「では、また」 そう言って旅を終える
18きっぷで大阪から岐阜駅まで行き、
途中下車して信長に挨拶してから南インド料理屋に寄り道し、奥飛騨温泉郷で温泉宿に泊まり、
1人でホルモン鍋食べて、ライトアップを見て、雪見温泉を堪能。飛騨高山では夜も朝も昼も歩き回って食べまくった今回の旅。
2021年、1発目の旅としては満足度2000%だった。
あの旅からもう半月以上経ち、楽しかったなぁ、美味しかったなぁ、美しかったなぁが私の頭をこだましている。
岐阜県、飛騨地方が本当に大好きで、何回も誰かと旅しているのだが、1人でじっくり飛騨を旅して堪能したのは初めてで、文章にしたのも初めてだった。
なんちゃって岐阜観光大使として、私の変な魅力ではなく岐阜の魅力を少しでも多く伝えられてるといいなと思う。
コロナ禍の旅で、時々、観光地のしんどい部分を目の当たりにしてしまったが、色んな人と触れ合って、頑張ってほしいなぁ、私も大阪帰ったらまた頑張るか、また旅したいぜ、なんて思うひとときも持てた。
私はややこしい人間なので、その場のノリで「じゃ、また会おう」という言葉を発することに非常に慎重なタイプである。
もう会うつもりもないのに思ってもいない言葉を言いたくないと思う時もあるし、会えたらいいと思うけど現実的にもう一度会うのは難しいかもなぁと思う時もあるし。
旅先でもう会うこともないだろう人に、別れ際、社交辞令的に「またね」と言う時、3秒くらいためらってしまうのである。何も考えずに、さわやかにそう言える人が羨ましい。
私が本当にまた会いたい人には、連絡先を交換し、会うための手段を講じて再会を果たしている。旅先で出会って、そうやって今も繋がっている人も多い。
しかし、旅で出会って言葉を交わす人は、ほとんどがもう2度と会うことのない人である。
もう会う機会は今後ないとしても、いい出会いだったし、ありがとうという気持ちもあるのに、「じゃ、またねー」と言うのをついついためらう自分のそういう社交辞令嫌いなところをどう捉えたらいいのだろう、何と言えば正解なのだろう、と考えることも多かった。結局「じゃあね、ありがとう」が1番無難かなぁと私なりの回答を見つけていたが、これだとベストアンサーではない気がして、やはりまだ3秒ためらっていた。
長年考えてきたその答えが、高山に向かう行きの電車の中で読んだオードリー若林正恭の本に書いてあったのだ。
ぼくは旅先でほぼ叶えられる可能性が無いであろう「では、また」が好きだ。
ぼくは絶対この先ふとした時にこの人のことを思い出すだろうから、その時用の「では、また」なのだ。
そうか。それでいいのか。
いつか思い出した時にまたその人と心の中で出会うから、
「では、また」でいいのか。
実際に会うかどうかが重要なのではなく、今後もう会うことはなくても、思い出すことで心の中でまたいつでも会えるのだから、3秒もためらわずに「では、また」と笑顔で口にしていいのだった。これが答えだ。
長年引っかかっていた胸のつかえが取れた気がした。
若ちゃんはいつもわたしの心のモヤモヤに道を照らしてくれる。
おかげで、飛騨を旅して出会った人たち、ホルモン鍋のおばさんたちや、みそ屋の泰子さんや、温泉旅館のお兄さんや、だんご屋のお姉さん、ごはん屋さんでサービスで甘酒に生姜を入れて持ってきてくれたおばさんたちに、「では、また」と迷わず口にした。
そして、飛騨にも「では、また来るよ」と心で言った。
たくさんの「では、また」を口にした今回の旅は、とてもいい旅だったと思う。
最後に、また出会いたい飛騨牛の写真を。
甘酒に生姜は合うと教えてもらった。
飛騨牛の朴葉味噌。大阪でも食べれたらいいのに。
冬の旅にはぜんざいでしょう。
昼の手長。
高山駅すぐ近くの足湯で旅をしめくくり。
岐阜観光大使の旅日記、お付き合いありがとうございました。では、また。
追記。
ちなみに今日、2月にまた奥飛騨の平湯温泉の旅館を予約した。「では、また」を本来の意味で使えている可能性濃厚。