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スペイン語修行記 en グアテマラ

スペイン語の勉強をやると決めてやってきた町、グアテマラのアンティグア。
マンツーマンで1日4時間、週5日間を1か月、スペイン語をみっちり教えてもらう。それがこの町でやりたいことだった。

アンティグアに乗り込む前から気合いは入っていた。これから久しぶりに勉強をする学生になれることに、興奮すらしていたかも知れない。
深夜にグアテマラ空港に着く便だったので、不安を減らすために、アンティグアの日本人宿の送迎サービスをお願いした。空港泊をしても良かったが、椅子に手すりがあるタイプの空港のようで、横になれないのはしんどいので空港泊は却下した。
長く旅人をしている私だが、生まれて初めての日本人宿の利用である(当たり前だけど日本にある宿を除く)。
日本人のオーナーの方が丁寧にメッセージで対応してくれて、真夜中に無事に宿に着くことができ、マドリードからコロンビア、コロンビアからグアテマラへと長時間かけて乗り継いだ疲れから、バタンと気絶の速度で眠った。


翌朝6時過ぎに目が覚めてしまったので、何気なく部屋の窓の外を見てみると、大きな富士山のような山が見えた。

アグア火山

この時の驚きが忘れられない。

夜に初めての町に着いた時の、翌朝の突然新しい世界が目の前に現れる感じが好きである。
富士山によく似た格好良さがあり、そうか、私はこの山を見て1か月暮らすのかと、改めて実感した。


日本人宿は、長居するつもりはなく、スペイン語学校とホームステイ先を飛び込みで数軒訪れて、決めたら出るつもりだった。
曜日とホームステイ先が決まるタイミングの関係で4泊させてもらい、7泊したら1泊無料というサービスについ飛びついて、最終的に7泊もしてしまった。
個室だったので、特に多くの日本人の旅人と交流した訳ではなかったが、泊まっている人や、かつてここに泊まったことのあるネットの中の人たちみんなが口を揃えて、「ここの宿は世界一居心地がいい」と言っていた。しかし、正直に言うと、それほどの居心地の良さは私は感じなかった。
居心地の良さならノルウェーの湖畔の一軒家のAirbnbの居心地良さったらなかったし、ナポリのロフト型のドミトリーだったホステルも良かったななど、たくさん浮かぶ。
私の居心地の良さは、ドミトリーだったとしても、プライベートな空間を持てる場所があること、広い共用リビングがあって、誰かと交流しようと思えばできるけど、ほっといてもらえるスペースも十分に持てること。
しかし、その宿は、部屋こそ個室だったが、座れる共用スペースが台所と玄関にしかなくて、そこにいたら必ず誰かに出会ってしまい、自分のスペースを他人に絶対に侵されてしまう狭さで、交流をしたい人はそれが楽なのかも知れないが、放っておいてほしい時が多い私にとっては、あまり居心地が良くなかった。
私の求める居心地と、日本人宿に泊まる人の求める居心地とにズレがあるらしいことは、学べて良かった。今後も、日本人宿には泊まらないことにする。
(ホットシャワーの湯量、温度すべては完璧だった。それは1番良かった点。そしてオーナーの日本人の方がとても親切だった。)

それでも、日本人宿7泊の間に、顔見知りになった人から学校やホームステイの今の情報を聞けたのは、ありがたかった。
「グアテマラの弟」を読んで、片桐はいり氏の弟さんの学校に興味を持って、私はグアテマラ、アンティグアに来た。
片桐さんに事前にメールでやり取りをさせてもらい、見学や説明の対応まで時間を割いていただいたのに、結局、そこの学校ではなく別の学校を選んだ。良くも悪くも、こういうことができてしまうのが私なのである。
お断りをしたら片桐さんは、「またご縁がありましたら」と丁寧な表現で受け入れてくださって助かった。
選ばなかった理由は、テキストを用いずに授業をすることと、ホームステイ先が日本人複数名で同じ家に寝泊まりするということ。
私にとっては初めてのスペイン語学校になるので、テキストは使ってほしいなと思ったのと、日本人で固まって生活をすると絶対日本語で話すからそれだと日本と変わらないと思った。
不安な人は、片桐さんの学校がいいと思う。日本語で対応してくれて、日本人の仲間と生活できるから。
しかしそれは、私の求めるスペイン語留学の生活ではなかったので、1番安くてテキストを使って授業をすすめてくれて、ものすごく感じの良い優しいマリア校長のいる学校に決めた。


