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回想のすすめ - 豊潤な記憶の海へ (五木 寛之)
(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)
高校・大学時代に五木寛之さんのエッセイを何冊も読んでいたこともあり、いまだに五木さんの著作は気になるんですね。
もちろんすべて読もうとも思っているわけではないのですが、時折目についただけで手に取ってみることがあります。本書もそういった類です。
本書のテーマは「回想」。
五木さんが考える「回想」はこういったものです。
(p30より引用) 未来は回想によって予見される。過去をふり返らない者に明日はない。・・・
回想といえば、すぐに思い出、と短絡的に連想する向きもあるだろう。思い出、という表現にはどこか感傷的なわびしげな気配がある。
しかし、そういう回想は、 回想のごく一部でしかないだろう。私のイメージする回想とは、それとはちがうダイナミックな記憶だ。
そして、五木さんの「回想」の中に登場する人々。「第三章 回想・一期一会の人びと」に登場する面々はまさに多彩です。
ミック・ジャガーにモハメド・アリ、ヘンリー・ミラーにフランソワーズ・サガン・・・。
川端康成さんと出会った際のエピソードは、当時の「文壇」の時代感に溢れ興味深いものでした。懇意にしている「小説現代」の三木章編集長に連れていかれた銀座の「ラ・モール」というお店です。
(p139より引用) やっと席にもどったとき、一人の和服姿の痩せた人物がやってきて隣りに坐った。向うが黙っているので、私も黙っていた。するともどってきた三木さんが、びっくりした顔で、
「これは、これは、川端先生」
と言った。私はそのときはじめてその小柄な男性が『雪国』の作家だと気づいたのである。
その後の二人の様子もいかにもそれらしいものでした。
さて、本書ですが、こういった五木さんが自身の“回想”を語るエッセイのパートと、“回想”世代に対して暮らし方を指南しているパートとに分かれています。
(p194より引用) 社会保障や介護といっても、限界があるはずだ。私たちは自分もいずれボケる人間として、それを自覚し、より良いボケかたをする心構えとノウハウを身につけなければならない。「ボケかた上手」こそ、今後の高齢社会に必要なノウハウなのだ。
確かに避けようのない現実ではありますが、私も一日一日とそういった年齢に近づいているだけに、こちらのパートの話題になるとちょっと寂しい心持ちになりますねぇ。