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自由をいかに守るか‐ハイエクを読み直す (渡部 昇一)

自由

 本書も、先に読んだ「日本史から見た日本人」と同じくセミナーの課題図書としていただいたので読んだものです。

 恥ずかしながら本書に触れるまでは、ハイエクという人は知りませんでした。
 辞典の受け売りですが、ハイエク(Friedrich August von Hayek 1899~1992)は、オーストリアの経済学者で、1974年ノーベル経済学賞を受賞しています。自由市場経済を擁護し、その著書「隷従への道」(1944)は当時のベストセラーになったといいます。

 本書は、渡部昇一氏によるハイエクの主著「隷従への道」の解説本です。
 渡部氏は若い頃、英語も独語も解することからハイエクの通訳もされ、身近にハイエクの考え方・発言に触れた経歴をお持ちです。

 ハイエクは、第二次大戦に至るドイツ等の姿を見、戦後のイギリスの行く末を憂いて「隷従への道」を著したといいます。もちろん、そこで否定されているのは「個人の自由」が抑圧された「全体主義」です。
 ハイエクは「自由」に最高の価値を置き、その保障のために「経済的自由」を強く主張しました。

(p37より引用) 「経済的自由なくして個人的自由も政治的自由もない」・・・これはヨーロッパ連合をつくる思想的もとになった団体であるモンペルラン・ソサエティのスローガンでしたが、社会主義政権は個人の経済的な自由を奪おうとするものであり、経済の主体を政府が握れば個人的な自由も政治的な自由もなくなるということを、ハイエクが日本に来たときにも主張してやみませんでした。

 ハイエクの「自由」重視の考え方は、渡部氏が紹介する以下のエピソードでも明らかです。

(p121より引用) ハイエクの講演で非常に印象深かったことの一つとして、「自由と民主主義を並べるけれども、どちらが重要かといえば、間違いなく自由のほうが重要です」とおっしゃったことがありました。極端なことをいえば、民主主義がなくても自由があればいい、ということになります。

 ここでの「民主主義」は「平等」と言い換えてもいいようです。

 また、ハイエクは自由の保障のため、「経済的目的と政治的目的の分離」を求めます。

(p223より引用) 経済的目的と政治的目的の分離が個人の自由を保障するという考え方は、ハイエクの一番のキーノートです。それは、政治的に偉くなくてもお金が儲けられるという制度です。ところが、かつてのソ連や今の中国を見ると、政治的権力がなければ富もありません。つまり、社会主義では政治的権力と富が一致する体制なのです。一方、自由主義社会は公的な地位のない人でも地主であり得るし、会社の社長でもある得るわけです。

 政治的権力による経済の統制には強く反対しています。
 まさにそれは「全体主義」への道に通じるからです。

競争と法

 引き続き、ハイエクの特徴的な主張をご紹介します。
 ハイエクは、経済的自由の保障のための重要な価値概念として「競争」をあげています。

(p223より引用) 競争体制こそが権力を最小化させる唯一の体制だというのです。競争社会では金持ちが生まれ、財閥もできるかもしれないけれども、そういう人が出てくることで普通の人の自由も保障される・・・

 ただし、競争が万能であるとハイエクは考えていません。競争が成り立つ土俵(枠組み)は、しっかりと準備されなくてはなりません。

(p72より引用) ・・・「有効な競争」をつくり出すことが必要で、そのためには注意深く考え抜かれた法的な枠組みが必要であるとハイエクはいいます。・・・競争を禁じて統制経済になるのではなく、競争を効果的にやらせるための工夫を法的につくるという意味の計画は重要であるということです。・・・
 統制をしなくても、競争によって諸個人の活動を相互に調整することができ、しかもそれは政治権力の恣意的な介入・強制を排除できるとハイエクはいいます。意図的な社会主義的統制を必要としないためには、競争が絶対に不可欠な要素であるのです。

 競争を有効に機能させる一つの方法は、「『価格』の調整機能」にゆだねるという道です。

(p90より引用) 競争に調整機能があるというのはハイエクにおいて最も根源的な主張です。・・・
 競争は単純な社会よりも複雑な社会で効力を発揮するとハイエクはいいます。・・・ものすごく複雑な社会になると、個人はいわずもがな、いかなる優秀な官僚を集めても、命令で需要と供給のバランスをとることは絶対にできません。
 そこで、当事者がわかっている事実にしたがって独自に行動するに任せ、それぞれの行動が全体として調和するような調整がどうしたら可能になるかという問題をハイエクは提起し、「価格」というものの持つ情報機能と重要性を指摘します。
 不可能に思われるようなこの調整機能を見事に果たしているのが、競争体制における「価格機構」だとハイエクはいいます。つまり、自分の決定と他人の決定とをうまく折り合わせる情報は価格に集約され、調整が可能になるというわけです。

 もう一つは「法」です。
 ただし、ここでいう「法」は限定法でなくてはなりません。

(p73より引用) ハイエクが日本に来て講演したときに、「自由主義の法律はDon’tであるべきである。Doであってはいけない」といいました。
 ハイエクが是認する法律の特色は「否定」です。「これこれをせよ」という法律ではなく、「これこれすべからず」という法律を求め、否定されていること以外はやっていいというくらいでないと、自由主義ではないというわけです。

 また、こうも説明しています。

(p128より引用) 経済的な面で、国家は一般的な状況に適用されるルールだけを制定すべきだとハイエクはいいます。要するに、法は抽象的でなければいけないということです。そういうルールがあれば、あとは個人個人がその場の状況に応じて行動するわけです。・・・
 いずれにしても、本来の法は個別的な命令であってはならず、詳細が予見できない条件において適用されるものでなければならず、特定の目的や人間のもたらす効果が前もってわからないものだとハイエクは繰り返します。

 法は「機会の均等」をもたらすべきであって、直接的に「結果の均等」を目指すべきではないとの考えです。

ハイエクの概念

 ハイエクの「隷従への道」は、「自由」とりわけ「経済的自由」を強く主張した書物ですが、その中で、いくつか、今の時代でも別のコンテクストの中で見られるような概念が紹介されていたので、以下にいくつか覚えとしてご紹介しておきます。

 まずは、「消費者」という概念とその位置づけについてです。

(p78より引用) ここでは「消費者」という言葉がハイエクの中心概念の一つとして登場します。・・・
 談合によって各業界が得するということは、その業界の資本家、経営者、労働者のいずれもが得をすることになる。しかし得をする者がいれば、損する者もいるのが当然です。しかし、資本家と労働者というマルクス主義の観念では、誰が損をするのかはわからない。消費者という概念を出したときに初めて、業界談合によって誰が損するのかがわかるわけです。消費者とは自由主義競争の社会から最大の利益を得る人たちだと規定していいでしょう。

 また、「個性の重視・人の多様性に価値をおく考え方」も示されています。

(p252より引用) 違った知識や違った見解を持つ人たちの相互作用が思想の生命だとして、理性の成長は個人の間にこのような違いが存在していることに基礎を置く社会で生まれるのだとハイエクは書いています。

 最後に、ハイエクが示す「経済成長の条件」です。

(p312より引用) 経済成長の条件として、ハイエクは次のような項目を示しています。第一に、大きく変化した環境に、全員が自分を素早く適応させる準備があること。第二に、特定のグループが慣れ親しんだ生活水準を維持させようという考慮が、変化への適応を阻害するのを許さないこと・・・第三に、持っているすべての資源を、すべての人々が豊かになるのに最も貢献する分野へ投じること-市場に任せれば自然にそうなります-。

 すでに、このころから「変化」への対応の重要性を指摘しています。


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