「バーチャル」「リアル」と言わなくなった理由(わけ)。
【インターネットは「バーチャル(仮想)」であった。昔はね】
昔はインターネット世界を「バーチャル(仮想)世界」といい、現実の世界の「リアル」と分けることが流行っていた。しかし、いま、そういう言説はほとんど聞かない。かつての「バーチャル世界」は、今は「リアル」そのものになっているからだ。
【インターネットは人間の地域に根ざした文明を変える】
インターネットで国境は消え、地域、宗教、文化は地域では区切りができなくなった。インターネットがそういう世界を作るのは、我々は意識してやってきたし、これからもそれは進んでいくだろう。それが「地域」を元に発展してきた人類史を変えていく。
【なぜインターネットになったか】
インターネットがあるために「商社」のビジネスがかなり失われた。商社は地域差でビジネスをする。「Aという地域では小麦が安い」「Bという地域では小麦が高い」だから、小麦をAという地域で買ってBという地域で売れば、その差額で儲かる。簡単に言うとそれが商社のビジネスだ。しかし、ここにインターネットと言う非常にコストの安い「情報伝達手段」ができると、商社と同じようにする企業や個人が増え、競争を始める。「AはXXが安い」「BはXXが高い」という情報のやりとりが非常に安価に庶民でもでき、国際物流の価格が安くなり、人の行き来も安くなると「地域差」でビジネスをする旨味が急激になくなっていく。最後には地域差が無くなるくらいになる。そして、それをみんなが始める。
【人の社会は情報でできているから】
情報というのは、その根底にあるものは誰もの命に関わる。ために意識せざるを得ない。インターネットは「生きていくための経済」の根本に大きな影響を与えるように計画し、設計された。キーは庶民でも持てる安価な世界情報流通だ。だから、共産主義や社会主義の革命が世界革命を100年以上目指してもかなわなかった「変革」を、ここにICTがもたらした。情報格差、地域のエントロピーは限りなく高くなる。地域が消えれば地域間紛争もやがて消えるだろう。そうしないと地域に生きる人が生き残れなくなるからだ。情報を途絶した地域だけ沈没するから、情報ネットワークに参加することは地域にとって必須だが、それが地域の差異を消していく。
【インターネットと新左翼学生運動】
1980年代までの新左翼学生運動の闘志たちのメッカであった米国バークレイのU.C.BerekelyやPalo Alto のStanford大学周辺にインターネットの源流ができたのは必然であり偶然ではない。どちらも同じ人間がやったのだ、というのを、ぼくは米国でこの目で見てきた。インターネットの推進者は、頭の非常に良い新左翼の闘志・「いちご白書」のあの映画のリアルな主人公たちだった。米合衆国政府に敗北した共産主義や社会主義以上に強力かつ迅速に、今の社会を変えるにはどうしたらいいか?という問いに対する回答がインターネットだった、といえるんじゃないかと私は思っている。それは人の経済的な欲と、その欲を満足させる競争を原動力として使う。だからほとんどの人がそこから逃れられない。そこにフックした上、世界の地域をより密につなぎ、国境を亡きものにすると、人類のこれまでの、地域による文化、宗教、哲学が役に立たなくなっていく。少なくとも、それ以前よりも軽いものになっていく。そして戦争は無意味になり消えていく。人類史はインターネットで書き換えられる。それができるかどうか?彼らは、そして僕らはやってみたかった。僕は学生運動の世代ではなかったが、そんな彼らの言うことはわかった。
【世界のあらゆるところに】
今や「世界の警察」たる米軍もインターネットをベースとするオープンシステムを採用せざるを得なくなっている。時代は思った通りに変わったが、これからも変わる。小さく小さく、誰にも気が付かれないように撒いた種が成長し、更に大きくなっているのを今も見るからだ。人類全部がこの道を後戻りすることはできないだろう。それぞれの地域の生存がかかっているからだ。