ただいま日本。おつかれ私。
思っていたよりも大きな感動もなく、私の11ヶ月の世界多分一周旅が終わった。
いや、そもそも最後に感動があると思ってもいなかったから、想定していた通りではある。
私は卒業式とかでも泣いたことがない。中学生の頃のバスケの引退試合でも、レギュラーで唯一泣かなかった女だ。11ヶ月前の退職の時も、15年間働いた私を、同僚たちが大勢泣きながら送り出してくれたのに、私は笑っていた。
終わりの節目に、込み上げてくるものがないタイプの人間なのである。
数年前のカミーノデサンティアゴの巡礼旅は、800kmを歩いてゴールした時点では二日酔いがひどくて、ミサの途中に居眠りしてしまうという失態があった。しかし目が覚めた時に始まった聖歌を聴いた途端に、涙が止まらなくなったというのが唯一「終わり」の時に、私が涙を流した出来事だと思う。
いつも、淡々と終わりを迎えている。私の性格である。
泣かないとしても、感動するとか満足感でいっぱいになるとかがあってもいいものだが、そりゃ達成感や出会った人たちへの感謝はあるが、本日も至って普通で我ながらびっくりする。
それでも、最後に感動するために何かを続けてきたわけではないし、最後に感動しなかったからと言ってだめなわけでもない。
続けてきた毎日の中にたくさんの楽しさがあり、しんどさもあり、感動もある。だから、最後も同じ一日だと思っている。
私の世界多分一周旅のメキシコシティ最後の日も、同じように朝目覚めてダラダラと2時間ほど布団の中で過ごし、街歩きをして、興味のあった国立人類学博物館に行って、変な時間に食べたいハンバーガーとタコスを食べて、土砂降りにやられて雨宿りして、ちょっと最後だしと思って贅沢にカフェでお茶をしてプリンを食べて、また歩いてまたお茶をして、宿に戻って荷物を整理して、シャワーを浴びて空港に向かった。いつもの移動の時と同じように機内でゆっくり過ごせるゆるい格好になって、ラウンジで軽くアペロールスプリッツを飲んで、サンドイッチやフルーツを食べながら、旅の間に少しずつ読んでいた村上春樹の新作を読み終えて、搭乗時間ギリギリに乗り込んで、シートベルトとアイマスクをして、音楽を聴きながら眠った。
パタゴニアで、27時間夜行バスに乗ったから、日本までの14時間のフライトなんてあっという間だなぁ。
機内食はカレーか、ナイスANA。
ドリンクに茅乃舎のお出汁スープがある、ナイスANA。
映画は大したラインナップじゃないし、やっぱり眠るに限るな。
そんなことを考えながら、1秒1秒日本に近づいていく。
日本に帰ったら、数少ないなりにいる私の友達に会えるのが楽しみである。
今後いろんな人に聞かれると予想される「どこが1番良かった?」という、世界一答えるのに難しい質問に対する答えを、今から用意しようかと考える。長く旅をしたせいで、前半の旅の記憶があまりないが、帰国したら写真や自分のnoteを読み返して、思い出したい。
旅で出会った人たちに好きな曲を聞いてそれを一緒に聴いたり、その地でよく聴いた曲などを集めてプレイリストを作るのが私の旅でいつもやることなのだが、さすがに長旅のため曲が増えに増えて、プレイリストが最終的に3時間を超えてしまった。
旅の移動中によく聴いていたのだが、それを日本に向かう機内でシャッフルして聴いていると、フランスで知り合ったザビエルと外でウィンナーを焼きながら一緒に聴いたミッシェル・ポルナレフの後に、インドのクラブでみんなで歌いながら聴いたマイリー・サイラスの「fower」、そしてパタゴニアで聴いた「コンドルは飛んでいく」、スウェーデンのアヴィーチーのミュージアムで聴いた「Waiting for love」が続く流れのセンスに笑った。
この旅の思い出プレイリスト作りは、旅と音楽が好きな人に全力でおすすめしたい。
匂いと音楽は、記憶との結びつきが深いと思っていて、どちらも何年経ってもふとした時にそれが匂ってきたりまたは聴こえてくると、当時のことが勝手にありありと思い出されることがしょっちゅうある。
今回のように1年近く旅をしていると、世界中で年間通して流行っている曲というのがあるもので、行く先々で何度も同じ曲が流れていることもよくあった。また、どこのホステルでもかかっているノリのいい曲などもあり、今後その曲を聴いたら間違いなく私はこの世界多分一周旅の場面を思い出すことになる。
