カウントダウン・メルトダウン 上・下 (船橋 洋一)
(注:本稿は、2013年に初投稿したものの再録です)
カウントダウン・メルトダウン 上
元の職場の同僚の方の推薦で読んでみた本です。
著者は、「一般財団法人日本再建イニシアティブ」の理事長でもある評論家船橋洋一氏。
この一般財団法人日本再建イニシアティブがプロデュースした最初のビッグプロジェクトが「福島原発事故独立検証委員会」、いわゆる「民間事故調」でした。
本書は、民間事故調を率いた船橋氏による未曾有の大惨事となった福島第一原子力発電所事故の実相を描いたノンフィクションです。
3月11日、地震発生後の午後5時ごろ、官邸では菅直人首相が寺坂信昭原子力安全・保安院院長と武黒一郎東京電力フェローを前に苛立っていました。
今回の大惨事においては、菅首相と中心とした官邸の動きが大いに問題視されましたが、他方、福島県をはじめとする関係自治体の判断・行動にも他責的な姿勢が色濃く見られたようです。
ヨウ素剤の配布・服用に関して、独自に一人称で検討・実行した三春町のようなケースは例外中の例外であって、ほとんどの自治体は旧弊に凝り固まった受け身体質でした。
最後のフレーズは真実であるならあまりにも酷すぎますが、ともかくこういった本来動きべき組織が機能不全に陥っている中、唯一組織的に危機対応したのが「自衛隊」でした。
危機に直面しての自衛隊の行動スタイルは、まさに合目的的であり機能的なものでした。それを体現するのが部隊の指揮官であり現地の指揮官です。
3月11日19:30の「原子力緊急事態宣言」の発令を受け、自衛隊は「原子力災害派遣部隊」を編成しました。
その中核組織が2007年に創設された「中央即応集団」、司令官は宮島俊信陸将。
東京電力本社は、官邸の顔色を窺っていただけでした。
カウントダウン・メルトダウン 下
事故発生直後から、福島第一原子力発電所で決死の対応作業に従事したのは、吉田昌郎所長を中心とした少数の発電所員のほかは、東京電力の下請会社の作業員の方々が中心でした。後には消防や自衛隊の隊員らがそれに加わりました。
被爆のリスクを覚悟しての現地作業、それに従事された方々の心情を慮ると本当に頭が下がり、ただただその使命感溢れる姿勢に感謝するのみです。
しかし、なぜ、もっと安全な方法で作業ができなかったのか、これは大いに疑問を感じるところです。
ここにも、常人には全く理解できないようなとても奇妙な論理が立ち塞がっていました。
東京電力幹部の言葉です。
こういった原子力活用における取り組み姿勢にも表れた問題点のいくつかは、何も東京電力のみに見られるものではありません。行政の、さらにはもっと一般的に日本(人・企業)の特性でもあります。
本書は、現代における危機管理・危機対応上の問題点を多数指摘しています。
現実のクライシスマネジメントにおいては、その当事者の個人的資質に依存するところも避けられませんが、やはり、制度設計上の課題や、そもそもそこに至るまでの責任体制の問題の方がより根本的なものでした。
他方、事故現場で本当に命がけで作業に携わっている人々がいました。
その作業環境は劣悪でした。放射能の恐怖に襲われつつの連日の重労働。にもかかわらず、満足に横になることもできない、そんな毎日。
極限状態で現場対応の指揮を執った吉田昌郎所長の言葉。
この姿と、自己保身に走る東京電力本社幹部、関係省庁の幹部官僚の責任回避・天下転嫁の態度とのコントラストは、怒り以外の何物も生じさせません。
(注:改めて、今、2023年2月。あのとき何が起こり、誰がどう考え、どんな行動をとったのか。決して忘れてはいけません。決して風化させてはなりません。)