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「十五少年漂流記」への旅 (椎名 誠)

 椎名誠氏の幼い頃からの愛読書のひとつが、ジュール・ヴェルヌ作の「十五少年漂流記」だそうです。

 その漂流記の舞台となった15人の少年たちが漂着した島、ハノーバー島。従来からの説では、そのモデルとなったのはマゼラン海峡付近にある「ハノーバー島」でした。
 そのいわば定説に疑義を唱えたのが、園田学園女子大学の田辺眞人教授でした。田辺教授は、氏の論文「ニュージーランド研究」において、モデルの島は、ニュージーランドの東、約800キロのところにある「チャタム島」ではないかと指摘したのです。

 椎名氏は、その正否を確かめるために、南米チリの南端の島「ハノーバー島」とニュージーランド沖合いの島「チャタム島」を実際に訪れました。
 その結果、椎名氏がたどり着いた結論は、「チャタム島」がモデルの島に違いないということでした。その確認の旅程の記録が本書ですが、本書の楽しみは旅行記としてのみではありませんでした。

 世界で最も東にある場所として「日付変更線」を歪めた「チャタム島」。そのことが、ヴェルヌが「チャタム島」を知ることのきっかけになったのだろうという田辺教授の推測。さらには、「十五少年漂流記」はその当時の世界事情を反映したキャスティングだったという説・・・。

(p93より引用) 英語圏の読者にとっては主人公がフランス人というのは乗りにくい。ましてやその主人公の仇役のドノバンはイギリス人なのである。
 そしてこの話を当時の世界事情にからみあわせると、フランスとイギリスの対立をアメリカ(ゴードン)が賢く仲介して全体の和をつくっている、という構図になる。
 こうした分析を見てぼくが「なるほど」と思ったのは、ぼくがなぜ工作好きの「バクスター」に心情をかたむけたか、ということだった。バクスターは「日本」なのではないか。
 バクスターは何か必要なものができると工夫して何でも作ってしまう「勤勉で手先の器用な少年」である。これはかつての日本の評価そのものではないか。

 こんなふうに、謎解きとしても楽しめる話が次々と登場してきます。

 また、「さまよえる湖」を求めて、今回の旅の前に訪れたタクラマカン砂漠での椎名氏の経験も興味深いものです。

(p89より引用) 砂漠の旅で気がついたのは、砂ばかりの地をいくと、風が見える、ということだった。・・・
 多くの風はそこを行く者に「迷惑」である。・・・
 けれどそれによって初めてオアシスに入っていくときに、オアシスの意味がわかった。そこからは「水の匂いがする」のである。

 本書には、探検や冒険の楽しさが目一杯詰め込まれています。
 幼い頃抱いた探検や冒険に対する憧れは、「未知なるものへのワクワク感」でした。

(p200より引用) 『十五少年漂流記』を、子供の頃に読むことの幸せは、これから何がおきるのか、どうなっていくのか、という不安と期待が凝縮している、そしてそれらの全てを、十五人の子供たちだけで対応していかなければならない、という“未知”があることだった。・・・
 知らない世界を目の前にしたとき、価値観は変わり、それら未知のものに対応していくたびに思考がひろがり、深くなっていく。



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