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ビッグボーイの生涯 ― 五島昇その人 (城山 三郎)

 東急グループの総帥五島昇氏の評伝です。

 昇氏の父五島慶太氏は、運輸官僚から実業界へ転進、強引な事業拡大で「大東急」を作り上げた豪傑でした。その長男である昇氏は、紆余曲折はあったものの東急の二代目社長として頭角を現し始めました。

 社内外には坊ちゃん・暗愚といった評判もある中、昇氏は、父慶太氏の死後、集団指導体制を否定し自らをトップにしたリーダシップの発揮を宣言します。とはいえ、全く他人の意見を聞かないというわけではありません。むしろ、決断は自分で、それまでの過程では先達の声を謙虚に傾聴するという姿勢をとっていました。

 それら先達のアドバイスから、昇氏に決定的な影響を与えたものをいくつかご紹介します。その先達たちの多くは、慶太氏との親交が深かった大物事業家でした。

 まずは、慶太氏の葬儀後、正力松太郎氏を訪ねたとき。

(p74より引用) そのとき正力氏は、せきこむようにして昇に言った。
「昇君、いちばん大事なことは人に相談するなよ

 もう一人、父の葬儀後に訪ねた人、東急のメインバンク三菱銀行の元頭取加藤武男氏の言葉。

(p75より引用) 「切るものは切る。伸ばすものは伸ばす。そうすれば三菱は全面的に支援しよう」

 この言葉で昇氏は踏ん切りがついたといいます。父慶太氏が幅広く拡張した事業群を、「運輸・交通業」と「地域開発事業」に絞り込むとことを決断したのでした。

 後に、第14代日本商工会議所会頭に就任したときも、昇氏は同じやり方を踏襲しました。

(p192より引用) 「自分なりに仕事をやらなければどうにもなりませんから、自分でやれることとやれないことをまず整理して、やれないことは思い切ってかたづけてしまう。やっぱりトップに立ったらそれをやらないと、みんながついてこられないんじゃないですか」・・・
 昇独特の撤退または休戦の哲学である。

 また、昇氏の経営スタイルには、堅実さとやんちゃさが同居していました。
 特に、「やんちゃさ」が目立ったのが、昇氏の積極的な環太平洋展開でした。この調整に尽力したのが大番頭の田中勇氏。本田宗一郎氏に藤沢武男氏という片腕がいたように、五島昇はこの田中氏には全幅の信頼をおいていたようです。

 他方、「堅実さ」という面では、昇氏は王道経営を貫徹しました。

(p170より引用) 「王道を歩め」とは、昇が言い続けてきたことであった。・・・
「何も一番でなくて、万年二位を狙っていくんだ。東急グループの仕事で業界一というのはない、それでいいんだよ」・・・
「業界トップ」とか「全国展開」などということより、企業にとってもっと大切なことがある、というのである。
「心のこもったサービスが事業を左右する時代になった」

 この言葉は、昇の不動産開発事業の展開方法にも現れていました。まず、地元重視、そのためには10年、20年というスパンで事業展開を考えていたのです。



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