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動物園・その歴史と冒険 (溝井 裕一)

(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)

 いつもの図書館の新着本リストの中で目につきました。
 ちなみに、私は小さい頃から「動物園」とか「水族館」とかが大好きなのです。

 著者の溝井裕一さんは西洋文化史が専門の関西大学文学部教授ですが、「ひとと動物の関係史」というあまり耳慣れない学問ジャンルも専門とされているのこと。
 タイトルどおり、古今東西の「動物園」の歴史を辿りながら、数々の興味深いエピソードを紹介しています。

 その中から、まず、動物園の歴史に関する解説の中で興味を惹いたところです。

 動物園の原初は、古来、時の権力者の富や支配力をアピールする施設でしたが、その後、研究や種の保全といった学術的性格をもつようになりました。そしてさらに、事業主体や運営環境によっては、人々に「娯楽」を提供するエンターテーメント施設としての色彩も加わっていったようです。

(p105より引用) 動物芸への傾倒は、動物園が、博物館の一部であることをめざした研究・教育施設から、しだいに娯楽施設へと変容していったことを示している。多くの人びとにとって、動物園は珍獣をみるための場にすぎなかったのだ。この流れに竿さしていたのが、鉄道会社がオープンした、遊園地つき動物園(ないし動物園つき遊園地)である。

 日本の場合、特に阪神電気鉄道や箕面有馬電気軌道といった関西の私鉄を中心に、沿線の開発やそこに住む価値向上の一環としての「動物園を併設した娯楽施設」が作られたのでした。“動物園=遊園地” というイメージの浸透です。

 こういった動物園のコンセプトの変化に対応して、展示方法も変遷を遂げていきました。

 日本では、最近、旭山動物園を皮切りに「行動展示」「生態展示」が主流になっていますね。それ以前は動物の姿形を見せる「形態展示」が中心でしたが、その時代においても動物の見せ方は様々に工夫されていました。
 たとえば、20世紀初頭、ドイツ(ミュンヘン)のヘラブルン動物園では “ジオ・ズー” とのコンセプトのもと「動物地理学的展示」を実現していました。

(p160より引用) ハーゲンベックは、全域の生きものをひとつのパノラマのなかで飼ったために、各地の自然に忠実でないと批判を浴びた。これにたいして、ヘラブルン動物園では地理的な区分、たとえばヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカに対応したエリアをもうけ、それぞれの地域に由来する動物たちをセットにしたのである。たとえばアジア・エリアなら、手前にアジア産の草食動物を配置し、奥にシベリアトラやユキヒョウを置く。こうすることで、アジアの風景を「1枚の絵」として観賞することができた。

 こういった動きが、より自然に近い環境を再現し、見物する側も同じ空間を共有する形で様々な動物の姿を楽しむ「サファリ・パーク」や「テーマ・ズー」の流行につながっていったのです。

 さて、最後に、本書を読み通して最も印象に残ったところ、「戦時下の動物園」についてのくだりを紹介しておきましょう。

(p181より引用) そもそも、日本の動物園で実施された動物の殺処分でさえ、プロパガンダ的な性質があった。動物たちの悲劇的な最期をみせつけることで、国民に覚悟を求めるのである。京都市動物園は、「空爆のため、オリの破壊による猛獣類の脱出を恐れた当局が、命令によって彼等を処分させたというのが表向きの理由だが […] 市民が馴れ親しんだ動物を処分することへの鉾先を、敵国にたいする憎しみに置きかえて倍加させ、戦闘意欲、勤労意欲の高揚をはかる意図が背景に隠されていたともされている」と書いている。

 こういう形で動物を扱うといった発想が想起されること自体、信じ難く言葉を失いますね。
 これも、戦争のもたらす理不尽さですが、何も日本に限ったことではないようです。海外においても、以前からまた最近の紛争下、各地の動物園で似たような悲惨で身勝手な営みがなされているのです。
 なんとも醜く悲しいことですね。

 


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