きっと、今後この旅を思い出すことが減ったり記憶が薄れていったとしても、ふとした時に音楽が記憶の箱の蓋を開けて助けてくれると思うから、楽しみである。
何はともあれ、私の11ヶ月の旅は終わった。
今の心境としては、早く家のお風呂の湯船にお湯を溜めてゆっくり風呂に浸かりたい。洗濯機の念入りに洗う設定にして、きれいに洗濯したい。それくらいである。
旅をしてみて分かったが、11ヶ月が今の私の限界であり、ちょうどいい時に終わらせられたと思う。
1年間だと限界を越えてしまったと思うから無理だったし、10ヶ月だと早かった。ここがまさに体力(財力も含める)の限界だった。
若くないので、何か体力を使うことをすると、昔よりもリカバリーに時間がかかってしまうことはこの旅で痛感したが、そのリカバリーも徐々に、充電してもしてもすぐに20%になる古いiPhoneのバッテリーのようになってきていた。休んでも休んでも100%に戻らないのである。それだけハードなことを好んでやってきたせいもあり、それはめちゃくちゃ楽しいことなのだが、そろそろバッテリー交換をしなければ使えなくなる。
45歳から46歳という、人間の老化現象が著しく現れがちな重要なポイントにおいてハードな旅をしてしまった。毎日どこであろうと水道の蛇口から水が出る限りは、優しく泡洗顔を続けてきた。それでもシワは増え、シミのできるスピードもすごいし、白髪も増え髪も抜け、顔も下に伸びてきて、手が老婆みたいになってきた。5月に剥がれた足の右親指の爪が新しく生え始めたが、変な形をしている。腰も肩も膝も、ずっとどこか痛い。
なんとか色々と転がり落ちそうな手前でブレーキをかけたい。
落とし物や失くし物も、11ヶ月を通して定期的にやらかしており、今後集中力の低下で加速する予感があった。カメラGRも故障し、タブレットの音量スイッチも故障してしまい、Bluetoothイヤホンの調子も悪くなってきている。毎日のように寝巻きにしてきたスペインのフェスで買ったレッチリのTシャツもヨレヨレで首元の汚れが気になってきた。(手洗いの限界。ウタマロと漂白剤の助けが必要)
旅の相棒たちも体力の限界がきている。11ヶ月というのはそれだけの時間なのだと長旅をして初めて気づいた。
旅の最後に書くnoteが体力の限界や老化現象について長々と綴ってる時点で、全く感動がなくて我ながら呆れる。手が老婆とか、こんなことを私は11ヶ月の旅の最後の機内で書くことになるとは笑ってしまう。
でもこれが今の正直な気持ち。
とにかく疲れた。
毎日、やりたいことしかしなかったし、行きたいところにしか行かなかったし、食べたいものしか食べなかった。会いたいと思う人にだけ会って、一緒にいたいと思う人だけと、一緒にひとときを過ごした。
毎日よく笑ったし、時々怒ったし、喋ったし、よく歩いた。
わがままに力いっぱい11ヶ月間生きると疲れる。そういうことなのだと思う。
終わる日よりも、11ヶ月間の日々の小さな出来事の中にも感動はたくさん詰まっている。それを、帰国して落ち着いた頃にまた振り返って綴っていきたい。
2023年11月11日の私は、とにかくいつもと同じように過ごしている。とは言うものの、いつもは長時間移動の時は体力温存のためにずっと眠っているのに、今日は珍しく眠らずに映画を見たりこれを書いたりしている。
やはりいつもとは違う。
いつも以上に体力は消耗し疲れてはいるが、体力を温存しなくてももういいのである。旅はやっぱり終わったのだ。
記憶を取り戻し体力回復のためにも、今帰国するのがベストタイミング。感動はあまりなく感情面ではイマイチだが、タイミング的には最高のフィナーレになっていると思う。
この淡々とした流れを取り繕う意味ではないんだけど、でも最後にやはり書いておこうと思う。
11ヶ月、すごく楽しかった。
毎日最高だった。
出会ってくれた人に感謝してるし、ここで読んでくれた人たちにも感謝している。
ありがとうございました。
とにかく家でゆっくりしたい。
そして全力で疲労回復に努めたい。
2023年11月11日。
日本時間の午前5時半の私の気持ち。
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