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カウントダウン・メルトダウン 上・下 (船橋 洋一)

(注:本稿は、2013年に初投稿したものの再録です)

カウントダウン・メルトダウン 上

 元の職場の同僚の方の推薦で読んでみた本です。

 著者は、「一般財団法人日本再建イニシアティブ」の理事長でもある評論家船橋洋一氏
 この一般財団法人日本再建イニシアティブがプロデュースした最初のビッグプロジェクトが「福島原発事故独立検証委員会」、いわゆる「民間事故調」でした。

 本書は、民間事故調を率いた船橋氏による未曾有の大惨事となった福島第一原子力発電所事故の実相を描いたノンフィクションです。

 3月11日、地震発生後の午後5時ごろ、官邸では菅直人首相寺坂信昭原子力安全・保安院院長と武黒一郎東京電力フェローを前に苛立っていました。

(上 p72より引用) 菅は、なぜ、電源が止まったのかについて詳しく質した。・・・
 武黒がうまく答えられないと、「何?わからない?じゃ、社長呼べ」
 寺坂もダメだと、「わかるやつ呼べ」
 菅は、苛立った。
 ・・・
 細野が割って入って、言った。
「総理、いま必要なのは、なぜ、止まったということの解明より、止まったあとどうするのかということだと思います」

 今回の大惨事においては、菅首相と中心とした官邸の動きが大いに問題視されましたが、他方、福島県をはじめとする関係自治体の判断・行動にも他責的な姿勢が色濃く見られたようです。

 ヨウ素剤の配布・服用に関して、独自に一人称で検討・実行した三春町のようなケースは例外中の例外であって、ほとんどの自治体は旧弊に凝り固まった受け身体質でした。

(上 p223より引用) 原発周辺市町村のほとんどは、指示を待っていた。
 自治体は県の指示を待っていたが、指示は来なかった。
 県は国の指示を待っていたが、原災本部(ERC)から指示はなかった。いや、県が本当に国の指示を待っていたのかどうかは、わからない。
「自ら自治体と住民に指示を出さなくて済むように、国に指示を出させないよう国を牽制していた」といった方が真実に近いかもしれない。

 最後のフレーズは真実であるならあまりにも酷すぎますが、ともかくこういった本来動きべき組織が機能不全に陥っている中、唯一組織的に危機対応したのが「自衛隊」でした

(上 p401より引用) 原発事故への対応は事業者、つまり電力会社が第一義的な責任を負う。・・・
 しかし、もはやそんなことを言っている場合ではない。
 自衛隊は突如、「二正面作戦」(地震・津波と原発事故)を強いられることになった。
 統合幕僚監部の表現を使えば、「計画はない、作戦はない、人員もいない、装備もない、訓練もしていない」状態のまま、原発事故対応に臨んだのである。
 これに「情報もない」を付け加えてもよかった。

 危機に直面しての自衛隊の行動スタイルは、まさに合目的的であり機能的なものでした。それを体現するのが部隊の指揮官であり現地の指揮官です。

 3月11日19:30の「原子力緊急事態宣言」の発令を受け、自衛隊は「原子力災害派遣部隊」を編成しました。
 その中核組織が2007年に創設された「中央即応集団」、司令官は宮島俊信陸将

(上 p405より引用) 3号機が爆発したとき、宮島は、一切、現地に質問しなかった。
〈現場もわからないのだろう。わかったら、報告してくるはずだ〉
 そう割り切った。
「黙って聞け、質問するな、耐えろ」
 宮島は、そのように危機の時の心構えを部下に説いた。
「わかったことだけ報告しろ」と。
 最初に質問する癖のある指揮官や何もかも報告させようとする指揮官には、部下は、質問された場合のことを考え、「しっかり準備をしてから報告しようとする」。その結果、第一報が遅れる。
 だからまず「黙って聞け」。
 黙って聞いた後、「報告ありがとう、第二報も頼むよ」

東京電力本社は、官邸の顔色を窺っていただけでした。

カウントダウン・メルトダウン 下

 事故発生直後から、福島第一原子力発電所で決死の対応作業に従事したのは、吉田昌郎所長を中心とした少数の発電所員のほかは、東京電力の下請会社の作業員の方々が中心でした。後には消防や自衛隊の隊員らがそれに加わりました。

 被爆のリスクを覚悟しての現地作業、それに従事された方々の心情を慮ると本当に頭が下がり、ただただその使命感溢れる姿勢に感謝するのみです。

 しかし、なぜ、もっと安全な方法で作業ができなかったのか、これは大いに疑問を感じるところです。

(下 p228より引用) なぜ、原子力災害用のロボットがさっそうとお目見えしなかったのか。
 福島第一原発事故のあと、米国やフランスから原子力災害用のロボット提供の申し出があったとの報道に、国民は首を傾げた。

 ここにも、常人には全く理解できないようなとても奇妙な論理が立ち塞がっていました。
 東京電力幹部の言葉です。

(下 p229より引用) 「原子力災害用のロボットの導入なんかできません。地元が許しませんよ。事故は起こらない。・・・」
 米国では電力会社が、原発事故対処用のロボット開発のパトロンとなったのに対して、日本では、電力会社がロボットは安全神話を毀損するものと警戒し、抑えつける側に回った。

 こういった原子力活用における取り組み姿勢にも表れた問題点のいくつかは、何も東京電力のみに見られるものではありません。行政の、さらにはもっと一般的に日本(人・企業)の特性でもあります。

(下 p232より引用) 単年度主義が長期的な構想と戦略を阻害する予算システムと年々歳々の霞が関人事がプロと専門性の育成を阻害する人事システムが、そこには横たわっている。・・・
 たこつぼ、縦割り、ボトムアップ、もたれ合い、戦略的な目標と課題の曖昧さ・・・それらが日本の強さを殺している。
 日本の弱さは、日本の強さを知らないことにある。それを引き出せないことにある。

 本書は、現代における危機管理・危機対応上の問題点を多数指摘しています。
 現実のクライシスマネジメントにおいては、その当事者の個人的資質に依存するところも避けられませんが、やはり、制度設計上の課題や、そもそもそこに至るまでの責任体制の問題の方がより根本的なものでした。

(下 p115より引用) 自衛隊も警察も消防も原子力安全・保安院も文科省も原子力安全委員会も、核セキュリティーを自らが主として責任を担っているとはみなしてこなかった。

 他方、事故現場で本当に命がけで作業に携わっている人々がいました。
 その作業環境は劣悪でした。放射能の恐怖に襲われつつの連日の重労働。にもかかわらず、満足に横になることもできない、そんな毎日。

(p406より引用) 細野は、吉田に電話し、船を送るので、そこを従業員の宿舎として使ってほしいと言った。
 吉田は細野に感謝の意を述べたが、その申し出を断った。
「原発事故のため、避難している被災者の方々がいらっしゃる。彼らが避難している時に、現場の待遇だけよくすることはできません。被災者の方々の待遇をよくすることが先でしょう。」

 極限状態で現場対応の指揮を執った吉田昌郎所長の言葉

 この姿と、自己保身に走る東京電力本社幹部、関係省庁の幹部官僚の責任回避・天下転嫁の態度とのコントラストは、怒り以外の何物も生じさせません。

(注:改めて、今、2023年2月。あのとき何が起こり、誰がどう考え、どんな行動をとったのか。決して忘れてはいけません。決して風化させてはなりません。)



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