授業料は1週間80ドル。コロナ前よりも値上げされていて、更に今は円安だから1週間12000円くらいだが、20時間で12000円だから、1時間4ドル(600円)のマンツーマンレッスンは、どう考えても安いと思う。片桐さんのところより1ヶ月で1万円ほど安いので、それで美味しい物を食べればいいやと思うようにした。(ごめんなさい片桐さん。)
先生は、自動的に順番に割り当てられるようなシステムらしく、アウラ先生という、71歳のものすごく太ってて、ものすごく背が低くて、ものすごく髪が長くてポニーテールの三つ編みをしている、笑顔が可愛いけど、迫力満点の先生が私を受け持ってくれることになった。

いざ初日。
テキストがあるから選んだ学校だったが、アウラ先生はテキストを使わなかった。
話が違うじゃないか。
それなら片桐さんのところで良かったかも、どういうこと?と思ったが、アウラ先生のスペイン語が聞き取りやすいのと、40年間スペイン語を教えているだけあって、私の苦手なことや分かっていないことをすぐに分かってくれて、間違いやすいポイントなども適切に説明してくれた。相性がいいというか、私が好きなタイプの人で、スペイン語を使うかどうかは置いておいて、いっぱい話したくなる、聞いてほしくなるタイプの人だった。これは大きいと思う。
とはいえ、「スペイン語をスペイン語だけ使って教えるの?!」と初回は戸惑いっぱなしだった。さすがに文法の説明などは英語を使うと思っていたが、全く使わない。
初回に、「間接代名詞」とか「線過去」とか、簡単なものなら「現在形」という、そもそもそれをスペイン語で何と呼ぶのかも知らない私に、知らないスペイン語の単語を使って、日本語で説明されていたとしても分からないような説明をスペイン語でされ、固まってしまった。
でもアウラ先生は例えを出しながら、簡単な単語で説明してくれたので、何となく掴めてる気もして、それに何とかついていこうと必死だった。
(ちなみに「例えばね…って説明してくれてるのかな?」と勘で推測していたが、「例えば」はスペイン語で「por ejemplo」という言い方をして、アウラ先生がずっとそう言っていたということが、最近判明して、謎が解けた感覚になった。そのレベルの、よく分かってない人がスペイン語学校に行き始めていたということ。勘だけは良い。)

初日はとにかく疲れた。
分からないことだらけで、授業に出てきた単語で、意味が分からずアウラ先生にスペイン語で説明されてもぼんやりと分かったような分からないような単語たちを、片っ端から意味を調べていくのに時間がかかった。
同じ学校の日本人の男性に、勉強はどこでしているのか尋ねると、最初の頃は無料だったから図書館でしていたけど、そのうちコーヒーを飲みたくなってカフェで宿題をするようになったとのこと。
コーヒーは飲めないし、無料なら都合が良いと思い、教えてもらった図書館に行ってみたら、ものすごく素敵な図書館だった。

回廊ファンにはたまらない回廊
かなり思想の強いノート。
しめちゃんからもらった岡本太郎のクリップと、シバとバンクシー。
そしてタブレットでダウンロードしたテキストぽいやつ。



1階がギャラリーのようになっていて、ちょうどスティーブ・マッカリーの写真展が開催されていた。インドやアジア、南米の写真がたくさんあって、気分転換に何度見に来ても飽きなかった。

インドの写真多め
行った場所!


