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だれかを犠牲にする経済は、もういらない (原 丈人・金児 昭)

 原丈人氏の著作金児昭氏の著作も以前読んだことがありますが、とても真っ当な論調であった印象が残っています。

 本書は、そのお二人による「資本主義のあり方」に関する対談を起こしたものです。第一印象としては、今のキャリアに至る道程がかなり違うので、どんな対談になるのかと思いましたが、内容はなかなか興味深いものでした。

 タイトルにもあるように、お二人とも今の金融経済状況に大きな危機感をいだいています。

(p21より引用) 個人、法人、機関投資家の資金が、投機的なゼロサムゲームに流れるのを止め、長い目で見ればはるかに大きなリターンを人類にもたらす研究開発などの中長期の投資に対して流れていくような、税制、金融制度、証券制度などを日本が先んじて整えることができれば、金融不安の循環による世界の混乱をくい止める役割を日本が果たすことになります。

 こう語る原氏の主張は極めてクリアです。目指すのは「公益資本主義」、それはアメリカ型の金融資本主義の否定から始まります。

(p24より引用) アメリカの金融資本主義のおおもとにあるのは、二つの「間違い」です。一つは、「市場万能主義」、つまり市場にすべてを任せるべきだという新古典派の経済学です。もう一つは、「株主万能主義」、つまり、会社は株主のものという考え方です。この間違った理論と間違った思想を正さなければいけないということに、はやく世界が気づかないといけません。

 先の世界的な金融危機は、リスクマネジメント不在の金融工学が生み出した新手の金融商品の取引によるものでした。
 そこには金融取引で儲けようとする多くの投資銀行やファンドの存在がありました。彼らはありとあらゆる方法で形振り構わず利益を求めます。

(p149より引用) 欧米の金融資本主義信奉者たちは、ファンド運用者の利益に合わなくなったら、おおもとのルールを平然と変えようとしているわけです。・・・
 これからも、英米を中心とする、金融資本主義信奉者たちは、ルールや基準をつくっては、「グローバルスタンダードだ」と、みんなが飛びつくような甘言を使って、「世界の皆さんはそれに従いなさいという姿勢をとりつづけるでしょう。

 だとすると、問題は、「しからばどうするか」ということになります。
 企業の内部統制に係るSO法にしろ新たな国際会計基準IFRSにしろ、少なくとも欧米で上場していたり欧米と取引があったりする企業は否が応でも従わざるを得ないでしょう。
 そもそものルール作りの場で影響力を発揮するにはどうすればいいか、それを真剣に考える必要があるということです。

 さて、本書のもうひとつの楽しみは、こうした新たな資本主義を目指した議論の合間で語られるお二人の「考え方」「姿勢」に触れたくだりです。

 その中でも特に印象に残ったのが、金子氏のいう「あきらめる力」についてのお話です。

(p119より引用) 目の前のことを一生懸命に考えない。やらない人ほど、遠い未来のことを夢想しがちです。目先のことをやらずに漫然と過ごす。そういう生き方をしていると、自分の不遇を他人のせいにしたくなってしまいます。その時点、時点で、自分にとってどうにもならない境遇や実力不足は、あきらめる。ないものねだりはしない。できないことに無理にしがみつかずに、いまできること一つひとつ、一歩前に進めるようにする大切さを、私もやっとわかってきたのです。

 謙虚な語り口ではありますが、直面したすべてのことに一生懸命全力を尽くされてきたうえでの達観だと思います。
 誰もが軽々に語ることができるものではありません。



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