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裸でも生きる ― 25歳女性起業家の号泣戦記 (山口 絵理子)

(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)

 大分以前に、よく聞いているpodcastの番組に著者の山口絵理子さんがゲストとして登場されて、その話に大変興味を持ちました。

 本書は、その山口さんの自伝的エッセイ。
 まだ20歳代(当時)ではありますが、彼女の成し遂げつつあることは素晴らしいですね。どんなことがあっても夢に向かって真正面から体当たりし続ける山口さんの悪戦苦闘ぶりが、怒涛の如く押し寄せてくる一冊です。

 ということで、本書で紹介されている数々のエピソードの中から、特に印象に残ったくだりを書き留めておきます。

 まずは、ダッカでの大学院時代、洪水被害にあったバングラディシュの人々の様子を見たときに受けた強烈なショック。

(p110より引用) 国際機関や政府がここぞとばかりに「援助、援助」と叫んでいるが、実際、生の現場は、一人ひとりが自分たちの力で生き残らなければいけないという厳しい現実を見せつける。それでもみんな必死に生きていた。・・・
 私は何かの力になりたいと思ってこの国に来たが、私に持っていない「強さ」をこの国の人たちはみんな持っていた。自分だったら環境を責め、自暴自棄になっていると思えるような過酷な現実だった。しかし私には「帰る場所」があった。日本という恵まれた国に生まれ、最低限以上のものを与えられ、生きてきた。そんな私が、「貧しい人のために」なんて思っていたことが、なんて浅はかで、傲慢で、無知な想いだったんだろう、と強烈に感じた。

 そのショックで挫けることなく、山口さんはジュートを使ったバッグ製造を手掛ける事業を立ち上げる決心をしました。自分ひとりで。ここで彼女の素晴らしさは、その思いを貫きとおした頑張りです。

 しかしながら、サンプルを作ってくれる工場探しでの苦労、初めの一歩から前に進めません。

(p127より引用) 何度も何度も断られ、辛い日々が続いた。
「結局無理なのかな···」
 そんなふうに思いながら、ときには泣きながらアパートに帰る日もあった。
 それでもやっぱり夢を形にしたい、やっと見つけた自分のやるべきことを何とか実現したい、そんな一心で工場のリストを片手に、それから約半年間、工場探しを続けた。

 そして、ようやく工場を見つけバッグを作り販売開始してからも、山口さんの苦闘は続きます。

(p186より引用) メディアの取り上げ方は商品ではなく、すべて私個人に対するものだった。
 そして、バッグを買ってくださった方からの注文メールを読み返すと、「貧しい人たちのために何かしたいから」とか「国際協力をしたい」といった内容も多く、バッグが欲しくて買ってくれるお客様は、本当にわずかだと気がついた。
 そう。私はバッグ屋として肝心な「商品」でまったく勝負できていない事実から、無意識に目を背けていたのだった。

 そこで山口さんがとった行動は「一からバッグ作りの修行をする」ことでした。バッグの専門知識を自ら身につけてバングラディシュの工場のみんなに伝授しようと考えたのでした。

 その後も想像できないような数々のトラブルに見舞われながらも、信頼できる現地スタッフや職人さんと出会い、なんとかリニューアル商品を作り上げて日本での販売開始。そして、大手百貨店での取り扱い、Webサイトでの販売も好調。

 本書が描いているのは、ここまでですが、その後も決して順風満帆というわけではなかったようです。

 とにもかくにも、山口さん、20歳台半ばにして、物凄い振幅の激しい人生を歩んできていますね。小学校でのイジメ、中学のときの非行、高校での柔道、そして大学を経て、いきなりバングラディシュを訪れての大学院生活と起業。いつもリミット一杯まで進み切っては、また別の振り子に乗り換えて・・・。

 そして今、事業をしっかりと根付かせて“一流の実業家”として活躍を続けている山口さんがいます。



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