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noteを書き始めて38回目の記念日!109万歩、500km歩いた5月。

毎月7日はのりまきのnote記念日!

知らない方のために、大切なお知らせです。
2020年4月7日にnote界に舞い降りて、その日から毎日noteを書き始めた私。
毎日連続で書くのは一年ちょっとでやめたけれど、気が向いた時にほぼ毎日のようにしょっちゅう書いてます。
そんな私のnoteの生誕を記念して、毎月7日はのりまきのnote記念日と自分で認定しお祝いするという世にもめでたい日です。
毎月書いてまとめてマガジン化してます。
書籍化の予定はもちろんありません。
あくまで、記録をするのが好きな自分のためです。

のりまきぺディア

本日2023年6月7日は、わたくしのりまきがnoteを書き始めてから38ヶ月経った記念日です。


今月は5本のnoteを更新しました。
過去一番少ない投稿数です。

フォロワーさんはこの1ヶ月で、1124人から18人増えて、1142人になりました。
ありがとうございます!

5月はとにかく歩きました。
5月の1ヶ月間で、109万歩も歩いたらしい。移動日や休養日を入れて、1日平均3万5千歩。
歩き過ぎました。
距離的には、フランスのルピュイの道の一部も歩いたのでそれを足すと、500kmくらい、カミーノの巡礼路を歩いたことになります。

青矢印がフランス、ルピュイの道
赤矢印がカミーノ、フランス人の道800km
黒矢印がポルトガルの道280km

フィステーラの道100kmくらい


なかなかすごいことになってきた私のGoogleマップ。いつか、青矢印と赤矢印を繋げたいところ。

そりゃ、それだけ毎日歩いてたらnote書いてる時間ないわってなところです。

カミーノのあの道を歩きたくて歩きたくて仕方なかったので、それが叶った5月は幸せでしかなかった。
インドの体調の悪さはどこに消えたのかというくらい、人生で1番元気だったかも知れないこの1ヶ月間。
よく笑ったし、よく「あー、しんどい」とこぼしたし、よく食べたし(本当によく食べたけど太らないのがカミーノのいいところ)、よく飲んだし、よく話した。
生き生きと生きた。
そんな1ヶ月間でした。
ここで旅を終えてもいいんじゃないかというくらいの満足感と達成感、燃え尽き感すらある。
でもでも、まだ旅を続けたいので続けるつもり。
タイ・ラオス編が第1章、インド編が第2章、むしろ前半のクライマックスとしたら、カミーノは第3章で、早くもまたクライマックス。
この世界多分一周旅は第何章まであるのか謎だけど、とにかく2回目のクライマックスを迎えてしまったのであります。
何度でもクライマックスが来たらいいんだけど、ここからはのんびりと適当にゆるく旅していく予定。
会いたい人に会い、行ったことのない場所で行ってみたいところに行く。
そんな感じでもうしばらくヨーロッパを放浪する予定。

昨日は、今回のカミーノのことをろくに書いてないのにいきなり最終回だけ書くという、訳の分からないnoteを投稿したので、それは誰?何があった?的な話になってしまったけれど、また追々書いていくのでよろしくお願いします。



カミーノで1番仲良くなったメキシコ人のクリスティーナとの出会いは、本当に今回の旅の宝物の一つ。
クリスティーナについてだけ少し今書きたい。

私とクリスティーナが初めて会ったのは、歩き始めて3日目くらいのとある町の宿だった。
1番最後に宿に到着した汗だくで疲れ果てた私とデイヴに、宿の中庭にいたクリスティーナは、瓶ビールを飲みながらウィンクをした。
ニコニコしていて、いろんな人と話をしていて、なんて素敵な女性だろうとびっくりした。
初対面の私にもとても優しかった。
その夜に一緒にご飯を食べてビールを飲んで仲良くなって、誕生日が5日違いで、お互いにカミーノでお祝いし(彼女は1つ年下の45歳)、いろんな話をして、一緒に毎日笑って、一緒に1回だけ泣いた。

私と彼女は一緒に道を歩いてはいない。
カミーノは、一緒に何時間も歩いて友情を深める人も多いが、私はとにかく歩くのが遅いから、基本は1人で歩く。14時頃に、遅くに出発したフェデリコが追いついて2人で歩く時間以外は大体1人で歩く。
私は、6時前のまだ真っ暗な時間に出発をし、彼女は8時くらいに出発して10時には「アルベルゲ(宿)で待ってるよー!」と言って追い抜いていく。
とにかく歩くのが早い。
クリスティーナは、コロナ禍のロックダウン中にメキシコでランニングに目覚めて、毎日走り、ハーフマラソンを月に一度走っているらしい。
カミーノで毎日歩いてはいるけれど、走りたくて仕方なくてウズウズしてきたと言っていた。
だけど、みんなが口を揃えてこう言った。「カミーノはレースじゃない。走るなんてどうかしてる。歩くのがカミーノだ。」「重いバックパックを背負って走るなんて無理。」
「毎日30km走るなんて、マラソンとは違う。」
全員が全員反対した。
彼女は、走りたい、やってみたいとずっと言っていたから、私自身は走るのが嫌いだが、「クリスティーナがやりたいなら、やってみたらいいんじゃない」と言った。
マラソンと違って山あり海あり町ありで、しかも毎日続けるという時点で彼女自身も不安があったらしいが、彼女はサンティアゴにゴールした後の最後の3日間だけ、走って大西洋の端まで行くことを決めた。

