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全駅紹介 中央線(東京~高尾)ぶらり途中下車 (坂上 正一)

(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)

 いつも利用している図書館の新着書籍リストの中で目に付きました。

 東京から高尾までの中央線32駅の沿革やエピソードをひと駅ずつ取り上げた著作です。

 中央線と私との関わりを辿ってみると、今から45年ほど前の学生時代、友人が高尾の下宿に住んでいたので、月に何度か「高尾駅」で乗り降りしていました。社会人になってしばらく縁がなかったのですが、国分寺に自宅を持ったことから中央線は通勤で使うことになりました。それももうおよそ四半世紀になります。

 いつも乗り降りしている最寄りの駅は「国立」ですが、利用し始めたころと現在とでは国立駅も大きく様変わりしましたね。駅舎が新築され線路は高架になり、北口駅前のゴルフ練習場もマンションになりました。

 その「国立」の成り立ちについて、本書ではこう紹介されています。

(p255より引用) 堤康次郎が率いていたデベロッパー「箱根土地」は、当時は山林だった国立市北部を切り拓く。大学用地を基準にメインストリートを設け、分譲地の宅地は間口10間、奥行20間の200坪を標準とし、放射道路沿いに商業地を配置する図面を描くと、学園都市建設に着工。同時に中央線に新駅を誘致。国分寺駅と立川駅の中間であることから「国立」を駅名とした。
 堤康次郎はその頃、軽井沢の開発も手がけており、駅前広場を飛行場に、大学通りを滑走路代わりに、軽井沢と国立を飛行機で飛び回り、陣頭指揮を執った云々のエピソードが残されている。
 東京商科大学が神田一橋から国立の学園都市に移転してきたのは昭和2(1927)年。その前後から分譲地に住宅が建ち始め、戦前から戦後にかけて国立音楽大学、桐朋学園、国立学園、NHK学園なども開校して、国立は住宅地としても発展していく学園都市となっていった。

 こうやって開発される前、このあたりは、甲州街道沿いにある平安時代創建の「谷保天満宮」を中心とした村落だったとのことです。そう思うと、かなり古くから歴史を重ねている土地なんですね。

 ともかくいつも使っている路線の蘊蓄を語った本なので、私としては、とても興味深く親近感を持って読めました。



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