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東京ルポルタージュ 疫病とオリンピックの街で (石戸 諭)

(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)

 いつも聞いている大竹まことさんのpodcastの番組に著者の石戸諭さんがゲスト出演していて、本書の紹介をしていました。
 取り扱っているテーマがとても気になったので読んでみたのですが、予想していたのとはちょっと違ったラインナップでした。

 その中から私の関心を惹いたところをいくつか書き留めておきます。

 まずは、新型コロナ禍の最中、企画された演劇の上演での気づきを記した「劇場」の章での “ヴァーチャルコミュニケーションの欺瞞?” についてのくだりです。

(p131より引用) 2020年を象徴するのは、例えばこんなニュースである。新型コロナ禍でオンラインの会議システムとして、一躍知名度を上げた「Zoom」の有料契約者数がこの1年で14倍に増え、日本での売り上げは100億円を超えた。自分たちが対面でないとできないと思っていたことの多くが、実はオンラインで代替可能であると知った。マスクを着けて、わざわざ対面で会うより、画面越しに会う方が安全であり、効率的であることを知った。しかし、確実に「何か」を勘違いしている。代替しているつもりで、本当は代替できていないものがあるにもかかわらず、それを見ないようにしている......

 私は、ヴァーチャルな仕掛けは、リアルコミュニケーション(対面)の一部機能の代替もしくは補完にはなり得るとしても、本質的には “別物” だと思っています。リアルでしか得られないものやヴァーチャルな視野(画面)からはみ出しているものの中にこそ本質的に大切なものがあると考えているのですが、石戸さんもそういった考えなのだろうと感じました。

 そしてもうひとつ、新型コロナ禍での医療最前線の実態
 私は、医療現場といえばコロナ病棟ぐらいしか頭に浮かびませんでしたが、在宅療養者を対象とした「訪問看護」に関わっている方々も厳しい状況に置かれていました。

(p284より引用) 病床確保のためのお金はこの1年でかなりつぎ込まれた一方で、もう一つの最前線であったはずの訪問看護への手当は低いまま感染者は増加し、そもそも担い手の少ない訪問看護が「最後の砦」になった。これでは現場は報われない。大多数の軽症患者、中等症患者の一部を地域で治療・ケアし、よりハイリスクな中等症患者、そして重症者の治療に大病院の医師が集中できるようにする方法はある。現場の負担軽減にもつながるはずだが、こうした動きが特に首都圏では鈍かった。いつも漫然と「波」を乗り切って、喉元を過ぎて暑さを忘れたためだ。「次に備えよう」は、掛け声だけで終わった。

 恥ずかしながら “訪問看護の課題” は私にとって新しい気づきでした。
 この “喉元過ぎて・・・” という意識が国や地方自治体のトップの思考や行動原理の中に間違いなくあったでしょう。いつまでも「後手」「泥縄」な対応に終始しているのはそれ故です。

 さて、本書を読み通しての感想です。

 2020年以降、新型コロナ禍という凄まじい攪乱要因が、ありとあらゆる人々の暮らしを根こそぎ歪曲させてしまいました。そして、その災禍の最中に東京は「オリンピック/パラリンピック」を開催・・・。
 本書は、取材の舞台をその「東京」に定めたコラム集です。どのエピソードを取り上げても、いわゆる “生活弱者” と呼ばれる人々に向けられた著者の暖かな視線が印象に残ります。

 先に読んだ石井光太さんによる「ルポ 自助2020- ― 頼りにならないこの国で」もそうですが、今この時代に生きている一人ひとりの実像を捉え伝える著作はとても貴重です。
 このリアルコミュニケーション断絶の時代に、今、市井の人々の中に入り、その生の声を掬い取り伝えることは、まさに “メディア人のレーゾンデートル” そのものですね。



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