リスクを生きる (内田 樹・岩田 健太郎)
(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)
いつもの図書館の新着本リストの中で見つけた本です。
内田樹さんの著作は今までも時折手にしていましたが、直近では「サル化する世界」以来になります。他方、岩田健太郎さんの著作はやはり新型コロナ関係になりますが「感染症は実在しない」を読んだぐらいです。
本書は、ちょっと気になるお二人の対談ということで手に取ってみたのですが、想像どおり興味深いやり取りや指摘がいくつもありました。
それらの中から順不同ですが、いくつか書き留めておきます。
まずは、昨今の社会で頭をもたげている「反知性主義」の話題から、内田さんのコメントです。
知性のないトップを頂いた不幸です。が、そういった社会体制を許してきたのは、多くの国民の “知性軽視の姿勢” なのでしょう。
続いて、大学をはじめとした日本の教育水準について。
内田さんは、1991年の大学設置基準の大綱化以降、大学の査定とそれにもとづく資源配分が始まったと語ります。そして、その「査定」が大学の劣化の元凶でした。
査定による大学の淘汰は「教育への市場原理/マーケティングの導入」によりもたらされたのですが、市場原理が教育を裁くのは暴挙そのものでした。
そして、最後は、「専門家」についての岩田さんのコメント。
未だ終息には至らない「新型コロナ禍」を発端として “感染症” に関する情報が様々な人々から発信されました。その中には、明らかな “素人” “門外漢” もいますが、いわゆる “専門家” とタイトルされた一群も登場しました。
これらの自称・他称の “専門家” が、岩田さんの定義にしたがって区分され、それぞれの発言の背景や論拠が明示されたとしても、結局のところ、そういった “科学的・論理的な判断軸” を認め、それを踏まえ自分の頭で考えて判断するか、それとも “一言で言えば” といった単純思考で声の大きい方に迎合するか・・・、要は、情報の受け手である私たち主体の姿勢によるわけです。
根本的な問題は、“受け手の反知性化” です。