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歴史を考えるヒント (網野 善彦)

 網野善彦氏の著作は、このnoteでも以前「日本の歴史をよみなおす」をご紹介しました。
 そこでは、「百姓」という言葉の表わす実態がいわゆる「農民」ではないとの指摘から、江戸時代以前の日本が思いの外多面的な社会相を呈していたことを明らかにしていました。

 今回の本も、普段何気なく使っているいくつかの言葉の歴史的背景を辿ることによって、「多様な日本社会」の有様を平易に描き出しています。

(p141- 142より引用) 実際、江戸時代の社会が従来考えられてきたほど閉鎖的でなかったことは、近年広く認められるようになってきました。‥
 産業・技術の面でも、確かにヨーロッパで生まれた蒸気機関はなかったにしても、それに直ちに対応できるだけの潜在的な力は十分に持っていたと考えられます。百姓、普通の人たちの生活の中に非常に多様な正業、技術が蓄積されており、それを基盤に高度な職人芸が展開していたのです。

 この本で取り上げられている言葉の多くは、「市場」「手形」「切手」「為替」といった当時の日本の経済活動に関わるものです。

(p151より引用) 「手」には交換という意味が含まれていると考えています。

 そこには、「無縁」という概念が関係してきます。
 中世の商業は、いったん「無縁(誰の所有物でもなくなること)」という状態が介在して「相互交換」が行なわれたのではないかと網野氏は論じています。このあたりの立論はなかなか興味深いものがあります。

(p160より引用) 近代以前の日本の商業・金融は、われわれが思っているよりもはるかに高度な発展を遂げていたと思います。・・・
 そうした成熟した商業・金融の発展があったので、六、七百年前から使われていた言葉が、高度な資本主義社会となった現在まで生きつづけているのではないかと思います。

 もうひとつの網野氏の視点は、歴史背景をもつ「言葉」の地域間の「差」てす。これらは、特に「地域名」や「身分呼称」に表れます。

 網野氏によると、「サントリー佐治社長(当時)の“熊襲”発言」も、この「言葉に対する歴史的認識の欠如」が底流にあったのだと言います。

(p51より引用) それぞれの地域に固有の歴史があることに気づいていないがゆえの失敗だと思うのです。そして、この出来事は、日本人が決して一様ではなく、多様な歴史を持っていることについての認識の欠如が、時として人の心を傷つけてしまうことも有りうる、という事実を示す好例だと思います。
・・・今回は、今なお生きているそうした地域の多様性への理解を、言葉の問題を通じて深めて頂ければと思ってお話しいたしました。

 これも大事にしなくてはならない視点だと思います。


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