最近のことをつらつらと③〜旅とは移動〜
最近移動続きである。
(※最近とは、これを書いた8月上旬、ちょっと前のことで、投稿するのを忘れてたものです。)
ここしばらくは、同じ町で2泊以上していない。通り過ぎていっているだけのような気がする時もある。
今いるのはデンマーク?スウェーデン?どっちだっけ?
3秒くらい考えないと分からないことが増えた。
先週のチェコで食べたあれ、美味しかったな、って思った時に、そういえばプラハの宿ってどんなだっけ?と思い出そうとしても思い出せなかったりする。
bookingコムの予約履歴から宿の写真を見て、あー、あのウクライナ人のオデッサ出身のお姉さんとウクライナ語と日本語で喋った場所か!と思い出すからまだセーフではある。
ヨーロッパの旅のゴールを自分の中でもうけたので、そこに早く向かいたくて、どんどん北へ向かうことにした。
1日でも早くそこに向かいたいから、地図を見て、寄れそうなところを繋いで移動し続けている。
1泊(もしくは0泊)で移動するのは正直しんどい。
涼しくなってきたこともあり、洗濯物が乾きにくくてたまっていくのも困る。パンツと靴下は必ず毎日洗って干しているが、Tシャツやズボンは、においを嗅いでまだいけそうと判断したら洗わずに次の日にも着るようになった。
毎日朝に荷造りして、チェックアウトするのもしんどい。慌てると必ず何かを忘れてくるから、最近はチェックアウトのせめて1時間前には起きるようにした。
いつも大体11時チェックアウトだから、10時に起きて荷造りもして、少し時間が余ってのんびりしていたら、アウシュビッツ行きのバスが11時発だったのを10:45に思い出して、焦って走って、遅れていたバスに奇跡的にギリギリ間に合ったこともあった。二つ以上のことを覚えておけない時があって、さすがに自分のポンコツ具合に震えた。それはさておき。
1泊もしくは泊まらずに移動する場合、まず一番安い方法を探す。そうなると、最近は大体バスになる。時々飛行機の方が安い時もあるが、今はずっと陸で北へ進みたいというテーマを設けているので、飛行機は安くても却下している。
バスに乗るとして、夜行バスか昼間のバスか。一番安いものを選ぶことが多いので、いい時間帯のものが少ない。
夜行バスだと車内でずっと眠れたとしても(眠れるタイプではある)、体の疲れがすごい。20代の頃は、大阪から夜行バスでディズニーランドへ行って、一日めいいっぱい遊んで夜行バスで帰るなんてことも苦じゃなかったのに、40後半となると、夜に真横になれないのは体がきつい。
空いているバスの場合は、最後列を陣取って3席使って横になって眠るようにしていて、それだと体が楽なので、朝から動き回ることはできることが分かった。私にとっての重要な問題は眠れるかどうかではなく、真横になって眠れるかどうからしい。新たな発見である。
とはいえ、宿泊費を浮かすために夜行バスに乗っても、翌朝動き回れないなら1日が無駄になるから、お金よりも、日中のバスの方が今は好んでいる。昼間のバスの方が、移動中の外の景色を見ることができるし(眠ってることもよくあるが、それでも起きた時に窓の外の美しい景色にびっくりすることがある)、調べ物もできるから(大体途中で眠ってしまう)、昼間の長時間バスも好きになった。
移動している時に、ああ私、今旅をしてるなと、最近は強く感じる。
新しい場所に行けるのが楽しい。1箇所にじっくり留まってその町に溶け込む楽しみも旅の醍醐味だが、移動すること、移動それ自体が今の私にとっての旅だと思えている。
Netflixの星野源とオードリー若林の番組「Lighthouse」で、こういうことを話していた。
「行ったことのない場所に行かないと、もう生きていけない」
「世界に居場所がないから、居場所は自分でつくるもの」
めちゃくちゃ腑に落ちた。
私もそうだと思う。
居場所のなさを感じて生きていた時が私にもある。仕事をしていて、私の生きる場所はここじゃないと思って、ソロキャンプや旅に出ることもある。
行ったことのない場所は、物理的な場所だけではなくて、やったことのない新しい体験だったりもするのだけど、日常からできるだけ物理的にも心理的にも遠くに離れないと生きられないような、そんな切迫感を感じることもある。
今は純粋に移動の旅を楽しんでいるけれど、奥底では、そうしないと生きられない、生きるための力のようなものが、働いている気もする。
つまりは、とても生きている。
命を燃やしている。
そんなことをなんとなく思った最近。