2階の図書館へ上がる前に受付のお兄さんがいて、「オラ!ビエンベニード!」とか「アデランテー」と声を掛けてくれる。
図書館はとても美しい回廊の作りになっていて、2階には自習室があり、回廊にも机がたくさんあって、ぽつぽつとスペイン語を勉強している欧米人がいる。
私も初日から図書館通いの仲間入りをして、iPhoneを使って分からない単語の意味を調べて、スペイン語の辞書アプリ(SpanishDictionary)
に入力し、寝る前にそのアプリを使って単語をシャッフルしてクイズを出してもらうことを続けた。
書いて覚える古いタイプかつ、便利な物は積極的に使っていきたいタイプなので、ノートに書いてアプリで何度も叩き込む。
このダブルの方法は割とうまくいったように思う。そのアプリは動詞の活用のクイズも出してくれるので、中盤からは、なかなか覚えられない過去形の活用もアプリを使って暗記を繰り返した。
とにかくすぐにその日にやったことを全ておさらいして、曖昧な部分は日本語の解説をインターネットで調べてちゃんと理解するようにし、それをスペイン語と英語でノートに整理して書くようにした。
とにかくこの行程に時間がかかったが、基本的なことが分からないまま次に進むと効率が悪いので、ここを丁寧にやった。
その後に宿題に取り掛かった。
最初の頃は時間が掛かりすぎて図書館が閉館してしまい追い出されていたため、宿題はマクドナルドに移ってから取り組んだ。

アウラ先生の授業では、前半はとにかく動詞の活用、活用、活用。
アウラ先生の手作りカードの束を、一枚ずつ猛スピードで見せてくる。反射的に答える訓練を繰り返しまくった。そして、アプリと同じくアウラ先生も、私の弱い動詞や癖を把握していき、そこを重点的に突いてくるようになり、スパルタ活用トレーニングも楽しくなってきて、スピードを上げたくて仕方なくなっていた。
前日に弱かった部分をできるようになっていたくて、そこを中心的に復習し、翌日頭に入っている私にアウラ先生が目を丸くして「アーハ!」と感嘆の声をあげる。それが聞きたくて私も更に頑張る。もはやテキストが欲しいとかそういう希望も消え去り、うまく話せてアウラ先生がびっくりすること、褒めてくれることが私の1番の希望となっていた。
アウラ先生も途中から更にスイッチが入って、「よし。1ヶ月で、現在、代名詞、点過去、線過去、未来形、進行形まで叩き込むわよ。そして旅行に特化した内容のこともやるから」と気合い充分でのぞんでくれていた。
私も気合いが入りまくって、「ここのところを教えて欲しい」「ここが分からない」と積極的に伝え、隣の席の別の先生の2ヶ月目の授業内容を3週目で抜いた。だからと言って、隣の席の人よりうまく話せているかというと、全く話せていないが、まずは限られた1ヶ月という時間の中で、できるだけたくさん学んで頭に叩き込んでいきたいと思っていたので良しとした。(これは私の持論だが、基本を押さえた上で、分からない所が出てきてしまい、詰まってそこに時間をかけすぎるよりも、ある程度で諦めて先に進む方が効率が良い。後になって急に腑に落ちる時があるので。同じ学費を払うなら、たくさんのことを学んだ方が得だという損得勘定もあったし、グアテマラでは、遊んでる時間がもったいないと思う境地に達していた。現に飲みに行った時よりもスペイン語の勉強をしている方が楽しかった。)

