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12、その他に通説とは違った発想
❍その他の通説と異った考え方をいくつか紹介したいと思います
通説
「倭国」の倭という漢字は「矮小」の矮という字に似ており
「チビ」という馬鹿にした意味がこめられている
いろいろな本やネットを見てみると、おおむね「倭」という漢字には軽蔑の意味が込められていると考えている人が多いようです。
しかし、以前中国の掲示板を翻訳するサイトを見た時でした。日本のかつての名称である「倭国」について議論をしていました。そこで、次のようなコメントがありました。
日本は人間扱いされてよかったな
つまり、倭という漢字はニンベンであります。ニンベンは人のことを表します。悪い意味ではないはずです。当の中国人がこのように考えるのだなと少し驚きました。
この他に倭という漢字のツクリである「委」が「ナヨナヨ」したという意味があるとする考えもありました。しかし、自からの国名である「魏」という漢字を見て下さい。偏が同じ「委」ではないですか。
この様に考えると「倭」という漢字にはそれ程悪い意味が含まれてはいないのではないでしょうか。
もちろん、「卑弥呼」、「邪馬台国」、「奴国」などには悪意が感じられますが。
❍倭国のどこまでを調査したのかがわかってしまった
魏志倭人伝は大きくわけて、2つのパートにわけられます。最初のパートは倭国を実際に調査した人または、実際に現地を訪れた人の、調査結果や証言が中心になります。
もうひとつのパートが大陸の国家と倭国の交流史です。こちらは、自国の歴史資料からの記述と考えられます。
最初のパートの最後に、次のような記述があります。
参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連 周旋可五千餘里
これまでの考えでは以下のように訳します
倭国を参問(訪れて調査)すると、
絶えて(大陸よりはるか離れて)海中の洲島(大陸棚)の上に在り
或いは絶え、或いは連なり、周旋五千余里ばかり
つまり、絶えて海中の洲島の上に在り。或いは絶え、或いは連なり、周旋五千余里ばかり。という記述は「倭国」のことを指していると解釈されます。
今回は違うように訳してみます
参問倭地
の箇所を
参問せし倭の地は
とします。すると次の様な訳になります。
(私が)参問(訪れて調査)した倭の地(倭国の一部)は、絶えて海中の洲島の上に在り。或いは絶え、或いは連なり、周旋五千余里ばかりでした。
となります。
この様に訳すると、この文は倭国全体の形状と広さを言っているのではなく
私が参問できた、倭の地(倭国の一部)は
絶えて海中の洲島の上に在り。或いは絶え、或いは連なり、周旋五千余里ばかりでした。
となります。
つまり、倭国の中で私が調査できた範囲の地形と広さを記述していたとなるのです。最初のパートの最後で、自分が調査できた範囲を伝えているのです。
❍調査官が調べた範囲は九州だった
海中の洲島の上に絶在し、或いは絶え、或いは連なり、周旋五千余里ばかりでした。
これは恐らく九州ではないでしょうか。九州の北西部は複雑な地形をしており、小さな島も多くあります。或いは絶え、或いは連なりにあてはまると思います。
そして、周旋五千余里ばかりです。これはどうでしょうか。もし、一周するならばその長さは五千余里となります。といった意味と考えられます。
五千X標準里(435m)ですと、2175km余りになります。
九州の海岸線長は、3888kmになります。これは短すぎる気もします。しかし、そのような正確な距離が測れるわけはありません。そして、九州を自動車や自転車で1周した人のホームページを見てみると、その走行距離を1,200kmから1,500kmとしている人が多いです。
このように考えると九州の円周を、五千余里(2175km)と考えたとしてもおかしくないと思います。実際にこの距離を歩いたとは考えにくいので、なんらかの計算方法によって導き出したと考えられます。
❍最後までお読みいただきありがとうございます
今回は、これまで書きたかったけれども書けなかった事柄を書いてみました。