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経済は感情で動く― はじめての行動経済学 (マッテオ・モッテルリーニ)

非合理な決定

 これも最近流行の「行動経済学」の本です。

 クイズ形式で読者の選択を求めながら解説が進んでいくのですが、クイズに対する自分自身の答えを振り返ることによって、自分の「非合理度?」を感じながら読み進めることができます。

 本書で紹介されている身の回りでよく見られる「非合理」的な行動様式の例です。

 まずは、「選択肢が多くなると判断は混乱する」という傾向の指摘です。
 これは、昨今の政治課題の扱いにも見られていますね。

(p29より引用) 選択肢の数が増えるにつれて、判断を先延ばしにする傾向が強まることがわかった。判断するときの葛藤が深まると、しまいに判断力が衰えるということだ。

  次に、「質問が肯定型か否定型かによって異なった判断を示す」という傾向について。
 多くの人は、肯定型の問いの場合は肯定的な面に、否定型の問いの場合は否定的な面に、より注目するのだそうです。

 また、これもよく見られる「コンコルドの誤謬」「サンクコスト(効果)の過大視」という現象についても言及しています。

(p61より引用) 先行投資額が巨大だと、損失回避の傾向から、人は未来の予測をしばしば誤る

 これらのほか、非合理的行動の原因のうち代表的なものとしては、先入観や直感に基づく「思考の近道」があります。
 これについて解説した章では、以前読んだ三谷宏治氏による「観想力」という本にも登場していた「ヒューリスティック・バイアス」がとり上げられていました。

(p75より引用) 人が意思決定をしたり、判断を下すときには、厳密な論理で一歩一歩答えに迫るアルゴリズムとは別に、直感で素早く解に到達する方法がある。これをヒューリスティクスと言う。・・・トヴェルスキーとカーネマンは、確かな手がかりのない不確実性状況下で、人はヒューリスティクスをとりがちだが、そのために、ときに非合理的な判断と意思決定をすることを実証した。かれらは、人が合理的な判断をすることを否定したのではない。「完全合理性」の人間像を仮定した標準的な経済学の誤りを指摘したのである。

 ヒューリスティック・バイアスの第一の要因は「代表性」です。
 これは、典型的と思われる「ステレオタイプ(固定観念)」を判断の基準とするものです。
 こういった固定観念は、ものごとを安易かつ過度に法則化しようとします。数回同じことが起こっただけで次はこうなるだろうと推測してしまう「小数の法則」や、単に平均値にもどっただけなのに「2年目のジンクス」と言ったりする「平均値への回帰の過小評価」がこれにあたります。これらは、統計的サンプルが少なくて判断不可能な場合でも、ともかく一般化しようとする傾向を映しています。

 第二の要因は「利用可能性」。すなわち思いつきやすさです。
 これは、マスコミ等で大きく取り上げられることにより判断にバイアスがかかり、つい実際の生起確率より高い確率で発生すると評価してしまうものです。確率から言えば、鳥インフルエンザを気にするよりも、本当は交通事故にあわないように注意すべきなのです。

 最後に、本書で紹介されている数々の「日常の非合理」の中で、改めてなるほどと思った事例を覚えに記しておきます。
 3つの選択肢が示された場合の「妨害効果」と「誘引効果」についての指摘です。

(p37より引用) すでに示されている二つの選択肢のなかの、一方にきわめてよく似た選択肢が追加されると、一種の「妨害効果」が生じて、それらとはまったく異なる選択肢(二番目のケースでは五〇〇円)が選ばれる比率が高まる。一方で、新たに加わった選択肢がほかの二つのうちの一方よりはるかに劣っている場合(ここではプラスティック製のボールペン)には、追加された選択肢が「餌」になって、メタルのボールペンの魅力がぐっと上がり、それが選ばれる確率がきわめて高まるというわけだ。

プロスペクト理論

 標準的な経済学では、「期待値(=効用×確率)」という「水準そのもの」に基づき意思決定されると考えられていますが、プロスペクト理論では、経済的水準の「違い」が決定項になるといいます。

(p131より引用) 利得の場面では危険回避型(確実性を好む)、損失の場面では危険追求型(賭けを好む)で、利得・損失が小さい場合は変化に敏感で、大きくなると感応度が鈍くなる。同額であれば、利得獲得による満足度より、損失負担による悔しさのほうが大きい(損失回避性)

 「価値の絶対値」が同じX円であっても、人はX円を得た「嬉しさ」よりも、X円を失った「悔しさ」の方を約2倍も強く感じるというのです。
 「悔しさ」に代表される「不快感」は「リスク」が大きいほど強くなります。「リスク」が大きいというのは、マイナスの量が大きい、もしくは、マイナスが生じる確率が高い場合をいいます。

 さてこのリスクですが、その表現方法によって大きく印象は異なってきます。「リスクが2倍になる」(相対的リスク)といっても、絶対的リスクが「1%が2%になる」のと「40%が80%になる」のとでは大違いです。

(p165より引用) 新聞やテレビの報道を見るときに、各種の統計数字については、母体数がどれだけかを確認し、%表示であれば実数に、実数表示であれば%表示に、置き換える頭をもとう。そうすれば、最初に受けた印象と異なり、騒ぐようなことではない、とわかるかもしれない。また、%表示を見たら、残りの%が何なのかを問いかけることで、事の本質を見抜く眼をもとう。

 本書の後半では、神経経済学(neuroeconomics)について触れています。神経経済学とは、脳神経学と経済学が融合した新しい経済学で、「行動」のもととなる神経生物学から、経済における選択の理論をつくりあげよういう試みです。

 この解説の中で興味深かったのが、「感情」の意味づけについてのくだりです。

(p271より引用) 正しい決定も、それを心に刻む感情が結びついていなければ、忘れ去られてしまい、過去の経験や知識を基礎にして活動することができない。感情やそれに関連する身体細胞の活動は、だから、有効な記憶と将来のシナリオに直結する力を保つための増幅装置として、決定のプロセスに不可欠な役目を果たしているのである。

 「感情」は、決定のプロセスにおいて「攪乱要因」ではないのです。合理性と感情とは対立するものではありません。

(p296より引用) 合理的な人とは感情のない人ではなくて、感情の操縦方法をよく知っている人なのだ。

 その他、本書では、「非合理的な判断」を材料にした多くの人々の典型的な思考/行動様式を指摘しています。

 その中で、古今東西を問わずよく見られる傾向は、「自分への甘さ」です。

(p176より引用) 私たちの行動や信念の正しさを裏づけるような何かいいことが起こったときは、その出来事を、自分だけが持つ能力のためだと考えがちだ。ところがことがうまく運ばないで、こっちが間違っていたり、こっちの考えがおかしかったりしたときには、誤りを認めてそこから学ぼうとはしないで、その不快な出来事の原因を、自分の考えや行動などとは切り離し、たとえば運のせいなどにしたりする。

 また、「選択」に関わる重要な示唆も語られています。

(p113より引用) 結果が同じでも、しなかったことより積極的にしたことのほうがよほどこたえるのだ。だれだって後悔にともなう嫌な気分は避けたいから、現状を変えようと決意することのほうが、現状を維持しようとすることよりむずかしい。

 ここで大事なのは、これに続く以下のフレーズです。

(p113より引用) 人は短期的には失敗した行為のほうに強い後悔の念を覚えるが、長期的にはやらなかったことを悔やんで心を痛める。

 やはり“チャレンジ”は重要ですね。



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