文法以外はもっと楽しかった。
朝一番は、「昨日は何したの?」「何食べた?」などの簡単なお喋りから始まり、フリートークの時間は、お互いの家族や友達の紹介をしていくことから始めた。
アウラの10歳の孫のポールがピザが好きで、どんどん太ってきていて困っていること、私の友達のしめちゃんは茶色くて美しい髪をしていること、ポン子という日本でめちゃくちゃサルサを踊っている友達のことなど、知っている単語を駆使しながら何とか必死に伝えて、またアウラ先生の話すことを理解をしようとした。
語彙が増えると伝えられることも増えて、「友達に求めるものって何?」とか、「働いている時に好きじゃなかった仕事は何?」とか、アウラ先生はなかなか難しいトークテーマをチョイスしてくる。
私にはそういう話をしたい相手とできない相手がいるが、アウラ先生は、そういう話をしたいと思わせる相手だった。だからこそ、言いたいことがうまく言えなくてもどかしくもあったし、簡単に要約して伝えることに葛藤もあった。
私がどういう人間なのかをアウラ先生に知ってほしいという思いがあったから、勉強を頑張れたように今は思う。

そして意外とアウラ先生はミーハーだったので、ハリウッド映画の話もよくした。過去と今の表現を使い分ける授業では、アウラ先生が持参したカードにブラッドピットが現れて、「昔よりも今のブラピの方が色気が増しています。」「ジュード・ロウは以前はかなりのイケメンだったが、今はハゲています。でも私は好きです。」などをスペイン語で伝えてアウラ先生を笑わせて、2つの意味で手ごたえを感じていた。

このAHORA(今)もかなり昔のブラピ。


また、アウラ先生は、よくグアテマラの文化や風習を教えてくれた。
ちょうど学校に通っていた9月には、グアテマラの独立記念日があった。15日に町では大規模なパレードが行われること、前夜には聖火を持って一晩中走るイベントがあるが、それが好きなグループを作って好きなルートで各々が自由に火を持って走るという。全くもって自由なイベント。アウラ先生が教えてくれたおかげで、見ていてとても楽しかった。


グアテマラの4割の人が、古代マヤ文明からの先住民族マヤ族でそういう人たちをインディヘナと呼ぶこと、機織りや伝統的な食べ物、結婚や葬式の儀式など、アウラ先生は分かりやすいスペイン語を使って教えてくれた。そして、「日本ではどう?」と聞かれる。
これがなかなかハードなのである。
グアテマラの国旗の成り立ちや意味、歴史を教えてくれて、「じゃあ日本の国旗の歴史と意味を教えて」と言われる。
いや、日本語でも無理。
宿題にされてしまったが、私もちゃんと日本のことを知ってもらいたくて、Wikipediaで日の丸の旗について調べて、それを現時点で習っているスペイン語の表現を使って訳すというむちゃくちゃ大変な宿題だった。
またあるときは、「日本の昔話みたいなのをスペイン語で話してみて」と言われてかぐや姫を選んでしまったが、「竹の中で発見されて、じいさんばあさんが育てたけど、えーと、Finalmente(最終的に)月に帰った」と簡潔すぎる伝え方をして、「かぐや姫はET?」と聞かれてしまった。多分違う。
月の話になって、月にウサギが住んでいて餅をついている(ように見える)ことを教えるとびっくりしていた。
また、「グアテマラではフクロウが鳴くと、どこかでインディヘナが死んでいるというサイン」と言うから、「日本ではフクロウは幸福の印。不苦労という意味で」と伝えたらそれもびっくりしていた。(フクロウの置物がアンティグアでやたらと売られていたから、ラッキーチャームでもあるらしい)

これを書いてた直後に乗った飛行機にフクロウがいた。
どっちの意味か不安になった。



ある時は、「日本の偉人の生涯について説明して」と言われて思い浮かばず困り果てた。
同じ学校の日本人男性に日本の偉人って誰かな?と聞いたら、「今だったら大谷翔平どうですか」と言われ、それほど詳しくもないのに大谷翔平をWikipediaで調べてそれをスペイン語で説明していくということをした。Wikipediaを読みながら両親ともアスリートやったんか、とか新発見があった。二刀流の説明が難しすぎて困ったが、絵を描きながら何とか伝えた。
そしてついでに、私の町の野球チームが18年ぶりに優勝をして大変盛り上がっていて、川から飛び込む人が出るため、警察が川沿いを並ぶんだよという大阪の伝統も伝えたら、呆れて笑っていた。