サンティアゴから追加で歩くことにした1日目。私が5:45に出発した2時間後、カミーノで聞いたことのない音が後ろから聞こえてきた。
タッタッタッタッ。
走ってる人の足音がきた。
そして私の名前を呼ぶ。
クリスティーナは、なんとスマホと水とりんごだけ持って走ってきたのである。
彼女は30kmを5時間で走った。
それを3日間やり遂げた。自転車やロバや犬と歩く人、車椅子の人などいろんな巡礼者を見てきたが、私が知る限り、彼女は唯一の走る巡礼者である。

一方の私は、30kmを10時間かけて歩く。
毎日毎日、夜明け前に出発して、いろんな所で何回もピクニックのように朝食とランチを食べている私に、通り過ぎていく人たちから「また食べてるの?」「なんで早く歩き終えないの?もうすぐ着くのに。」「何でそんなに朝早く出発するの?」と何度も言われた。
でも、私は私で、歩くのと同じくらい、ピクニックを楽しみたかったのである。
ソロキャンプでやっていたように、外で自然の中でご飯を食べることをやりたかった。私の知る限り、サンティアゴの大聖堂の前で、手作りのハンバーガーを食べたのは私くらいだと思う。
人よりもごはんタイムが多いので、必然的に人よりも早く出発しなくてはいけないから夜明け前の出発は仕方なかったし、誰も歩いてない道で、日の出を見られるのも好きだった。

私とクリスティーナは、お互いに人とは少し違うやりたいことを貫くところが似ていた。
だから最後の3日間は、5時間走った人と、10時間かけて食べながら歩いた人ととが、到着してから同じ宿で16時以降毎日一緒に過ごしていたら、何となくずっと一緒に歩いたような錯覚すら起きていた。
「今日は何回朝ごはん食べたの?」「今日は5時間きったの?」と笑ってお互いのその日の話をする。同じ道を進んできたから、スピードと時間帯は違うものの、見た風景も同じだから面白い。
それからいろんな話をした。
それぞれの国のこと、家族や恋愛のこと、旅のこと。
違う国での生活、コロナ禍でのことなど。とにかくいろんな話を、クリスティーナのゆっくり分かりやすい英語と私のでたらめ英語で話し合った。

別れるのが本当に寂しかったけど、私の世界多分一周旅の最後は、航空券の都合でメキシコから日本に帰国すると決まっているので、旅の最後にクリスティーナのメキシコの家に行き再会することを旅の最後の楽しみにとっておくことにした。
次に会える約束があるから、別れも悲しくないと思えた。
彼女はひと足先にメキシコのマイホームに帰り、愛犬のブレイクを抱いた写真やキッチンの写真を送ってくれた。
冷蔵庫には、私が餞別にあげたお揃いの2023と書かれたカミーノのマグネットを貼ってあった。
その写真とともに、「いつもそばにいるよ」というメッセージに、私も温かい気持ちになった。


旅で出会えて良かったと思える人が、私にはたくさんいる。
私は幸せだな。
この旅がいい旅かどうか、自分ではまだ分からないけど、いい出会いに恵まれてるってことは間違いなく言える。
普段は使うのを避けている、安っぽい言葉をあえて使うと、「出会いに感謝」。
そんな日々を過ごしています。

今はポルトガルのリスボン。
ポルトガルの道を歩いてスペインに渡って、スペインを旅したと思いきや、あれだけポルトガルを歩いておいて首都を見ないのは失礼かと思い、またポルトガルに舞い戻ってきました。
1ヶ月前の記念日もポルトガル、ポルトだった記憶。



来月の記念日はどこにいるんだろう。
どこかは全くわからないけど、6月も楽しい旅を続けたい。
そんなふうに思っています。

落ち着いてきたので、また時々旅のことをnoteに書いていくので、気が向いたらどうぞよろしくお願いします!
では!

最後に38ヶ月記念日を記念して、旅で見つけた38の写真を。
ポルトガルの港町ファロからリスボンに行くバスの座席番号です。
メルセデスベンツ!

ビーチ帰りで、靴下は履いたのに、
ズボンを膝まで捲りあげたままだったのが恥ずかしい。



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のりまき
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