
世の中にひとこと (池内 紀)
たまたま図書館の新着図書の棚にあったので手にとってみました。
著者の池内紀さんは、ドイツ文学者でありエッセイスト、本書は、信州の地方紙に掲載された著者のコラムを再録整理したものとのことです。
全体を「春夏秋冬」の4章にわけ、一話2・3ページのボリュームでテンポよくエッセイが並びます。
その中から気になったフレーズをいくつかご紹介します。
まずは、信州松本にある喫茶店を訪れた際の、著者の「文化」にまつわる感想です。
(p29より引用) 年に一度出かけるかどうかの豪華な文化会館よりも、毎日やさしく迎えられ、くつろげるところ、そんな場を身近に持つことこそ文化なのだ。
続いて、ネット情報に判断や自分の好みさえも委ねる「情報社会」について。
(p75より引用) いっさいをインターネットやホームページの情報にゆだねるのは、せっかくの機会を“情報屋”に売り渡したことにならないか。誰が選んだとも知れない「おすすめの店」で、「おすすめ料理」を食べるのは、つまるところ情報を食べているだけのことではないか。
そして、政治や権威の話題になると、著者の切り込みは一気に厳しくなります。
「リストラ」「ローン」「セーフティネット」等に代表される片仮名語、また「後期高齢者」といった官製語を取り上げてその欺瞞的姿勢を批判します。
(p136より引用) 政治学では「ユーフェミズム(euphemism)」という。「遠まわしの言い方」で事実をごまかすこと。政府や権力側が使う常套手段であって、大衆操作の道具とされている。
また、「裁判員制度」をテーマにした章では、日本人の心性の観点から、その導入の拙速に警鐘を鳴らしています。
(p169より引用) そもそも日本人は、こういう形で人を裁く資格をもつかどうかの根本的な疑問からだ。
社会的な事柄に関して、この国では幼い頃から議論をする習慣をやしなってこなかった。長じてもその訓練を一切しようとしない。
ものごとを判断するとき、「なんとなく」といった感覚優先で、おそろしく情にもろい。それは文化の基底にも流れていて、日本人の心性そのものではあるまいか。
こういった昨今の社会に関する著者の辛口のコメントには、私も含め首肯する人が多いのはないでしょうか。
最後ご紹介するフレーズは、「平成の大合併の愚」について。
瀬戸内の小さな町を走るバスの中の風景に接して、著者はこう語ります。
(p15より引用) 合併によって人口が倍増したり、面積がグンと大きくなった。それを誇らしげに口にする首長の談話を見かけたが、愚かしい限りである。行政区が人間的尺度を無視して一定の限度をこえると、ムリ、ムダが生じ、しわ寄せが、まず幼い者や老いた者にいく。つぎには暮らしそのものが成り立たなくなる。
小さな手を握りしめ、じっとうつ向いていた女の子は訴えていた。放課後、仲よしと遊ぶまもなくバスに乗せられる。毎日、往復一時間の乗車を強いて、それを乗客数にカウントする大人たちの身勝手さ。
著者の厳しさと優しさの視線が交錯しています。