大格差 : 機械の知能は仕事と所得をどう変えるか (タイラー・コーエン)
(注:本稿は、2015年に初投稿したものの再録です)
ちょっと話題になっている本です。
タイラー・コーエン氏の著作は、以前「大停滞」を読んでいるので、これで2冊目になります。
本書は、テクノロジーの高度化・進化が近未来の雇用環境・労働現場へ及ぼす影響を論じたものです。
その結果は、社会の富の分布にも変化をもたらすのですが、それは、将来に向かっての「中流層の縮小、富裕層と貧困層との格差の拡大」という方向だと著者は指摘しています。
そういった大きな流れに至る解説のなかで、著者は、テクノロジーの進化が労働環境に与える数々の影響を紹介しています。
たとえば、そのひとつは「チーム志向の高まり」です。
こういった労働環境の中の人間の位置取りが変化していく状況において、働く人間はどこで自らの存在意義を発揮するのか、これは、私たちの仕事への関わり方の今後を考えるにおいて重要な課題提起です。
一体、どういったスキルの人材が求めらるのか、その人材はどういった役割を果たすのか・・・、その点について著者はこう語っています。
「分業」といってもネットワーク環境下での分業は、一つの工場内での分業とは質も規模(範囲)も大きく異なります。また、求められる専門的スキルも飛躍的に高度なものになります。
畢竟、そういったマネジメントができる人材は重宝され高報酬を得られますし、他方、断片的なプロセスに関する中途半端なスキルしかもっていない人材は、機械に取って代わられてしまうので、次第に職を失っていくことになります。
著者は、今後のテクノロジー、特にコンピュータ関連技術の向上に伴う人間の関わり方・在り方として、「二つの変化」が起きつつあると説いています。
そして、著者がより注目しているのは後者の流れのようです。
この指摘に期待したいですね。私たちの日常の営みが次々と機械に置き換えられていき、さらに私たち自身も機械化されていくのは、それに決して楽しいものではありません。
さて、本書を読み通して、特に印象に残った指摘を最後にもうひとつ書き留めておきます。
著者は、科学の複雑化や専門分化の流れが逆転することはないのとの認識のもと、“科学は、以前のように、一人の人間の中で全体像が把握され新たな発見がなされていくということは不可能になっていく” と考えています。
その意味では、膨大な知識の全容を把握している“未来の科学者”というのは、「ネットワーク化されたコンピュータ」だということになるのかもしれません。
そういった環境下では、一体誰が「新たな理論の発見者」となるのでしょうか・・・。「コンピュータ」がノーベル賞の受賞者になるというのも、強ち冗談とも言えなくなってくるようです。しかし、その受賞対象たる新理論を人間が理解できるのか、選考委員もコンピュータ・・・?
(注:この最後の議論は、今日、AIの飛躍的進歩に伴い、まさに身近で現実的なイシューになりましたね。)