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戦略の本質 (野中 郁次郎 他)
賢慮型リーダー
本書の姉妹編である「失敗の本質」においては、その分析スキームに組織論的な観点が見られました。
他方、今回の「戦略の本質」においては、著者のひとり野中郁次郎氏を中心に主張されている「知識創造理論」における最近の成果が活用されているようです。
その考えでは、「場」や「リーダーシップ」といった要素が重要視されます。
本書の終章「戦略の本質とは何か」でまとめられている10番目は「戦略は『賢慮』である」という命題です。
「賢慮」とは、アリストテレスの「ニコマコス倫理学」で示されている3つの知識、「エピステーメ(普遍的・客観的な知識(形式知))」「テクネ(実用的な技能(暗黙知))」「フロネシス」のうち、最後の「フロネシス(実践的知恵(高質の暗黙知))」の今日的用語だそうです。
著者は、この「賢慮」をもつリーダーが、重層構造を持つ戦略を総合的にマネジメントできると主張しています。
(p453より引用) 賢慮型リーダーは、個々のダイナミック・コンテクストの直視から、どの側面が検討に値するのか、どの側面は無視してよいのかを察知する、状況認識能力をもつ。これは問題は何かを把握する問題設定能力であり、いわゆる達人の能力と通底する。問題解決の大半は、実は問題設定によるものなのである。
そして、戦略の本質についてこう結論づけています。
(p459より引用) 戦略の本質は、存在を賭けた「義」の実現に向けて、コンテクストに応じた知的パフォーマンスを演ずる、自律分散的な賢慮型リーダーシップの体系を創造することである。
「リーダー」についての解説においては、第二次大戦期のイギリスのチャーチル、ドイツのヒトラーが比較対照的に登場しますが、私にとっての新たな知識となったのは、第四次中東戦争におけるエジプト大統領サダトの戦略思想についてでした。
サダトに関しては、元米国務長官キッシンジャーの回顧録の中でのことばが紹介されています。
(p321より引用) サダトは、占領地の奪還のためではなく、エジプトの自尊心を回復し、外交の柔軟性を増やすために戦争をしたのであった。開戦時において、戦争の政治目的を、かくも明確に認識していた政治家はまれであった。ましてや、戦いの後で、穏健路線を造り出すための戦争となれば、なおさらまれなことであった」
サダトの目的は、固定化しつつあった中東情勢を流動化させ、アメリカのイスラエルへの外交介入を招来することでした。そして、その目的は見事に成功したのでした。
(p324より引用) 最高指導者の国家目標、戦略構想から第一線将兵の戦術・戦法・戦技に至るまで、有機体のような一貫性を保持して展開されたのが、サダトの限定戦争戦略であった。
ただ、(本書の執筆趣旨とは異なるのですが、)やはり紛争の解決手段として、それが限定的なものであったとしても「戦争」に訴えることには大きな抵抗感がありますね。
毛沢東の「弁証法的発想」
本書は、私が参加したセミナーで参考資料として配布された本です。
先に出版されている「失敗の本質」と同様、いくつかの戦闘を材料にして論を展開していますが、今回は、「勝利を導き出す戦略に共通性はあるのか」をテーマにその解明を試みています。
まずケースとしてあげられているのが、毛沢東が率いる中国共産党軍と蒋介石の国民党軍との戦いです。
この戦いは、「遊撃戦」という新たな戦闘概念を創出した毛沢東による「反『包囲討伐』戦」でした。
著者は、本ケースの研究を通して、毛沢東の事象の本質把握の方法論を「弁証法」であると結論付けています。
(p106より引用) 例えば、攻撃と防御については、二つの視点がある。第一の見方は、攻撃とは単に攻める、防御とは単に守ることであると考え、両者は対立的なもので、相互に転換できないものと考える立場である。このような機械的な視点からでてくる主張は、「消極的防御」である。一方、弁証法的視点では、攻撃と防御は対立しながら相互に依存し、場合によっては転換できるものであると考える立場である。つまり攻撃と防御は明確に分離できないものであり、攻める時には守りが必要だし、守るときも攻めることがあり得る。一定の条件がみたされれば、攻守は相互に転化できるものなのである。このような視点から「積極的防御」が主張される。
この立場では、敵を破るための戦略ステップとしての「積極的退却」というオプションも重視されます。退却と見える行動を次の攻撃の布石とするのです。
本ケースの解説では、毛沢東の思考方法や具体的行動が細かく説明されていますが、その中で、興味をひいた「毛沢東の実戦を通した知恵を磨く方法」をご紹介します。
(p123より引用) 戦闘の後には、時間があればだったが、一作戦ののちには必ず、二度の会議を開いた。一度は指揮者だけのもの、もう一度は指揮者と兵士とともどものもので、そこではその戦闘または作戦の分析をおこなった。・・・そうした合同の会議では、どの兵士もどの指揮者も、完全な言論の自由をもっていた。たがいに批判してもよろしく、根本計画の各部分や、その実施された方法については批判してもよろしい。・・・そしてわれわれは、すべての封建的な悪習を根絶やしにし、軍隊を民主化し、兵士のあいだに自発的な軍規が生まれることを、ねらった。
広く関係者を集め自由な意見表明により具体的反省を行なうというやり方は、失敗を形式知化し、自発的な改善を促すための効果的な方法です。
戦略の具体と虚無
本書で紹介されているいくつもの戦闘の解説の中から、(一貫性はないのですが、)気になった部分をご紹介します。
まずは、技術レベルの戦略に関して、バトル・オブ・ブリテンの勝敗を決する要素のひとつとなった当時の最新技術「レーダー」についてです。
(p139より引用) レーダーの技術開発に従事した科学者の間では、完璧さを追求しないことがモットーとされた。すなわち、最良の完璧なものは、けっして実現できない。次善のものは、実現できるが、使うべきときまでには実現が間に合わない。したがって、三番目によいものを採用して、できるだけ早くその実現を図るべきである。・・・レーダーの開発、実用化は、こうしたプラグマティズムの産物でもあったのである。
差し迫った窮状に対するための極めて現実的な対応です。
このあたりは、トラブルが起った場合の「暫定対処」「本格対処」の考え方に似ています。ともかく、まずはともかく可能な方法で止血をして、並行して根本対策を講じるやり方です。
次のご紹介は、「機会損失の責任」について。材料は、朝鮮戦争時のトルーマンとマッカーサーとの関係です。
1951年4月11日、マッカーサー元帥はトルーマン大統領より国連軍総司令官・極東軍総司令官の解任を通知されます。この背景には、両者の意思疎通の悪さとそれによる認識の齟齬がありました。
(p275より引用) 軍事合理性の限界という観点から見るとき、ここには、ポリティックス(政治)と軍事、中央と現場との間に横たわるより本質的な問題の所在を確認することができる。すなわち、何かをなすことによって生じた失敗と、何もしないことによって生じた失敗をどのように識別するかということである。何かをなして失敗した場合は検証されるが、何かをさせなかった場合の結果はどのように検証されるのであろうか。実行されなかったことの誤りを実証するのは難しい。成功したかもしれないことをやらせなかった場合の機会損失は、誰が責めを負うべきなのだろうか。
最後は、ベトナム戦争を主導したマクナマラ国防長官の言葉です。
(p377より引用) 「われわれは正しいことをしようと努めたのですが、そして正しいことをしていると信じていたのですが、われわれが間違っていたことは歴史が証明している」
ベトナム戦争の遂行の是非は、判定者を「歴史」に求めなくてはならないような判断だったのか、結果論かもしれませんが、そこには大きな疑問があります。
むなしい言葉だと思います。