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がんこなハマーシュタイン (ハンス・エンツェンスベルガー)

 「ヒトラーに屈しなかった将軍」という副題に惹かれて読んでみました。  

 主人公は、ドイツ陸軍最高司令官クルト・フォン・ハマーシュタイン=エクヴォルト将軍です。「利口で怠け者、戦争嫌い」といわれるハマーシュタインの将軍ですが、こういう人物評もありました。

(p93より引用) ハマーシュタインは、参謀本部で誰もが信頼を寄せる静かな柱だった。その信頼は、なんといっても、ハマーシュタインの圧倒的な能力にもとづいていた。情勢をじつにクリアに、実にリアルに判断できるからだ

 ハマーシュタイン将軍のエピソードとして興味深かったのは、「部下の将校」の4分類でした。

(p98より引用) あるとき、どのような視点で部下の将校を判断するのか、と聞かれたとき、ハマーシュタインはこう言った。「私はね、部下を4つのタイプに分けるんだ、利口な将校、勤勉な将校、馬鹿な将校、怠け者の将校、にね。たいていの場合、ふたつのタイプが組み合わさっている。まず、利口で勤勉なやつ。これは参謀本部に必要だ。つぎは、馬鹿で怠け者。こいつが、どんな軍隊にも9割いて、決まりきった仕事にむいている。利口で怠け者というのが、トップのリーダーとして仕事をする資格がある。むずかしい決定をするとき、クリアな精神と強い神経をもっているからね。用心しなきゃならんのが、馬鹿で勤勉なやつだ。責任のある仕事をまかせてはならない。どう転んでも災いしか引き起こさないだろうから。」

 この中で面白いのが、「利口で怠け者」というタイプの適性のところですね。「トップのリーダー」としての素養としては目新しいものです。そして、まさにハマーシュタイン自身がそう評されていたのです。

 ハマーシュタインは、ヒトラーが政権を取らんとしたときのドイツ陸軍最高司令官でした。

(p135より引用) ハマーシュタインは、友人のシュライヒャー同様、ナチの政権参加のほうが、内戦の危険と比較して、最後まで「害が小さい」と思っていた。ますますふたりは、間違った考えの虜となっていった。ヒトラーとその党を政権に「取り込んで」責任をもたせれば、連中を分裂させて、「飼いならす」ことができる、と信じていたのだ。

 このときのハマーシュタインの誤算が、結果的には、後の世界史に大きな影響を与えたのでした。

(p236より引用) もしかしたら絶好のチャンスだったのに、フォン・シュライヒャー将軍とハマーシュタイン自身は、それと知りつつ逃してしまったのかもしれない。それは、政権の危機がヒトラー首相任命の前で頂点に達していたときのことだ。『それ以来、私はね、しばしば心のなかで自問したものだ。あのとき行動すべきだったのではないか、と。だが私はヒトラーを過小評価し、シュライヒャーを過大評価してしまっていた。私にとって重要だったのは、国防軍を政治的な権力闘争から、政党政治の権謀術数から遠ざけておくことだったのかもしれないな』

 ヒトラーの台頭は、当時のドイツ軍幹部の無理解がその後押しをしていたようです。たとえば、1934年6月30日、SS(親衛隊)の虐殺行動に対する将軍たちの反応です。

(p205より引用) 国防軍の新しい首脳は、ヒトラーの公然たる違法行為を最初は悪いものとは思っていなかった。・・・ほとんどの将軍が、自分たちが以前つかえていた国防大臣の殺害までをも文句も言わずに受けいれたのだ。・・・この6月の数日間の真の勝利者はSSであり、この勝利者が自分たちのもっとも危険なライバルとなったのだ、ということを彼らは理解していなかった。

 本書を執筆した意図を、著者はこう語っています。

(p428より引用) ハマーシュタイン家の物語を手がかりにすれば、ドイツの深刻な事態がかかえていた決定的な動機や矛盾のすべてを、再発見し描くことができるからだ。

 ただ、正直なところ、著者の意図の実現は、こと私に対しては十分には満たされなかったようです。

(p430より引用) この本は小説ではない。あえてたとえるなら、この本の流儀は、絵画というよりは写真に似ている。

 まさに、ハマーシュタインとその家族のひとつひとつのエピソードが、モノクロの写真のように無機質に示されていくのですが、ストーリーとしての連続性がうすいので、どうも今ひとつ理解しづらかったというのが実感です。



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