ソクラテス われらが時代の人 (ポール・ジョンソン)
(注:本稿は、2016年に初投稿したものの再録です)
以前、「ソクラテスの弁明」をはじめとして何冊かプラトンの著作を読んでいるのですが、書評によると本書は、プラトンが伝えるソクラテス像にこだわらず “等身大のソクラテス” を描き出したとのこと、これはちょっと興味がわきますね。
本書で試みられた著者の推論は、ソクラテスと同時代の人物の評伝や彼らが残した著作・芸術作品が語る “当時のギリシャの世相” の中にソクラテスを位置づけ、その人物像や思想の意味づけを明らかにしていくというものです。
そういったソクラテス像の中から、私の興味を惹いたものをいくつか書き留めておきます。
まずは、喜劇作家アリストファネスがその作品「雲」においてソクラテスを風刺の対象としたことを捉えて。
もうひとつ、こちらは、よく語られている有名な「ソクラテス裁判」に臨んでのソクラテスの姿勢について。
この裁判は、ソクラテス自身、自らの信念を貫徹したことで悲劇的な結末を迎えます。
ソクラテスは、自ら悪を甘受することにより、後世の人間に大きな教訓を残したのでした。
さて、“ソクラテス”といえば誰もが「哲学者」の代表的人物として思い浮かべると思いますが、著者は「哲学者」を2つの類型に区分しています。
そして、著者は、「ソクラテスの哲学の方法」をこう要約しています。
この「よく考えられていない」部分を「改めてしっかり考える」ためのソクラテスが説く思考の方法が、「無知の知」をベースにした “対話(Socratic dialogue)”というプロセスでした。
「自分の力で考える」ということのゴールは、「既定の正しい答え」にたどり着くことではありません。
そもそもこの世の中、多種多様な価値観が混在・並存しているのが常ですから「絶対的正解」というものはほとんどの場合「ない」のです。「ある」とすれば、それは、ひとつ価値観への誘導であり、ひとつの権力による強制といった類のものでしょう。
この権威からの自由を目指すソクラテスの考え方は、当時のギリシャの民主制の世の中のみならず、多様な価値観が併存する現代社会においても尊重すべき思考の基本姿勢ですね。
ちなみに写真は、昨秋(注:2015年)訪れたメトロポリタン美術館で出会ったソクラテスです。
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