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もういちど読む山川日本史 (五味文彦・鳥海靖)

 私が「山川の日本史の教科書」で勉強していたのは、今から30年以上も前(注:2010年に初投稿)のことになります。そのころに対する懐かしさもあり手にとってみました。

 正直なところ、読み通すのにはちょっと忍耐がいりましたね。当然ではありますが、記述内容は極めて表層的ですし文体もドライです。改めて、歴史を学ぶということはどういうことだろうかと考えさせられました。

 確かに、歴史を構成するパーツとしての「事実(と考えられているもの)」は淡々とある分類方法(章立て)によって並べられています。それをそのまま「頭」の中に平行移動(コピー&ペースト)するだけなら、学ぶという観点からは無意味でしょう。本という形の外部記憶媒体がいつも身近にあれば事足りるからです。

 「学ぶ」ということは、本質的には、「歴史(上の事実)を」学ぶ(覚える)のではなく、「歴史から」何かを学ぶのでしょう。
 そういう点から、改めて「教科書」を見たとき、その無味乾燥な記述は、どうも合目的的とは言えないように思いました。「学び」そのものへの直接の寄与度が低いと同時に、「さらに学ぼう」という次なる意欲を掻き立てるようなワクワク感が感じられないのです。

 とはいえ、本書を通読してみてちょっと気になったところを少々書き止めておきます。

 まずは、日本の歴史の大きな変節点となった「大乱」の意味について。
 特に「承久の変」「応仁の乱」は、政治・経済・文化といった観点からみて、歴史上非常に大きな転機を作ったということを再認識しました。

 もうひとつ。これは余話ではありますが、今年2010年が「国民読書年」であることにちなんでのくだりです。

(p178より引用) 元禄時代に流通した書物の部数は1000万部をこえていたと考えられる。しかし書物の値段は安くなく、・・・そこで流行したのが貸本屋で、元禄期の京都には200軒ほどあったというが、・・・1830(天保元)年になると江戸には800軒にものぼった。

 日本は、世界的にみても識字率が非常に高い国民だといわれていますが、読み書きの教育が進んでいた江戸期には出版業も盛んだったようです。
 当時は、メディアとしての書籍のウェイトは現在よりも圧倒的に高かったわけですから、「国民読書年」とかと声高にいうこともなかったのでしょうね。



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