大谷翔平、肩幅でかすぎな件

宿題も日に日に難易度が上がって、「線過去と点過去を使って、あなたの友達のしめちゃんに、ここでの日々を報告する手紙を書いてくること」という宿題が出た時、「しめちゃんはスペイン語読めないけど…」と口ごたえをしたら「私が読むから書いてきなさい!」と机を叩かれて、2人で笑った。

またある時は私の好きな映画「エルビス」の説明で、「才能ある若者が悪いプロデューサーに出会ってしまい」と話し出したものの、その続きの説明が難しすぎて、「Finalmente(最終的に)彼は死んだ。」と言ったら、それ以降アウラ先生に「Finalmente」の使用を禁止された。(絵を描いて伝えることは許された。)


ここでスペイン語の習得具合を順を追って振り返ると、まず慣れるまでの1週目が1番大変だった。
4時間という長時間の授業の後に復習と宿題で3時間ほど。毎日7時間以上も勉強をするということを体が慣れるまでがしんどくて、20時半には眠りについていた。1週間を終えた時が1番達成感があった。1週間でここまでやれるなら、1ヶ月続けたらペラペラになれるに決まってるわ。そうタカを括っていた。

2週目が終わった時は、打って変わって落ち込んだ。
学校に通い始める前よりも上手く話せなくなっている気がした。学校に来る前は、文法や時制や動詞の活用など気にせずに単語を並べて喋りまくるスタイルでもっと喋れた気がするが、習えば習うほど、この場合の正しい使い方がどれかを話す前に考えるようになり、時間がかかり、言葉に詰まるようになってしまった。こんなんじゃペラペラに話すなんて到底無理だ。1週間前と真逆の気持ちになっていた。2週目は、慣れてきていて早くも手を抜いていたのかも知れないなと反省し、3週目はまたさらにがむしゃらにやることを自分に誓った。

3週目は苦手な部分をアウラ先生と2人で繰り返しやり込んだこともあり、何となく喋る前に頭で考える時間が縮まった。頭で考える前に、とりあえず勘で話し出してみて、間違えていたら訂正してもらおうという開き直りもできてきた。
宿題も日の丸や、映画のあらすじ説明など難易度が上がっていたが、家でホストファミリーに夕食の時にこれで伝わるかを聞いたり手伝ってもらって、読み書きがだいぶスムーズになってきた気がした。しかし、話す方はやっぱりダメで、この辺りは英語と一緒だなと思った。もっと語彙力を増やして、喋りまくるしかないと思った。

4週目は、アウラ先生は「もう新しいことは教えない、その代わりあなたのことを考えて、南米旅行に特化したことをやるからね」と言ってくれて、道案内の表現や、質問の仕方、いくつかインカ王国や南米の国々についてのコラムや文章などを用意してくれて、リーディングをした。アウラ先生の話していることがほとんど分かるようになっていたのが大きな進歩。一方で、お別れが近づいてきているのを感じてしまい、寂しかった。

最後の2日間は宿題は出なかった。物足りなかったが、疲れてきていたので、飲みに行ったり、サルサダンスのプライベートレッスンを受けたりして勉強以外のことに手を広げてしまった。別にそれ自体はいいことなんだが、俯瞰で見ると、結局私のストイックさは、4週間が限界であることを感じざるを得なかった。最後の最後にもっと勉強を頑張って叩き込めば良かったと少し思ってはいるが、急激に自分の中のスピードが落ちていることが分かったので、1ヶ月の留学が結果的にちょうど良かったと思う。正直、2ヶ月あればもっと喋れるようになったなと思うが、叩き込むのは1ヶ月が私の限界。
ダイエットにしろ何にしろ、短期間でストイックにやる方法しか私にはできないので仕方ない。(しかし、ここまでストイックにやれないと、1ヶ月間でスペイン語を話せるようになるというのは正直厳しいと思うので、短期留学に行く前にある程度勉強していくべきだと思った。でもその気になれば、2ヶ月でペラペラは全然狙えると思う。)


