ルポ 自助2020 ― 頼りにならないこの国で (石井 光太)
(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)
いつもの図書館の新着本リストの中で見つけた本です。
今般の新型コロナ禍では生活弱者に対する政府の非情さが際立ちました。
本書は、その現実に対し必死の思いで抗する人々の姿を描いたルポルタージュです。
まずは、「第三章:保育園児の命を守るための闘い―西寺尾保育園」です。
横浜市神奈川区にある私立の社会福祉法人聖徳会「西寺尾保育園」で保育士のひとりが新型コロナ陽性と診断されました。
その際の行政とのやり取りは、まったく常人の理解を越えた理不尽なものだったのですが、本レポートはその糾弾とともに、もうひとつの視点を提示していました。
新型コロナ陽性者が出たにもかかわらず、その事実の公表を押し止め開園を指示した横浜市に対し、子どもの安全を第一に対応した菱川園長は、これを機に「子育てとは何か、そこでは何を大切にするべきか」を問い直したのです。
そのくだりでは、単に「コロナ禍対応での行政の不手際の追求」に止まらない、著者からの重要な指摘がなされていました。
次は、新型コロナ対応最前線の「医療現場」の実態を伝えるレポートです。
大阪市立総合医療センターは大阪における重症患者治療の中核施設として新型コロナ専門病棟を設置しましたが、同時に小児がん拠点病院・小児三次救急病院としての重要な役割も担っていました。その両立を目指す環境下において、看護師も患者もともに重い負担に耐えていました。
新型コロナ禍による医療現場での混乱や負荷は、医師や看護師たちのみならず通常の入院患者たちによる “自助” をも生起させていたのです。
今回のコロナ禍は、それが “本性” だと思いたくはありませんが、今の社会の様々な人々の実相を顕在化させました。
最初にクラスタが発生したことがマスコミにより歪曲して報道された高齢者施設「グリーンアルス伊丹」では、
そうかと思うと、虐待下の子どもたちを預かっている「江戸川区児童相談所」では、こんなことも起こっていました。
どちらも「人」です。
この長く続き未だに明確な出口が見えない新型コロナ禍の中、「行政」の立場で、困窮している人々のサポートに尽力している「人」も大勢いらっしゃるでしょう。しかしながら、やはりこういうときこそ、「施策」という形で一人一人の動きでは成し得ない大きな手を差し伸べるのが「政府・自治体」のあるべき姿だと思います。
残念ながら、本書で紹介された数々のエピソードが伝えているのは、総じてまさに現場当事者個々人による「自助」の姿です。
そもそもこういう苦しい状況は、決して「自らの責任(自己責任)」で生じたものではありません。だとすると、当然、まずは「公助(国・自治体)」が動くべきでしょう。
公助の原資は、国民であり当事者から供出された税金であり、それゆえ、その税金の使途を「公助のための施策」とすることには何の問題もないはずです。
国民のため当事者のための対策が “自助・共助” がなされた後にしか取られないようでは、いったい誰のための “公” なのか、公助が “最後に登場するセーフティネットだ” というのは、全く本末転倒だと言わざるを得ません。
さらに、それに輪をかけて悲惨な現状は、公助の名のもとでなされる対策の多くが、あまりにも的外れで “セーフティネット” としての機能すら果たせていないということです。