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堤清二 罪と業 最後の「告白」 (児玉 博)
(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)
いつもの図書館の新着書のリストの中で目についたので手に取ってみました。
堤清二さんは、言わずもがなですが、セゾングループの総帥、「辻井喬」というペンネームで小説家としても有名でした。(2024年注:最近の方は「セゾングループ」といっても、あまりピンとこないかもしれませんね)
本書は、トータル10時間以上にもわたるインタビューで堤清二さんが語った一族の物語を聞き記したものです。
堤家といえば、実業家であり政治家でもあった康次郎氏のワンマンぶりとその異母兄弟である清二氏、義明氏との確執が有名ですから、ドキュメンタリーの舞台としては全く不足はなかったものと思います。
清二氏、義明氏、康次郎氏の名前が同時に登場するくだりをひとつ書き留めておきましょう。
(p144より引用) おそらく清二は自信があり過ぎるのだ。その天才の論理からすれば、自分が身を退いたが故に、西武王国は落日の憂き目を見たという理屈しか成り立たないのだろう。 義明のことを凡庸と切り捨てたが、ある意味、天才性を発揮した清二からすれば、義明だけでなく大半の人間が凡庸に見えたはずだ。それを躊躇せずに言ってしまうか、あるいは心に留めおくことができるかどうかで、その人物の評価は自ずと変わってくる。清二はまったく無意識にそれを口にする。言われた者の気持ちを慮るということはない。それは清二の天才性のひとつの発露なのかもしれないが、かつての清二の側近たちが、今なお清二の名を口にする時に見せる怒気を孕んだ表情を思う時、義明とはまったく別の形ではあるが、やはり康次郎から引き継がれた独裁者の気質、血脈を思わない訳にはいかない。
さて、本書の読後感です。
大宅壮一ノンフィクション賞受賞時の選考委員の評価も抜群とのことで、手にした時の期待値が高まっていたったせいもあるのでしょうが、読み終えての印象は正直なところ大いなるフラストレーションが溜まっただけでした。
清二氏が語った事柄は忠実になぞられているのだと思いますが、その元や裏にあるエピソードの紹介や背景の深掘りが今ひとつなので、ノンフィクションとしての “肝”である事象の本質に迫る鋭さや事実の積み上げの重厚さが全くといっていいほど感じられませんでした。とても残念です。
口直しに、たとえば、セゾングループを創り上げた事業家としての清二氏の思想や足跡を深掘りしたような “骨太のノンフィクション作品” を探してみたくなりますね。