最終日は宿題がなかった代わりに、ホストファミリーやマリア校長、そしてアウラ先生にお別れの手紙を書いた。
とても楽しかったこと。
アウラ先生と会えて本当に良かったということ。
スペイン語では上手く書けなかった。
日本語なら、8千字くらい楽に書けるのに(今日のnoteは1万字行きそう、長すぎてすみません)、どう書けばいいかわからなかった。
スペイン語で書けなかったことで、私が思っていることを今、ここで日本語で書きたい。


アウラ先生との授業が楽しかった理由。それは、その時間が、今は亡き最愛の祖母と過ごした時間に似ていたということ。
祖母は体が小さくて常にニコニコしているタイプで、アウラ先生は太ってて常に迫力があったので、タイプとしては全然似ていなかったけど、「昨日、何食べたの?」「昨日何してた?」と聞いてくれる優しい表情や、私の話をうんうんと真正面で聞いてくれている安心感。これは祖母と同じだった。
祖母が私に昔の話をしてくれたことと、グアテマラの風習について教えてくれているアウラ先生がなぜか重なる。
1日4時間も、毎日毎日、私だけの話を聞いて私だけに話してくれた時間。
それは、祖母と毎週木曜日に祖母の家でこたつに入って、または扇風機を回して、2人だけでみかんやスイカを食べながら、ぺちゃくちゃお喋りしていた時間のような大切な時間となった。
私にとっては、スペイン語を教える、習うという関係性を超えたとても温かい時間だった。
もう戻ってこない、私の人生で一番の宝物のような祖母との時間を、まさか時間と国境を越えて、グアテマラでまた擬似体験できるとは予想もしていなかった。

私のスペイン語は、かつて、スペインの巡礼路で出会ったスペイン人の旅仲間たちが、毎日簡単な言い回しを教えてくれたことから始まったけれど、本当の意味で教えてくれたのはアウラ先生である。
だから、絶対に一生、どんな形でもスペイン語には触れていたいし、祖母との思い出と同じように、自分の中に残し続けたい。
歳をとってたくさん忘れてしまったとしても、「オラ!コモエスタス?」「アーハ!」「アスタマニャーナ!」という挨拶はアウラ先生の声で覚えていたい。
それくらいの気持ちでいる。

でもアウラ先生にうまく伝えられる自信がなかったから、このことについては伝えなかった。

最終日は私が書いた手紙をサプライズでアウラ先生の前で読んで、間違っているところを直してもらうというのを最後の10分で取り組んだ。
6箇所くらいミスを指摘されたが、とてもよく書けていると褒めてもらえた。嬉しかった。
アウラ先生からは、最後に、とうもろこしの皮で作った手作り人形をもらった。自分で作って、2日かけて色を塗ったという素敵な人形。
こんな嬉しいプレゼントはない。
グアテマラはろくに観光もせず、私はスペイン語の勉強ばかりをしていて、お土産も買わずに出ていくこととなったが、アウラ先生の人形があれば、グアテマラのものは何も要らないと思った。

ありがとう。
アウラ先生。
大好きです。
ミニアウラを連れて、南米大陸へ、行ってきます。

そうメールでアウラ先生に伝えた。
アウラ先生に今スペイン語で伝えるべきことは、これだけで十分だった。

ペルーに着いて、インカコーラのペットボトルでミニアウラのケースを作った。
我ながら完璧な仕上がり。


(これは、スペイン語留学の修行について綴りはじめたつもりが、Finalmente、アウラ先生とのハートウォーミングな出会いについてになってしまいました。)

※次はホームステイ先について書きます。


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のりまき
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