、未来の世界は技術革新によって繁栄し、幸福を生むというビジョンを掲げているように思われていることです。
「アトム」は、そんなテーマで描いたわけではありません。自然や人間性を置き忘れて、ひたすら進歩のみをめざして突っ走る科学技術が、どんなに深い亀裂や歪みを社会にもたらし、差別を生み、人間や生命あるものを無残に傷つけていくかをも描いたつもりです。
ロボット工学やバイオテクノロジーなど先端の科学技術が暴走すれば、どんなことになるか、幸せのための技術が人類滅亡の引き金ともなりかねない、いや現になりつつあることをテーマにしているのです。
これはちょっと意外でした。
機会があれば、改めて「鉄腕アトム」を読み返さなくてはなりませんね。
21世紀の君たちへ
「鉄腕アトム」を読んで感じられるのが、アトムの純粋な正義感と時折垣間見られる寂しさです。
(p28より引用) アトムも人間の中にあっては、“差別される子”なのであって、“ふつうの子”ではありません。けれども、信念を持って行動し、決してあきらめたりしない。ときには、どう考えても勝ち目のなさそうな相手にも、ぶつかっていく子として描いています。
手塚氏は、自らが「いじめられっ子」だったと言い、小さい頃は劣等感のかたまりだったと言います。それだけに、未来を担う子どもに対しては、優しく温かい目を向けています。
(p59より引用) 一見、大人の目から見てダメに見える子どもの中にも、大人の眼力がないために埋もれたままになっている何かが必ずあるはずです。
また、手塚氏は、子どもの持つ限りない可能性を心から信じています。
(p155より引用) 危険はすべて排除されるかわりに、失敗は許されない。それでは子どもは大きくはなれません。
いろいろな挑戦をさせ、たとえ失敗しても抱きとめるゆとりのある社会、そして再度チャレンジ精神を子どもが培えるような文化状況を、ぜひともつくりたいと思います。
本書のタイトルは、「ガラスの地球を救え」。
この本には、「なんとしてでも、地球を死の惑星にはしたくない」という手塚氏の最期の想いがこめられています。
(p135より引用) ぼくたちが子どものころに駆け回った野山、林をふきわたる風の音、小川に群れていた魚たち、どこにでもいた昆虫、そして無造作なほど咲きほこっていた草花-。いまは失われてしまったそれらは、しかし、決して取り戻せないわけではないのです。
その気にさえなれば、いまならまだ間に合うのです。たとえ、すべては戻ってこないとしても、少なくとも今宵の月、明日の青空だけは、もう失いたくありません。
今からでもできることは、いくらでもあります。
そして、そのために「IFの発想」。
(p168より引用) 自分以外の人の痛みを感じとるには、想像力が必要なのです。
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