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能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ (安藤 寿康)

(注:本稿は、2023年に初投稿したものの再録です。)

 いつも利用している図書館の新着本リストで目についたので手に取ってみました。

 “遺伝子” や “ゲノム” の話題に関しては、最近は「食糧問題」の文脈から堤未果さんの「ルポ 食が壊れる 私たちは何を食べさせられるのか?」を読んでいます。

 翻って本書は、「人間の遺伝」の最近の研究成果を紹介したものです。ただ、私がイメージしていた内容(「分子遺伝学」的なジャンル)とはかなり異なっていました。

 本書は「行動遺伝学」の入門書のようです。
 「行動遺伝学」という学問、私は初めて耳にしたのですが、著者の安藤寿康さんは、こう紹介しています。

(p122より引用) 行動遺伝学は、分散の学問である。この世の中にいろんな人がいる、そのばらつきの原因は何か、そこに遺伝の違いが関わっているか、関わっているとしたらどの程度関わっているのか、遺伝で説明できない要因、つまり環境の違いで説明されるのはどのくらいか、どんな環境の違いが どの程度の説明力をもつか、そんなことを探究する学問である。

 また、こうも説明しています。

(p123より引用) 行動遺伝学は「遺伝学」を名乗っていることからも、生物学の一分野と思われているだろう。しかし、それよりはむしろ社会疫学である。社会全体に存在する個人「差」の原因を突きとめる学問である。

 この「行動遺伝学」で使われる「用語」が意味しているものは、通常私たちが思い浮かべるものとかなり異なります。「才能」「能力」「努力」・・・、そのあたりの解説は第2章で丁寧になされるのですが、正直、私にはちょっと理解しきれないところがありました。

 なので、そういった定義を前提にした専門領域に係る解説や議論は、興味深い内容ではあったにも関わらず、全くといっていいほどついていくことができなかったというのが正直なところです。

 しかしながら、最後の第5章「遺伝子と社会」で、安藤さんの論調がいきなり大きく変化します。

(p225より引用) 遺伝を白日の下にさらそうとすることには、・・・積極的な意味がある。それは人間の世界を本当に救ってくれるのは、確固とした遺伝的素質から生まれ出た「自然の能力」であって、環境や教育によって人為的につくり出されたものではありえないという、漠然とした、 しかし確固とした確信があるからだ。

 現代の実社会においてしばしば “タブー視” されがちな「遺伝」の議論を、正面から受け止め捉え直すことを訴えているのでしょう。

(p225より引用) 遺伝子は一生涯、あなたの心をあなたらしい形で自動運転しつづけている。それはまず、その人の内側からいやでも湧き出し、湧きつづけてしまう夢として立ち現われる。そして、それを実社会の中で形にする道を模索する道しるべとなりながら、何かを生み出しつづけ、その生み出されたものが、同じ社会を生きる人たちに、なにか幸福と夢を抱かせてくれる。人類の歴史はそのようにして紡がれてきており、これからも紡がれつづけていくだろう。

 現時点までの「行動遺伝学」の知見を踏まえた安藤さんなりの “未来観の表明”ですね。



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